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BLOG うつろう風景

つまるところ、変わり続けるものの「今」が好きなのです

暑くなったり雨が続いたり、不思議な夏の気候ですね。

私は、次男の虫歯騒動が勃発したり学業に追われたりする日々を過ごしています。
久々となったこのブログでは、ゆるりと近況について書いていきます。

ピラティスのパーソナルトレーニングのこと

初めてコーチングを受けていただいた方の感想として、「楽しかった」と「頭が疲れた」をよくいただきます。
「頭が疲れた」と言われると、私はムフフとしてしまい、「そうそう、それが頭のコアマッスル!思考の体幹トレーニングですよ!」と言ったり言わなかったりするのですが、
そんな私は、この春からピラティスのパーソナルトレーニングを受け始めました。

パーソナルトレーニングは、もちろん費用はそれなりにかかりますが、自分には合っている良いものだと感じています。

まず第一に、トレーナーがちゃんと見てくれているということ。
私個人をしっかりと見たうえで承認したりトレーニングの提案をしたりしてくれることが、私のモチベーションやトレーナーへの信頼につながっていると感じます。

それから、トレーナーがいるから自分の枠を超えられるということ。
今どき、ピラティスだけなら動画でも何でもやる方法はいくらでもあります。
でもそれだと、できそうなことばかりやってしまったり、逆にわけも分からず難しいことをやって挫折したり、そのときの自分に必要な枠を超えることが難しいことがあります。
その点、ちゃんと見てくれているトレーナーは、私に適切な挑戦を促してくれます。
「自分ひとりならこんなしんどい動きしませんけど!」ということも、トレーナーが背中を押してくれるからやろうと思えます。

そして、やっぱりできると嬉しいということ。
できると思っていなかったこと(そもそもやってみようとすら思っていなかったこと)をできると嬉しいんですよね。
「できる」というのは、自分自身で確認できることもあれば、トレーナーが「今きれいにできてたよ!」と言ってくれることでわかることもあります。
自分の身体の使い方の癖は自分自身では気づかないことが多いものなので、「変わってきたよ」と言ってもらうことで実感できる変化があります。

これらはコーチングとも共通していることですね。
そして、トレーニングを通して、(望むと望まざるとに関わらず)変わり続ける自分の身体への興味関心も高まっているような気がしています。
その興味関心は、コーチングの持つ「楽しさ」とも関連することなんじゃないかと思います。

無鄰菴の庭園のこと

最近、庭園というものが気になっています。

今まであまり考えたこともなかったのですが、庭は「生もの」なんですよね。
いつどんな背景で作られた庭であっても、目の前にあるのは「今の庭」である。
その美しさは、今この瞬間に自然から生み出されるものであり、様々な歴史や環境といった状況から立ち上がるものでもある。
そういうところが興味深いなーと思っています。

こちらは、京都の南禅寺にある無鄰菴の庭園。
明治期に山縣有朋の別荘として作られた庭です。

庭には枯山水よりも本物の水があってほしい。池よりも川だとなお良し。
そんな私にとって、こちらのお庭は最高です。
夏の小川と青紅葉も本当にきれいでしたが、四季折々の美しさがあること間違いなし。
カフェでお茶をいただくこともできるので、南禅寺界隈の観光スポットとしてもめっちゃおすすめです。

変な感想ですが、この庭を歩いている時に「むむ、これはあれだな」と思い出したのは、東京ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドでした。
共通点は何なんだろう‥
なんだか、すごく童心に帰る感じがするんですよね。
奥へと探索しながら進んでいくワクワクする感じとか、その途中で美しいものや珍しいものを発見する驚きの感じとか、ノスタルジックな憧憬(山縣有朋は故郷の風景を再現しようとした)とか。
あと、縮尺がバグってるの(実は意外なほど狭い)も共通点ですね。
でも、一番は明るくわかりやすいエンターテインメント性みたいなものかもしれません。
なんだかとても「近代」って感じがします。

そのあたりはもう少し学んでみたいなと思っています。

くるりのライブのこと

くるりのライブに行ったことも、忘れちゃいけない近況です。
このところもっぱら配信ばかりだったので、久しぶりのライブハウスに感動していました。
身体にダイレクトに響く音の幸せよ…!生きててよかった!涙

特にこの曲が、とにかく変態的に超絶かっこよかったのです。

くるり Tokyo OP

こんなバキバキな曲の完璧な演奏を生で見られるなんて最高の一言なのですが、
なんといっても石若駿のドラムが素晴らしくて、「阿修羅かな」と。笑
今でもこの演奏を思い出すと、この敦煌莫高窟第249窟の天井画の阿修羅や神々が、びじゅチューンのように舞い踊るイメージが脳裏に蘇ります。
びじゅチューン好き。MOA美術館の井上涼展行きたい…。

敦煌莫高窟第249窟の天井西画。6世紀中頃の中国(西魏)の壁画。阿修羅の両脇には風神雷神がいます。

ライブを通して受け取っていたことは「続く」というイメージで、
開かれた道や旅の途中の「今」であるということ、
常に新しい「今」を生きることで変わり続けて進んでいくのであるということ、
そして「変容しながら続く」ということが変わらないこととして存在し続けているのだということでした。

だからこそ今この瞬間に生まれているとんでもなく素晴らしいものを目撃して、私はその揮発性の高さに少し途方にくれてしまう。
この感じはなんだろな?とよくわからないのだけど、きっと自分にとっては大事なことなのだと思います。

ここまで書いてみて思ったのは「つまるところ、変わり続けるものの『今』が好きなんでしょ」ということで、
それは間違いなくコーチングをやっている理由のひとつでもあると思います。

でも最近は、その「今」に触れた時に「私はどうすればいいんだろう」という思いも生まれていて(特に芸術に関する時)、それはこれからの私の問いなのかもなぁという気がしています。
まぁ、それが私の「今」ということですね。

あなたの「今」はどうですか?

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BLOG 芸大生日記

美術資料の読み方を学ぶと手に入ることは?

この春から大学生になりまして、課題やら試験やらに取り組む日々も3ヶ月目に突入しました。
先日、あまり乗り気じゃなかった美術資料の読み方を学ぶ講義を受けることで、知ること・学ぶことの意味を考える機会がありました。

はじめてのスクーリング

先日、はじめてのスクーリングがありました。

通信制大学での学びは、自宅学習とスクーリングで構成されています。
スクーリングとは、簡単に言うとライブの講義のことです。
だいたい土曜の午後と日曜に、1.5日間の集中講義の形で開催されます。
キャンパスで行われることもあれば、Zoomで遠隔開催されることもあります。
講義の内容によっては、京都の寺院や庭園などに実際に行くフィールドワークもあります。

先日はZoomの遠隔講義でしたが、学友と一緒に講義を受けていると「あぁ、大学生になったんだなぁ」という気持ちになるものですね。

受講したのは「美術資料の読み方」の日本・東洋編ということで、こんなのを読み解いてみましょうという講義です。

《伊勢物語絵巻》初段(和泉市久保惣記念美術館蔵)
法隆寺金堂 《釈迦三尊像》 光背銘文

左のミミズみたいなのが変体仮名文字で、右の拓本は漢文です。

漢字は仏教とともに朝鮮半島経由で中国から入ってきました。
だから、そもそも外国語なんですよね、漢文は。
もともと日本国内では日本語が話されていたわけなので、その日本語の音に漢字を当てたの仮名文字ですね。要は当て字です。
当て字だから、ひとつの音に対して複数の漢字がある。
たとえば「あ」という音を表すのは「安」でも「阿」でも「愛」でも「悪」でも良くて、そのうち明治以降の学校教育で用いられなくなったものが変体仮名です。
その変体仮名を含む仮名文字で、ミミズのようにニョロニョロと崩されて書かれているのが、よく絵巻物とかにあるあれです。

