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BLOG つり糸からつらつらと

ビエネッタをスプーンに3すくいだけ。

2月。どうしても体調を崩しやすい時期ですね。

最近は次男(5歳)の調子がいまいちで、昨日も保育園からの連絡で早めにお迎えに行きました。
小さな子どもの不調の難しさのひとつに、自分のしんどかったり痛かったりする状態をことばでうまく伝えられないことがあると思います。
昨日の息子は、微熱だけどぐったりと動くことも難しい状態になって、「朝は元気だったのに、どうしてしまったんだろう」とわたしも先生たちも困惑していたのだけど、帰宅してから耳だれが出たことで中耳炎だとわかりました。
「耳が痛かったの?」と聞くと「うん」と答えるんだけれど、それを自分からことばで表現するのはまだ難しいようです。
そのあたりが伝えられるようになると、周りの大人としてはかなり助かるんだけど。
でも、周りの人に自分の異変を気づいてもらえて、心配して世話を焼いてもらえる。
そういう経験は、彼にとって大きな意味のあることなんじゃないかと思っています。

とはいえ、最近はあまりに不調が続いていて、
本人はもちろんしんどいだろうけど、お世話をしているわたしもしんどい。

軽くて長い風邪が治ったと思ったら、一瞬だけ高熱の出る新たな風邪をもらい、それらの影響で中耳炎になるという具合。
先週から、丸一日保育園に通えた日が一日もない。
回復期にはビデオを見ながら多少の時間はひとりで過ごすこともできるようになったので、仕事をリスケしなきゃいけないことは以前よりも格段に減ったけれど、急性期はそれどころじゃないし、小児科にも連れて行かなきゃいけない。
何ができているという感じじゃないのに、気忙しくて疲れる。しんどい。

そういう時、「インフルエンザじゃなくてよかったじゃない」とか「1年前よりは楽になっているよ」とか、他のもっとしんどい状況と比べて慰めるような思考が出てくることがあります。
さらには、「子ども3人いる人と比べたら全然大したことない」とか「被災した人たちより恵まれている」とか、もっとしんどうそうな誰かの状況と比べるような思考が出てくることもあります。

そういうのが出てくると、もう黙ることしかできない。
だって、それ自体はたしかに正しいように感じる。
そういうのを出されると、それ以降の話が「でもでもだって」になる気がしてくる。
そんな愚痴めいた話、甘ったれたような話はするべきではない。
そう深く刷り込まれているから、それ以上は口をつぐむしかない。
そうやって我慢することを、いつからか学んでしまっている。

でも、本当にそうなのでしょうか。
今、わたしが感じているしんどさを、他のしんどさと比べる必要があるのでしょうか。
今ここに、わたしのしんどさがある。
それで十分なのだと思います。

きのうの夜は大変だった。
夜遅くに、次男が吐いたのだ。
不思議なもので、そういう時は直前に目がさめる。
目がさめたところで、「あ、はじまる」と眺めながら、受け止めることぐらいしかできないのだけど。
ひとしきり通り過ぎてからが本番で、
どろどろになった息子を清めて着替えさせて、
どろどろになった自分も清めて着替えさせて、
どろどろになった寝具や衣類を洗濯する。
とっくに日付は変わっていて、
わたしはこのまま眠ってはいけないような気がして、
冷凍庫に隠しておいたビエネッタをスプーンに3すくいだけ食べた。
朝目覚めると、ケロッとした顔をした息子は
今日も美しく、愛おしかった。

これは、夜中に息子が嘔吐した次の日のわたしの日記。

ビエネッタをスプーン3すくい分のしんどさがあり、
ビエネッタをスプーン3すくい分の慰めがあった。

ただそれだけを、受け止めたらいいのだと思います。

ビエネッタカップってありがたい!

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よく動いた2月の上旬、そして「読む」こととの距離

2月の上旬は、わたしにしてはたくさん動いていたのだけれど、先週になってぴたりと停止しました。

よく動けているときは、「動くぞ!」と思っているわけではなく、流れに乗れているとき。
ぶつからないようにあちこち目配りしながら、目や耳やこころやからだをひらいて、すなおに流されていたのだけれど、
一気に暖かくなって飛んできた花粉に、からだがびっくりしてあちこち閉じてしまったので、
とまったというよりも、流れを見失ったような気持ちがしています。

でも、そろそろ立ち止まるにはよい頃合いだったようにも思います。
2月上旬の2週間で、東京、大阪、青森で、「本阿弥光悦の大宇宙」展(東京国立博物館)、建立900年特別展「中尊寺金色堂」(東京国立博物館)、「魔除け-見えない敵を服でブロック!-」展(文化学園服飾博物館)、「みちのく いとしい仏たち」展(東京ステーションギャラリー)、「円空―旅して、彫って、祈って―」展(あべのハルカス美術館)、「松山智一展:雪月花のとき」(弘前れんが倉庫美術館)、「奈良美智: The Beginning Place ここから」展(青森県立美術館)、「美術館堆肥化宣言」展(青森県立美術館)など、たくさんの展覧会を見ました。
いろいろな刺激に頭がぱんぱんです。

実は、ここまで書いて一時保存してから、あっという間に1週間がたちました。
今となっては何を書こうとしていたのかもよくわからないのだけれど、再びここから書いてみようと試みています。

わたしにとって「よく動けている」感覚は、本を読んでいるときの感覚に近いように思います。

本を読んでいるときには、その本の持つ流れに乗って、頭の中に描いたその本の世界のなかでいろいろな経験をしている。
本を読み始めるときは「読むぞ」と気合いをいれることもあるけれど、読み進めるうちにそんな気合いは頭から消え去って、ただその「読む」という行為の中にいる。
しばらくすると、どうしても目が疲れたり集中力が切れたりして、読む行為から離脱する。

そんな感じ。

離脱から「読む」に戻るには、再び「読むぞ」の気合いを召喚するんだけど、
その気合いに必要なエネルギーは、その本なり「読む」という行為なりとの距離によって変わってきます。
つまり、離れすぎなければ、戻りやすい。

もし、離れすぎてしまったときには、その距離を縮めるところから始めなくてはなりません。
「読む」ことと仲良しであること。それが肝要です。
高校生のころに覚えた、”keep in touch with”という英語のイディオムを思い出しました