漢文も変体仮名も、当然今の日本語とは違うので、読み方によって解釈が変わってくる。
だから、研究をする人は一次資料の基本的な読み方の習得が必要ですよという話です。

正直、「マジか~!!!」って思いますけどね。なんたる面倒臭さ。
でも必修なもんで。
意識が飛びそうになりながらも、とりあえず素直に講義を受けてみました。

美術史を学ぶことの意味

2日目の講義で主に扱われたのは、聖徳太子と法隆寺についてでした。

聖徳太子は謎の多い人物として知られています。
没年に関する資料も、『日本書紀』では621年、『上宮聖徳法王帝説』という聖徳太子の伝記を集めた資料によると622年と残されています。
様々な資料を検証した結果、今では622年説が有力だそうです。
いや、どっちでもわたしの人生には関係ないしって気もしますけどね。(先生も何度もそんなこと言ってた…笑)

法隆寺には「再建非再建論争」という、日本史研究界隈では非常に有名な論争があります。
現存の法隆寺は最初に建てられたものなのか、それとも焼失後に再建されたものなのか、明治以降に東大の先生方を中心に喧々諤々の論争があったという。
今では発掘調査の結果もあって再建であることが判明しているそうですが、こちらも正直、そんな昔のことにはあまり興味を持てない気がしてしまいます。

そう、個別の事象はわたし自身には直接的な影響も関心もないように思います。
正直な話、わたしはそこまで美術史の細かいところに興味あるわけではないのです。
(芸術理論や美学に興味があって芸術学コースというこのコースを選びました。)
だから、この講義を受けるのはなかなかしんどかったのですが、先生の話を聞いているうちに、じわじわと感じてきたことがありました。

それは、「なんだって疑っていいんだな」ということです。

たとえば、『日本書紀』は日本最古の勅撰国史、つまり、天皇の命によって編纂された正統な歴史書です。
『日本書紀』を否定するなんて、時代が時代なら生命にかかわることだったはずです。

法隆寺だって、過去の権威のある人たちによる定説があります。
みんながあたりまえにそれを信じて、その定説を前提に色々なことを考えています。
覆すのは並大抵のことではありません。

でも、なんだって疑っていいのです。
疑うことでひらける新たな可能性があるかもしれないのです。

そこには、やみくもに全てを疑うのではなく、
自由と可能性を信じるからこそ「あたりまえ」を疑うアカデミックな姿勢があるのだなぁと
なんだかちょっと感動したのでした。

リテラシーは「あたりまえ」を疑う力

では、どうすれば「あたりまえ」を疑うことができるのでしょうか?
何があれば「あたりまえ」を疑って新たな可能性をひらいていくことができるのでしょうか?

わたしは、そのために必要なもののひとつがリテラシーなのだと思います。

リテラシーとは、簡単に言うと読み書き能力のことです。
辞書には「コンピューターや情報を、うまくあつかう知識・能力」ともあります。

わたしは、最初の大学(20年前!)でメディアの勉強をしていたのですが、そのころ耳にタコができるほど「メディア・リテラシーが大切!」と言われてきました。
メディア・リテラシーとは、メディアの情報を主体的に読み解く力というような意味です。

たとえば、わたしはアラビア語はさっぱりわからないので、誰かに「このアラビア語は『ゆきこ』っていう意味だよ」なんて言われると、それを鵜呑みにしてしまいます。
そして、それをお名前シールにして持ち物に貼り付けちゃうかもしれません。
でも、実はそれは全くの間違いだったり、とんでもなく恥ずかしい意味をもった字だったりすることもありますよね。(たまに見かける変な漢字Tシャツのように)
リテラシー=読み解く能力がなければ、それを検証することすら難しいのではないでしょうか。

リテラシーがなければ、本当の意味で信じることなんてできないんじゃないかなとわたしは思います。
自分で読み解くことができなければ、言われたことをそのまま盲信することしかできません。
本当にそうなのかな?と疑って、検証して、やっぱりそうなのだと確信するプロセスがあってこそ、心から何かを信じることができるのかもしれません。

だから、変体仮名も漢文も自分で読み解く能力が必要なのですね。
もちろん、そういった対象を研究するならば、の話ですが。(わたしの場合、どうかな…??)

「わたしは、わたしに対するリテラシーを十分に育んでいるだろうか?」

さて、視点をコーチングにうつしてみましょう。

そうすると、コーチングってリテラシーを育むことなのかもしれないという気がしてしました。
自分と世界を読み解いて、うまく付き合うためのリテラシーです。

いま眼の前にあることだけが「あたりまえ」なのではなく、違う見方や考え方、新たな解釈の可能性があること知ることで、リテラシーは強化することができます。

知ることは、よりよく信じることにつながります。
自分と世界をよりよく信じることができれば、その先の人生の可能性は大きくひらかれていくのではないでしょうか。

「わたしは、わたしに対するリテラシーを十分に育んでいるだろうか?」

その問いをいつも胸に抱いて生きていきたいなと思った、スクーリングの週末でした。

あなたは、あなたに対するリテラシーを十分に育んでいますか?

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BLOG コーチングといううつわ

コーチングでは“落としどころ”を用意しない?

コーチが“落としどころ”を用意しないことは、コーチングの特徴のひとつです。

「え?“落としどころ”なしで大丈夫なの?」ということを、少し考えてみました。

コーチは“落としどころ”を用意しない

先日、とあるコーチング本を読んでいたら、こんな記述がありました。

LESSON 06 コーチングの達人に向けて
SKILL51 “落としどころ”を用意しない

 コンサルタントとカウンセラーとコーチの違いについてきかれることがよくあります。
 コンサルタントは“行動を提案する”ことが特徴のひとつでしょう。カウンセラーは“ある心理状態を引き起こしている理由をクライアントから引き出す”のが特徴といえるでしょう。
 コンサルタントもカウンセラーも“相手をこういうところへ導きたい”という落としどころはちゃんと持っているのではないでしょうか。


 それに対して、最後の最後まで「で、あなたはどうするの?」ときき続ける、まったくなんの落としどころもなくクライアントに立ち向かっていくのはコーチの最大の特徴といえるでしょう。

鈴木義幸「新コーチングを人に活かす」(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2020年)

コンサルタントやカウンセラーとコーチの違い、たしかによくきかれることです。
私自身も、コーチングを受けてくださる方にはガイダンスで必ず説明するようにしています。

いつもはこんな感じの表を使って説明しています。

この落としどころの有無というのは、シンプルで的を得た、すごくわかりやすいポイントだと思います。

最近、優秀なコンサルタントの方たちとお仕事させていただく機会があったのですが、彼らは常に自らの仮説を構築し、検証しながら、コミュニケーションを取るように訓練されています。
その姿勢は、コーチングとは別物だけど、プロフェッショナルとしてかっこいいなと憧れます。

クライアントも“落としどころ”を用意しない?

では、コーチングのクライアントはどうなのでしょう?

コーチングは、コーチとクライアントのふたりでつくるものです。
コーチが“落としどころ”を用意していないのならば、クライアントが用意しておかなくてはならないのでしょうか。

答えはNOです。

クライアントも“落としどころ”は用意しません。

たしかに、テーマやゴール(そのセッションで手に入れたいものや状態)はクライアントが用意します。
そのゴールに向かって「で、あなたはどうするの?」ときかれつづけることで、
クライアント自身が予想もしていなかった答えが出てくるのがコーチングです。

クライアントはテーマやゴールは用意するけれど、“落としどころ”は用意しないんですね。

“落としどころ”はなくても、“至るところ”はある

コーチングでは、コーチもクライアントも“落としどころ”を用意していません。

セッションはただのおしゃべりではありません。
価値ある対話の時間です。
そして、時間は限られています。

“落としどころ”を用意していなくても大丈夫なのでしょうか?

はい、大丈夫です。

なぜなら、“落としどころ”を用意しなくても、“至るところ”はあるんです。

コーチングセッションの終盤では、必ずそのセッションのふりかえりをします。

コーチはクライアントに問いかけます。

気づいたこと。
手に入れたこと。
変化したこと。
この時間でどこまで進んだのか。

セッションで至った現在地を確認し、さらにそのさきに向かって問いかけます。

「で、あなたはどうするの?」

コーチングには“落としどころ”はありません。
話すことで至った、“今”があります。
それは、そのさきにずっと続いていく学びと成長のプロセスの一部なのです。

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名もなき週末を気持ちよく終える

こんにちは!ほそかわゆきこです。

今年のGWは、おかざき真里先生の「阿・吽」全14巻を読破して大いに感動し、最澄様の大ファンになりました。
その後、京都の国立博物館で開催されていた「最澄と天台宗のすべて」展に行ったところ、ミュージアムショップで最澄様クリアファイルを発見し、迷わず購入してしまいました。

この美しさは不可抗力!

さて、今日は最近のことについて書きます。

名もなき週末

突然ですが、日曜の夜に「今週も名もなき週末を過ごしてしまったな」と思うことがあるのです。

名もなき週末って何?って話ですけど。

名のある週末っていうのは、わかりやすく言えば「一泊二日温泉旅行」みたいなことですね。
「SNSに投稿しちゃおうかなー」っていう、そういうあれです。
イベントごとはたまにあると楽しいんだけど、しょっちゅうあっても正直疲れちゃいます。私は。

それから、あらかじめ仮の名がついていた場合もありますね。
「レポート課題をここまで進める週末」みたいなね。
そう目論んでいたんだけど実際はそうならなかったときなんかにも、
つくはずだった名を失って、名もなき週末になってしまうことがあります。

昨夜の場合

つまり何なのかというと、
先週の日曜の夜にも、どちらかというと後者の理由によって「名もなき週末を過ごしてしまったな」と感じていたっていう話なんですが。

サザエさん症候群じゃないけれど、「もう週末終わっちゃうのかー」とハッとする瞬間。

そういう時、
そこまでパッとした出来事がなくてもふりかえってみれば何かしらのハイライトはあるものだから、
そういうものをピックアップして名を付けてみるというのも、ひとつのやりかただと思います。

が、昨日はそういう気分ではなかったのです。
ふりかえってはみたものの、なんとなく「要約したくない」とい感じました。
ピックアップすることで、取りこぼすものが多すぎるというか、大切な全体の空気感が損なわれてしまう気がしました。
細々とした雑多なものたちを、全部まるごと「OK!」と抱きしめたいような気持ちだったんですね。

だから昨日は「終わりよければ全てよし」方式に切り替えました。

気持ちよく終えるために

そうなると、重要なのは「いかに気持ちよく終えられるか」ということ。

昨日、気持ちよく終えるために機能してくれたものは3つ

ひとつは、洗いたてのベッドリネン
仕事をしていると、休日は貴重な洗濯日なのです。
それは個人事業主だろうと在宅勤務だろうと変わないところで、洗濯は週末の最重要MUSTであります。
洗いたての香りのするシーツにくるまれながら、ちゃんと洗濯した自分を全力で褒めてあげました。笑

もうひとつは、すっきりと軽い頭と体
去年のクリスマスに自分用に電動の頭皮マッサージャーを買ったんです。シャンプーしながらウィンウィンもみほぐしてくれるやつ。
なかなか時間がかかるので、週末のスペシャルケア専用になっていて。
これを使うと本当に気持ちいいし、目や頭、首まですごく軽くなるんです。
GW明け、集中してPCとにらめっこする時間も長かったので、眼精疲労から頭皮がガチガチになっていたようです。
ふわふわした気分で「やれてよかったー」って思いました。

最後のひとつは、隣で眠る息子たち
彼らの健やかな眠りごと抱きしめると、心から安らぎ、満たされた気持ちになります。
ありがたいことに当たり前にいてくれる存在だけど、その愛しさを存分に味わえるかどうかは自分次第なことが多いもの。
「ああ、なんて幸せなんだ…」と噛み締めながら眠りに落ちた21時半。

うーん、改めて書いてみると、「名もなき週末、最高じゃないか!」という気分になってきますね!

さて、心身ともにしっかりチャージされたので、進まなかったレポート課題は今週がんばります。

「普通の会話を愛している」

この文章を書きながら、頭の中ではこの曲がぐるぐる回っていました。
こういう、どこにも行かない系の夜の曲(完全主観による命名)って好きです。

cero / 大停電の夜に

「普通の会話を愛している」って素敵ですね。
私も普通の会話、何気ない日常、名もなき週末を愛して生きたいと思っています。

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祝・レポート1本目提出!

4月から始まった大学生活。
粛々と学習を進めている今日このごろです。

調子に乗って、図書館で大量に貸出予約しちゃった美術全集(本文には関係ありません)

さて、先週末、記念すべき1本目のレポートの提出を完了しました!
提出期間の最終日、締切時間のの4時間前に出せました!わーい(^^)

レポートはこれから山ほど書いていく予定ですが、正直気が重い……。
「レポートか…大変だなぁ……ふう。」という感じです。

文章を書くことではなくて、書き上げることに「ふう。」な気がしていますが、
息をするようにレポートを仕上げられる人になりたいものです。

テキストレポート科目とは?

私がこの春から通いはじめた通信制大学の科目形態は、テキスト科目スクーリング科目に大きく分けられます。

今回、レポートを提出したのはテキスト科目の中でもテキストレポート科目という履修形態の科目です。
テキストレポート科目は、テキストや補助教材で自分で学習し、レポート課題の提出&試験の合格により単位を修得する科目。
春夏秋冬の各学期(3ヶ月単位)では、1ヶ月目にレポート課題提出、2ヶ月目に添削された課題が返却され(場合によっては再提出)、3ヶ月目に試験を受験という流れなります。
課題と試験に合格すれば、単位修得という仕組みです。

入学して初めて迎えた22年春学期、レポート課題提出期間はなんと4/21〜30。
さすがに時間がないので、まずは1科目だけ試しに履修してみることにしました。

「ことばと表現」から学んだこと

最初のテキストレポート科目に選んだのは「ことばと表現」
副題は「大学で書く日本語の基礎」で、これまであまり文章を書いた経験のない人にオススメの科目だとのこと。
「いやいや一応文学部卒だし、ここまでの基礎はいらないのでは?」とも思いつつ、「とにかく気軽に手を付けられる科目から始めたい!」とこれに決めました。

結果、この科目を取ってよかったなーと思っています。

なんといっても、テキスト(「ことばと表現」)が読みやすくて素敵でした。
「芸術学舎」という京都芸術大学の出版局から出ている本ですが、Amazonで誰でも購入することができます。

君野隆久「ことばと表現」(芸術学舎 年)

第一章「書きことばの基礎」は、「文章を書くときの出発点としてもっとも大切なことは、『自分の書きたいことを書く』ということです。」という文から始まります。
当たり前なんだけど、忘れがち、ぶれがち。
レポートだからといって「書かされる」姿勢じゃなくて、課題の中に自分の思いをちゃんと見つけて「書きたい」姿勢で取り組みたいですよね。

他にも、

書きたいことがあるとき、その文章は強さをもち、流れをもち、リズムをもちます。読む人にわかってもらえるのです。文章を書くことの根底は、表現です。歌を歌うように、楽器を演奏するように、ダンスをするように、絵を描くように、文章を書くことをとらえてみましょう。そしてそのような心で書いてみましょう。

とか

ひとつの語が別の語を呼ぶとき、紙に書かれた(あるいはパソコンの液晶画面の上の)ことばと、書き手であるあなた自身が、ともに作用しあって「書く」というプロセスに入るのです。人とことばとがある種の協働関係に入ることが、「書く」ということの本質です。

とかは、対話的ですごくいいなと思いました。

それから、

一回で他人に見せられるようなきちんとした文章を書ける人は、作家やジャーナリストなどの文章のプロと思われる人にもほとんどいません。「文章が上手な人」というのは、そう思われるまで自分の文章に関心をもって書き直せる人のことです。何回も何回も自問自答しながら書き直すことによって、人目に触れるに値する文章ができあがってゆくのです。

もね、サボりがちだけど、本当に大事なことですよね。

他にも、文章を書くためのステップ(まずはメモから始める)や、表記の注意点(各種記号の使い方や、漢字とかなの使い分けなど)は、改めて「そうだったんだ!」と知ることの多い内容でした。

大学で学ぶ人のために基礎的な知識と心構えを記した内容ではありますが、文章を書くことに苦手意識を持っている全ての方にオススメしたい本です。

レポート課題をやってみて気づいたこと

久々にレポート課題をやってみて改めて気づいたのは、自分はギリジン(なんでもギリギリな人)だなということ。
私の場合、ギリギリまで手を付けないというよりも(もちろんそういうときもあるけど)、ギリギリまで仕上げないんですよね。
6割ぐらい手をつけたら、「あとはなんとかなるさー♪」とギリギリまで寝かす。

それが駄目なわけではないけれど、未完了となって全体的なパフォーマンスに影響が出るのは避けたいところです。
自分の中で細かく締切を設定し、強制的に手放さなきゃいけない状況を作るようにしようかなと思っています。

今回は1科目だけだったけど、これからは同時期に複数科目のレポート提出をしていかなきゃなりません。
もちろん仕事もあるし、5月からはコーチングのトレーニングも始まる予定。
ということは、スケジュールやタスク、時間、体調などなど、諸々のセルフマネジメントがますます重要になってきそうです。

今回提出したレポートは5月下旬に添削結果が返ってくるそうです。
どんな感じで返ってくるのか楽しみにしつつ、気持ちを切り替えて、まずは眼の前のGWをエンジョイしてきます(^^)

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BLOG 人生にコーチングを!

「自分と対話する贅沢な時間」

私は、どんな方の人生にもコーチングがあればいいなと思っています。

でも、コーチングを経験したことのない方は、
「コーチングって受けたら実際にどんな変化があるの?」
と疑問に思っていらっしゃるのではないでしょうか。

この記事では、その疑問にお答えすべく、実際にみみをすますラボで継続セションを受けてくださったクライアントの声をご紹介させていただきます。

クライアントご紹介

今回ご紹介させていただく仁科さんは、私がコーチングを始めたばかりの時期から受けてくださっているクライアントさんです。
最初にお話させていただいたのが2019年の末なので、もう2年半のお付き合いになります。

毎回のセッションで、A4用紙1枚にメモしているセッションログ。
仁科さんのログを数えてみたところ、その枚数はなんと30枚超。ノート1冊分くらいの分厚さです。
ちょっとした歴史ですね!

しかも、テーマの大小はあれど、毎回「人生」について話をしているわけです。
そんな濃い時間をともにする関係って、コーチング以外でなかなかないよなぁ……と
改めて、しみじみ喜びを噛み締めております。

クライアントの声

仁科さんからは、こんな体験談をお寄せいただきました。

私がコーチングを受け始めたのは2人目の育休を終え、仕事と家事育児を両立しようと一生懸命な時期でした。
その頃はいつも理想のワーキングマザー像になれない焦りや葛藤を抱えていました。

そんな私がコーチングを受けるようになって変わったことが3つあります。

1つ目は、生きづらくしていたのはこうあるべきという自分の固定観念だったことに気づけたことです。
「自分がやらないと」「自分が頑張れば」と考え、でも思い通りにできず苦しかった所に、コーチの問いかけで他の可能性に気づいたときには衝撃を受けるとともに希望が見えました。

2つ目は、何かもやもやする出来事があった時に自分の感情を分析する癖がついて客観的に捉えられるようになったことです。

3つ目は、目標達成が早まったことです。
やることを自分で決めた以上やってないといいづらい環境が設定されますし、もしやれなかったときにはどうしたらできるのかや、そもそも本当にやりたかったのかを見つめ直すようになりました。

セッションの時間はコーチと話しながら自分と対話する贅沢な時間だと感じています。
今ではコーチは私の人生の伴走者であり、家族や友人以上に本音を言える存在になっています。

嬉しいお言葉に感動してしまいました。

本当にありがとうございます(*^^*)

私からのメッセージ

私から見た今の仁科さんって、「うまくいっている人」だと思うんです。
ご機嫌で、自分らしく、成果も出している人です。

体験談に書いてくださっているように、
もちろん最初からそうだったわけではなく、ご自身がコーチングを活用しながら取り組んでこられたからこその今の姿です。

そんな「うまくいっている人」なので
最近の仁科さんとのセッションでは、課題解決とか目標達成といった「なんとかしなきゃいけないこと」がテーマになることが、ほとんどありません。

コーチングを、ただの目標達成ツール=理想と現状のギャップを効果的に埋めるためのものって思っている人からすると、「なんのためにコーチング受けるの?」と不思議に思われるかもしれませんね。

最近、仁科さんとお話していることは、
ちょっと先の未来の話とか、本や人の話から考えたこととか、何かの出来事のふりかえりとか、
そういったことが多いです。

そこにあるのは、「話すことで自分を知る」という姿勢ではないかと思います。

話すことで知る自分のことは、たくさんあります。

自分の中にあった何かを、よりはっきりとイメージできたり、
自分の中にある思いの強さを改めて確認したり、
同じことを話していても、自分の中で起きている微細な変化に気づくことができたり。

そうやって、自分のことを知っていっても、
それでもまだ存在していた自分を制限しているものに気づいたり。

そういうものに気づいた時、
「まだまだ自由になれる!可能性はいくらでも広がっていくんだ!」と
私は嬉しくてたまらなくなります。

仁科さんとのセッションは、私にとってもそんな贅沢な時間なのです。
これからも、その可能性の果てしなさを、私や周りの人に見せていってくださいね。

さいごに

自分を知っている人は、ご機嫌に軽々と目標を達成していきます。
「頑張る」以外のやり方で、自分を面白がりながら進んでいくことができます。

もちろん、誰でもすぐにそうなるわけではありませんが、
自分とうまく付き合いながら生きていく方法を知るために、
コーチングで、コーチや自分自身と対話することが有効です。

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ガイダンスと履修計画

私、この春から大学生になりました
京都芸術大学 通信教育部 芸術学部 芸術学科 芸術学コースの3年生です。
どんだけ「芸術」並んでんの!?って感じですが、はい、芸術を学びます。

約20年ぶりの大学生活。
しかも芸大、さらに通信制。
初めてのことや久しぶりのことが盛りだくさんの日々です。
せっかくなので、この日々の出来事を記録に残しておきたいと思っています。

MIHO MUSEUM

ちなみに、この写真は信楽にあるMIHO MUSEUMの桜。この日が満開でした。
これからは、美術館や展覧会にもどんどん行くつもりです。

新入生ガイダンスに参加しました!

先日、新入生ガイダンスに参加してきました!

ガイダンスは何日程か用意されていて、会場に行って参加するか、Zoomで遠隔参加するか選べる形。
私は、外苑前キャンパスで行われたガイダンスにZoomで参加しました。

ガイダンスでは、先生から、芸術学コースの教員や科目について説明していただきました。

担当の先生から新入生に向けたお話で心に残っているのは、
「学び散らかすのではなく、学びを蓄積すること。そして、それを周りに還元して欲しい」
というお言葉。

本当に、特に学部の学びは幅広いので、うっかりするとあれもこれもと学び散らかしてしまって、後になって「あれ?結局、何学んだんだっけ?」ってなる恐れありです。
もちろん、入学したばかりだし、「色々知りたい!学びたい!」っていう好奇心は滾ってるんだけど、
蓄積された学びにしていくためには、ひとつひとつを自分の中でしっかり受け止めることが大事なのかなと思います。
そして、それを忘れないようにしなくては…!
壁に貼っておくべき言葉ですね!

それから、勉強のコツとして「絶望しないこと」とおっしゃっていたのも印象的でした。

芸術なんて、簡単にはわからないものです。そして、沼。
たぶん、少しだけわかることができると、とんでもない量のわからないことの存在に気づくのだと思います。
そのことに絶望せず、「そういうものだ」とコツコツやっていく姿勢ですね。
改めて、「時間はかかってもいいから、離れずに続けていこう」と覚悟しました。

履修計画は悩ましい…

入学して、学び始めるために必要なことのひとつ。
それが履修計画です。

どんな科目をいつ学ぶのかを決めないと、何も始まらないわけですね。

芸術学コースというのは、芸術史、芸術理論、美学などを学ぶコースで、
私はどちらかというと美学や芸術理論に興味があります。
でも、これまでの具体的な作品や事象の理解なしでは、とんでもなく抽象的な話ばかりになりそうなので、
美術史を学ぶことで「あ、そういうことか」と知っていくことも重要なことなのだろうと思っています。
なので、今のところ、コースの内容は全方位学びたい!笑
さらに、総合教育科目(いわゆる一般教養科目)にも、興味を惹かれるものがちらほら…
でも現実的にやれることには限界があるので、どんな科目を選んでいくのかは非常に悩ましいところです。

通信教育部の1年は、春夏秋冬の4学期から成ります。
各3ヶ月ずつ。長期休暇はない!
むしろ、通学部が夏休みになる夏学期の期間は、集中してスクーリングの講義が開催される時期だったりします。

もうひとつ特徴的なのは、原則として一括しての履修登録がないということ。
スクーリングの受講は事前申込が必要だけれど、それは履修登録とは別なんですね。

20年前、通学制の総合大学に通っていた頃は、
1年は前期後期に分かれていて、4月に1年分の履修科目の登録をしました。
途中で見直しができる期間はあれど、履修登録に失敗するとえらい目に合う仕組みです。

一方、通信教育部の場合、事前の登録なしで、いつでも履修開始してOK。
各々が、公開されているシラバス(各科目の教材や課題等の詳細が記載された資料)を確認して、勝手に学習を開始します。
取り組むべき学習内容はシラバスに記載されていて、テキストを読んだり、作品を鑑賞して調べたり、制作をしたり、動画教材を見たりといったことをします。
そして、定められているレポート提出期間にレポートを提出し、試験期間に試験を受けて、合格したらその単位を取得できます。

もちろん、コースを卒業するためには、定められた終了要件を満たす必要があります。
決められた必修科目や科目群ごとの必要単位数の取りこぼしも、気をつけなくちゃいけないところ。

つまり、自分で抜け漏れのない長期的なプランをたてて、学習スケジュールを管理していくことがめちゃくちゃ大事!
できるのか?私……
このあたりの仕組みは、出願前に何度も開催された説明会で詳しく聞いて覚悟していたものの、やっぱりドキドキするところです。

とはいえ、22年春学期は、学び始めの時期。
いつでも履修開始できるということは、いつからでもプランを作り直せるということ。
なので、まずは基本となる科目を最低限だけ履修してみて、
芸術学や通信制の学びの特徴と、自分に合った学び方やペースを知る時期にしようと思っています。

万里の道も一歩から

新入生ガイダンスを終え、履修プランを立て、いよいよ学び始めた私が今感じていること。
それは「果てしないー!!!」ということ。
思っていた以上にひとつひとつに時間が必要だと痛感していて、なんとかもっと時間を捻出できないか試行錯誤中です。
そして、始まったばかりだから当たり前だけど、全然手応えありません。
1ミリもわかった気にさせてくれない!笑
でも、「絶望しないこと」と自分に言い聞かせて、少しずつ学び進めたり、ちょっと立ち止まったりしています。

これから、学んだことについても、ここで書いていければいいなと思っています。

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BLOG うつろう風景

2度目の大学生になりました

春ですねぇ。

我が家の近くにある長浜城(「日本さくら名所100選」のひとつ)も、すっかり満開です。

4月、新年度が始まった方も多いのではないでしょうか。

進学や就職、異動といった大きな変化のある方も、
特に大きなイベントはないものの「春だから何か始めようかしら」なんて考えている方も、
皆さんそれぞれの春の話を伺うのは、心はずむ楽しい時間です。

大学で芸術を学びはじめます

わが家ではこの春、息子たちがそれぞれ進級した他、なんと、私自身が大学に入学いたしました!

大学は、20年ほど前に一応卒業しているので、2度目の大学生ということなります。
京都芸術大学 通信教育部 芸術学科 芸術学コースというところです。

京都芸術大学(旧・京都造形大学)には通学部もありますが、
私は通信制で、自宅での学習と週末のスクーリングが中心となります。
3年次編入なので、最短2年で卒業できるのですが、
4年くらいかけて、じっくり学んでいくつもりです。

芸術学コースでは、芸術論、美学、美術史なんかを学んでいきます。
芸大生なのに、制作しません。
もちろん、他には制作をするコースがたくさんあります。
そういうコースでは、最終的には卒業制作に取り組むのでしょうが、私は卒業論文を書く予定です。
卒論のことを考えるとちょっと構えてしまいますが、なんとかなるようにやっていきます。

「芸術を学ぼう」というのは、去年の夏の終わりぐらいに降ってきたアイデアで、
前々からずっとやりたいと思い続けていたことというわけではないのだけれど、
一度思いついたら、「ああ、これだ!」と非常にしっくり来てしまったのです。

何かに対して「美しい」とか「素晴らしい」とか「面白い」とか感じることは、
私の意志を超えて起こるにも関わらず、私自身を突き動かす力を持っています。

そういう不思議さについてもっと探求したいと望んだ時に、
芸術を学ぶことはひとつの方法なのかもしれないと思ったのです。

全てがハッキリと言語化できているわけじゃないんだけど、そういう思いで、迷うことなく入学を決めました。

やりたいと思ったことを、迷わず実行できる環境に感謝しながら、
これから広がる深遠な世界を、一歩ずつコツコツと進んでいきたいと思います。

行けなかった入学式

4月3日には、京都にある大学キャンパスで通信教育部の入学式がありました。

私の自宅からこの瓜生山キャンパスまで、電車で片道1.5〜2時間くらいかかります。
日々通学するのはしんどいけれど、たまの週末に通う分には楽しい距離ですね。
なんといっても京都!京都に行く理由が増えるのは単純に嬉しい(*^^*)

この入学式(とその後の新入生ガイダンス)、現地で参加するつもりで申し込んでいたのですが、
結果、私は参加することができませんでした。
なぜなら、新型コロナウイルス感染症の療養中だったから‥
入学式の2日前に発症して、この日は高熱を出しながら、オンラインで中継される映像を眺めていました。
(軽症だったので、今は無事に回復しました!)

今年から新設された書画コースに入学された歌手の橋幸夫さんが、新入生代表の挨拶をされていました。

橋幸夫さん、来年80歳だそうです。
高校2年生から芸能活動を始めたため、学びたりなかった学生生活に心残りがあったんですって。
歌手生活引退を機に、かねてから嗜んでいた書を本格的に学ぶために、大学入学を決めたとおっしゃってました。
命尽きる前に卒業を!という意気込みに圧倒されてしまいましたが、
何歳からでも学び始めることができるって、本当に素晴らしいことだと思います。

通信教育部では、リタイア後の人、働きながら学ぶ人、高校卒業したばかりの人、
本当に多様な人たちが、それぞれの思いで学んでいるそうです。
これからの学生生活でどんな出会いが待っているのか、楽しみな気持ちでいっぱいです。

これからは、そんな私の学生生活についても、ブログに書いていけたらいいなと思っています。

まだ「山眠る」

実は、これを書いている今日が、コロナの療養期間の最終日です。
私の新年度、いきなり足止め感はありましたが、明日から再スタート。

じゃあ、「やるぞー!」とウキウキワクワクでいっぱいなのかというと、そうでもなく。

今の気持ちはこんな感じ。
私の中はすごく静かなんだけど、底の方に熱い何かが眠っているのかもしれません。

冬山惨淡として睡るが如し/Templay

この数ヶ月、この曲を本当にいっぱい聴きました。
そういう時期、そういう曲ってありますよね。
この時期に、こんな気持ちで、この曲と一緒にいたんだということを、忘れないでいたいなと思います。

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BLOG わたしの想い

わたしの点と線〜今の自分は全然わかっていない

いきなりですが、私には「プロセス味わいたがり気質」みたいなものがあります。
何かに取り組むとき、ただ物事をこなすのではなく、楽しんでやりたいなーと思いがちということです。

それから、「世の中的な正解は知らんが、自分の納得できることをやりたい」という、頑固者気質もあります。

だから、新しいことを始める時は、それが自分にとって納得感のある面白そうなことであれば、大きな決断であっても大胆に迷いなく始められます。
逆に、楽しめなさそうなこと(ちょっとやりたくないこと)はずっと着手できないことも…

体を鍛えることは、運動嫌いの私にとって、ずっと着手できていないことのひとつです。
何度も自分がコーチングを受ける時のテーマにしたことがあるのですが、なかなかうまく行かず。
だって、楽しいイメージを全然思い描けないですもん。全然やりたくないんです。
でも、とうとう自分の中での体を鍛えることの重要性の上昇を感じたので、この件に関しては「楽しいを捨てる」という決断をしました。笑
お仕事モードで、割り切って効率的にやっていきます!

コーチングを始めたばかりの頃の話

この「楽しいを捨てる」ということから、ふと思い出したのは、コーチングを始めたばかりの頃のこと。
今思えば、始めたばかりの頃、コーチングをすることは全然楽しくなかったなー、ということです。

そもそも私は、クライアントとしてのコーチング経験のない状態で、「よし、プロコーチになろう」と決めたんです。
我ながらちょっと信じられないですけど。笑

2019年のことですが、私はただ、仕事を変えたいと思っていました。
もともと、東京のベンチャー企業で会社の数字を管理するような仕事をしていました。
月次、四半期、年次の決算スケジュールに合わせて動く、ロジックと正確性と専門知識を求められる、変化スピードの早い仕事でした。
それなりに面白くやっていたのですが、忙しすぎたり、自身に合っていないと感じていたり(数字や正確性が苦手‥)、他にもこのままではいけないなーと思うようなことがあったりして、
個人でいつでもどこでもできる仕事、自身の感性やコミュニケーションを使う仕事、自分の人生経験が糧になっていくような仕事をしたいなーと思っていました。

そういう仕事って何かな?といくつかリストアップしてみた中に、「コーチング」があったんです。
実際に受けたことはなかったけれど、コーチングというものがあることは、セミナーなどで知っていたんですね。
そしたら、たまたま前職の社内にプロコーチの方がいらして。
それまで個人的にお話したことはなかったんですが、「コーチングに興味あるのでお話聞かせてください」とお願いしたら、快くご対応くださって。
その時の傾聴っぷりや温かいあり方に「こんな人がやっているコーチングは良いものに違いない」と思い、「よし、プロコーチになろう」と決め、その後すぐにコーチ・エィ アカデミアというコーチングスクールに申し込みました。
たまたまそんな方に巡り会えるなんて、改めて、本当に自分はラッキーな人間です。
だから、先に魅力的なワークショップデザイナーに巡り合っていたら、きっと私はワークショップデザイナーになっていたんだと思います。
それぐらいの動機で始めました。

それが、2019年の秋から冬にかけてのことです。
コーチングがどんなものなのか、自分がどんなコーチになりたいのかもわからないなか、「プロコーチになる」という決意だけ握りしめて、とにかく目の前のやらなきゃいけないことに取り組んでいました。
始めたばかりの時は、会社の仕事をしながら、早朝や昼休みにスクールの勉強をし、その隙間でクライアント候補を見つけてセッションをさせてもらうという目まぐるしい日々で、過労による風邪から声帯炎になり、1ヶ月くらいまともに声が出なくなったほどでした。
その後、会社を辞めてからは時間的余裕はできましたが、コロナが起きたり滋賀に引っ越したりと、環境面での大きな変化がありました。
そんな変化に一生懸命適応しながら、ただ粛々とコーチングを学び、セッションをしていました。

今思えば、その頃、コーチングをすることは全然楽しくはなかった。
もちろん、嫌々やっていたってことじゃないですよ!
クライアントさんの話は興味深く、新しい知識やスキルを学ぶことも面白かった。
でも、「コーチングをする」という意味で楽しいと感じられるようになってきたのは、始めてから1年ぐらい経ったころだったと思います。

やっぱり、コーチングの楽しさをわかるまでに時間と経験が必要だったということだと思います。
最初は「こうやってみましょう」と言われたことを、自分なりに一生懸命やっているだけですから。
その時に、自分がどんなことを感じているのか、自分の中でどんなことが起きているのか、相手はどうなのか、自分と相手の間だとどうなのか。そういうことを感じる余裕がないですから。
だから、この「全然楽しくなかったな」というのも「今思えば‥」の話ですね。そんな楽しさがあるという事自体、当時はわかっていないわけですから。
ただ、メンターコーチやコーチングクラスでのフィードバックから「自分は成長しているらしい」と感じたり、クライアントの方の様子から「それなりに役立っているようだ」と感じたりすることが、続けていく力になったように思います。
あとは、払った学費ととりあえず決めた目標(プロコーチとACC)も、「まずはそこまではやってみよう」と思わせてくれたものだと思います。

今は、コーチングをすることは、とても楽しいです。これからも、もっと楽しくなっていく予感があります。
同時に、コーチングというものも、興味深く面白いです。
クライアントさんたちは素晴らしく、周囲のコーチング界の方々は温かく尊敬できる方ばかりです。
コーチングというものが自分にあることによって、これから広がっていく他の可能性も感じています。
本当に始めてよかったなと思っています。

だから、今だから思うことは、「よくわからなくても始める」とか「楽しくなくても続けてみる」ということは大事だなということです。

私の中にある点と線

時々「Connecting the dots」のことを考えます。スティーブ・ジョブズの有名なスピーチです。

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. 
You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. 
Because believing the dots will connect down the road, it gives you confidence to follow your heart; even it leads you off the well-worn path. And that will make all the difference.

先を見通して点をつなぐことはできない。後から振り返ってつなぐことしかできない。
だから将来何らかの形で点がつながると信じることだ。
何かを信じ続けることだ。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも。
なぜなら、点と点がつながって道になると信じることは、自分の心に従うための自信になるからだ。たとえそれで人並みの道から外れたとしても。
そのことが大きな違いを生むだろう。

間違いなく、コーチングは私の点です。
何の保証もなく、ろくな計画もなく、直感にしたがってエイッと踏み出した点です。

コーチングが楽しいと感じられるようになってから、「あれ?これと同じ感じ、知ってるかも」と感じることが出てきました。
過去に自分が興味を持って取り組んだこととの、共通項に気づくようになったのです。
そうすると、自分の中の点たちが線としてつながってきました。

そのことによって、私にとってコーチングは、ますます面白く興味深いものになってきました。
自分の中のコーチングの意味が、他の点とのつながりによって変化しています。

それに気づくことは、確かに私に自信を与えてくれていると思います。
まずは、私の中にはすでに多くの点があるのだということ。
そして、自分は確かに正しい道を進んでいるのだということ。
そういうことが、私に自信を与え、新たな点へと踏み出す背中を押してくれます。

今の自分は全然わかっていない

ここまで書いてみて改めて思うことは、今の自分は全然わかっていないということです。
これから起こることも、すでに自分の中にあるものも、それらから立ち上がる意味も、です。

コーチングを始める前、コーチングがどんな点なのかも、何につながるのか、それがどんな道になるのか、全然わかっていませんでした。
たぶん、今も、まだまだ全然わかっていないのでしょう。

何かを始める前にわかったつもりになっていることなんて、本当に大したことないもんです。
コーチとしてクライアントと関わる中でも思うことですが、
今わかっている理想や恐れなんて、今の自分に想像できる範疇でしかありません。
実際に進みだして、変化して成長すると、最初に描いた像なんてどんどん超えていってしまう。
それは、今できる想像の範疇を遥かに超えたものなのです。

その想像を超える部分が可能性です。
今の自分は全然わかっていません。
だから、可能性もそれだけ広がっています。

さて、ここまでの流れから、冒頭の私の体を鍛えることを考えるとどうなるんでしょう。
楽しいとか楽しくないとかグダグダ言ってるけど、とにかくやってみなはれってことでしょうか。
そして、やってみたら、少なくともその点がくっきりはっきりするまでは続けろってことですね。
本当の面白さがわかるのは、それからなのでしょう。

書きながら、なんだか自分に巨大なブーメラン飛ばしてるなーと思いつつ、とりあえず、プロテイン買ってジムの体験申し込みました〜!

自分の中にある点に気づき、そしてそれらをつなげるために、コーチングはいかがでしょうか?

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足し算の時間、引き算の時間

すっかり春めいてきましたね。

2月の終わりから3月頭にかけて、寒いし、2回も転ぶし、奥歯は折れるしで散々だったのですが、最近は急速にウキウキ感が高まってまいりました。
あたたかい陽射しを浴びることが、こんなにただただ嬉しいなんて、雪の降る地域で暮らすまで知らなかったことです。

3日ほど前までは「あれ?ひょっとして花粉症治ったんじゃない?」なんて思っていた私ですが、今は岩清水のように湧き出る鼻水と共に暮らしています。

春の琵琶湖。ボートで釣りをしている人をよく見かけます。

さて、今日は、最近よく考える時間の捉え方のことを書いていこうかなと思います。

「終わらせないでいられる」才能

先日、コーチングの勉強会で、ギャラップ認定ストレングスコーチからストレングス・ファインダーについて学ぶ機会がありました。

ストレングス・ファインダーとは、自身の強みのもとを診断できるツールです。
その強みのもとは34の資質に分類されていて、診断を受けると、自分の持っている資質の順位を教えてくれます。

私の場合はこんな感じ。

34の資質は、実行力、影響力、人間関係構築力、戦略的思考力という4つのグループに分けられます。

私の上位資質には人間関係構築力が多くて、これらの強みを使ってコーチングしているんだなとは思っていたんですけど、先日の勉強会では、また違う気づきがありました。

そこでは、参加者7名の資質を上位からズラッと並べた一覧表をシェアしていただいたんですが、他の方たちの結果と比べてみて、
「私、こんなに実行力がないのって、もはや才能じゃない?」って思ったんです。
はい、ポジティブ発揮してます。
だって、こんなに上位に実行力の資質が少ない人、他にいなかったんです。笑

実行力って、「終わらせたい」才能なんですって。
だから、私は終わらせなくても平気な人とも言えるのかもしれません。
「終わらせないでいられる」才能の持ち主として開き直って生きるのもありなんじゃない?と思ったとき、思い出した出来事がありました。

タロットが教えてくれた、自分らしくないやり方

この勉強会の少し前のことですが、コーチング仲間がタロットを使ったコーチングを始めたので、試しに受けさせてもらいました。
タロットって初めてやったのですが、今どき、アプリでできちゃうんですね!びっくり。
その方は、コーチング×無意識的コミュニケーション×タロットの組み合わせでやっていて、テーマを決めて、カードを引いて、その内容を読み解いてもらい、それに対して感じたことを話しながら色々なことに気づくという体験でした。

その時の私のテーマは「4月からのスタートを迎える上で障害が有るのか」。
「障害」というのは「タロットってどんなテーマに向いてるんですか?」という話の中から出てきた言葉だったんだけど、それがわかれば4月に向けての3月の過ごし方がはっきりするかなーと思っていたんですね。

結果、話してみてわかったことは、「3月/4月って、バチッと区切ろうとしなくていいんじゃない?」ってこと。
4月を迎えるために3月をバチッと終わらせなくちゃいけない気がしていたけど、そのやり方が合っていないから、なーんかモヤッとして無駄に色々考えちゃったのではないかと。
自分に合わないやり方でやろうとしていたことに、違和感が生まれていたのかもしれないですね。

この「先を見据えて、今やるべきことを判断する」というやり方が、なんとなく「良いやり方である」と、自分の中に刷り込まれているような気がします。
でも、これって、「終わらせる」ことを目指すやり方だと思うんです。

もちろん、それが必要だったり有効だったりするシーンはあるし、私の中にもそういうやり方で対応する事柄も多々あるのですが(確定申告とか)、
私は「終わらせないでいられる」才能の持ち主なので!
その必要がない時は、そういうやり方を選択する必要はないよなーと改めて思ったのでした。

足し算の時間、引き算の時間

「足し算の時間、引き算の時間」という言葉を、最近よく思い出します。

これは「ポストコロナの生命哲学」という本で美学者の伊藤亜紗さんが書いていたのですが、もともとレビー小体型認知症の樋口直美さんがお話されていたことだそうです。

引き算の時間というのは、ゴールを見据え、そこから逆算して今しなければならないことをするようなことです。
先々の予定や計画を頭に置いて、私たちはいつも時間を引き算し、現在よりも何時間後、何日後に意識を向けています。

樋口さんは、認知症になってから、この時間の引き算に非常に苦労するようになったそうです。
現在の感覚があいまいで、日々の体調変化も大きいため、例えば3日後が締め切りだからといって今日は全体1/3の量をやればいいという単純な話ではなくなってしまった。
この引き算の時間は「時間が均一である」という前提のもとに成り立っているのですね。

一方で、足し算の時間というのは、植物が持っている時間です。

それは、太陽の動きに合わせて日々、少しずつ足していくという純粋に生理的な時間です。
晴れる日もあれば曇る日もあり、「この日までにこれだけの日光を浴びるのだ」なんて予め決めても仕方がありません。
未来が予測できなくても、今できることを少しずつ積み重ねて足していく。
足し算の時間での一日一日は、自ずと不均一になります。

私達は、コロナによって、終わりを予測できないものがあるという事実に改めて直面しました。
コロナ禍で植物に興味を持つようになった人が多いのは、そのことで多くの引き算の時間が機能不全になり、私たちの感覚が植物にシンクロしたのかもしれないと、伊藤さんは書いています。

確かに、私が普段意識している時間は、引き算の時間ばかりかもしれません。

1日は24時間で、何時にあれをする、それまでにはこれを済ませるということを、当たり前のようにしています。
それを均一にできない時に「自己管理ができていない!」なんていう考え方もありますよね。
それは多分、社会のかなりの部分が均一な引き算の時間を前提に動いていて、各々もそうあることが合理的だからだと思います。

でも、引き算の時間だけじゃなく、足し算の時間も自分の中には生得的にあるのです。
それを忘れないことって、大事なんじゃないかなーと思います。

ふたりの子ども、それぞれの時間

私には、ふたりの子どもがいます。
彼らの時間の感覚を観察してみると、それぞれの足し算の時間と引き算の時間に気づきます。

7歳の長男は、もうすぐ小学2年生。
決められた時間に合わせて動くことには慣れてきて、「時間を守らねば!」という強い気持ちを感じることがよくあります。
この1年で、時計を読んだり、時間の計算をしたりすることもできるようになりました。

彼の朝は大騒ぎ。
私や夫が「今は何時何分?」とか「あと何分で家を出るの?」と確認をすると、あと10分ぐらいのタイミングから「もう絶対に間に合わない!」と絶望した様子でベソをかき始めます。
話を聞くと、残っている支度は毎回3分あればできるようなもの。
「10分あるから大丈夫よ、間に合うよ」と声をかけて、やらなきゃいけないことを確認し、ひとつずつ終わらせて、出かける彼を見送ります。

彼の場合、出なきゃいけない時間も、それまでの残り時間もわかるんだけど、それまでに何をやらなきゃいけないかというGAP分析と、それにはどれくらいの時間が必要なのかという予測が、まだまだこれからなのかなと思っています。
私たちは、「あと10分!」って気づいた瞬間に「今日は朝ごはんはパス!」みたいな判断を自然としていますが、あれって実は複雑なことなんですね。
つくづく、引き算の時間は学習して獲得するものなんだなーと思います。

3歳の次男は、今この瞬間を生きる天才です。
過去の出来事はよく覚えているし、「この後あれしたい」といった主張も上手にしますが、時間の長さは意識していない、つまり、均一ではない時間を生きているように見えます。

彼は、朝、親が「もう保育園に行く時間だよ!」と言っても、「ブロックやってから!」とすごい大作を作り始めたりします。
逆に、「次の予定まで時間あるから、ここで10分ほど時間つぶしたいな」なんて親が思っている時でも、この場に飽きたから今すぐ移動したいわけです。
私は、そんな彼と時計との狭間でハラハラしながらも、彼のことをなんだか眩しく、羨ましく感じています。

だから、私に余裕がある時、彼と一緒に彼の時間を過ごせると、大きな喜びを感じます。

昨日は保育園が午前保育だけだったので、午後にふたりで温泉に行ったんです。
私は、温泉の駐車場に到着したら、とっとと受付を済ませて、早く温泉に入りたいのです。
その後のあれこれの段取りを考えるとここでの時間はこれくらい、という引き算をしているからです。
でも、彼は、駐車場の目の前にある小川が気になっていて、そこで生き物を見つけたいと思っている。
「早く行こうよー」と声をかけてみたものの、全然動く気配なし。
今日は別に絶対しなきゃいけないことがあるわけじゃなかったので、その後のあれこれプランは脇に置いておいて、彼と小川のほとりでしばらく過ごすことにしました。

彼のペースに合わせようとする時、体の使い方を彼に近づけることがポイントだという気がします。
彼の横に一緒にしゃがんで、彼と一緒に小川を眺め、彼と一緒に陽射しを感じ、彼と同じペース、トーンで話す。
そうしていると、自分の中に彼に流れる時間が取り込まれて、彼の足し算の時間を感じます。
それは心地よく満ち足りた、終わりを目指さなくてもよい時間です。
すごく地に足のついたような、今ここにしっかりつながっている感覚を持てている自分に気づきます。

この足し算の時間への切り替えのおかげで、その後の温泉も、いつもに増して気持ちよく味わえた気がします。
たぶん、立ったままで「早くー」と言っていたのでは、足し算の時間は感じられなかったんじゃないかなと思います。

知らないうちにカメラロールに追加されていた我が家の朝の風景
座り込む次男。さすがに私の脚は柵の間に入らなかった…

ネガティブ・ケイパビリティとコーチング

「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉をご存知でしょうか?
「事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」だそうです。
「分からないものを分からないまま、宙ぶらりんにして、耐え抜く力」とも表現されます。

逆は「ポジティブ・ケイパビリティ」。問題解決能力のことです。
学校教育でも、社会に出てからも、この問題解決能力が重要と言われ、一生懸命に鍛えてきた能力ではないかと思います。
でも、早く問題解決しようとすると、物事を単純化し、浅い理解で対処してしまいがちです。
そう簡単には解決できない複雑な物事に対して、深い理解をもって臨もうとする時、このネガティブ・ケイパビリティが必要になります。

「終わらせないでいられる才能」って、このネガティブ・ケイパビリティなんじゃないかなという気がします。

私はコーチングを始めてから、自分が、結論や問題解決に焦って飛びつきにくくなったと感じています。
それは、コーチングで扱う事柄の大半が、一般的な正解の無い問いであることと関係があると思います。

コーチングの中では、よく分からないことを「そうなんだね」とそのまま受け止めて、そのまま置いておくようなことがよくあります。
セッションの終わりに、「ここまで話してみて、何か気づいたことはありますか?」といった質問をよくしますが、それは結論を出すためではなく、分からないことも含めた今の状態を確認するための振り返りです。
別に、そのセッションの時間内で、何もかも分かる必要はないんです。
セッションが終わった後にも、自分の中にある「よく分からないこと」と一緒に生きることで、また新たに気づいたり、考えたりすることがあります。
そういうことが生きることを変えていくから、何かを実現できたり、成果を得られたりということにつながっていく。
そんな効果がコーチングにはあるように思います。

生きる上ではきっと、足し算の時間も引き算の時間も、ネガティブ・ケイパビリティもポジティブ・ケイパビリティも、どちらも必要なのだと思います。
私達の中には、すでにどちらもあるのです。
そして、それらは付き合いようによって、変化していくもののようです。

まず大切なことは、それらが「ある」ということに気づくことだと思います。

自分の中にあるものに気づくために、コーチングはいかがでしょうか?

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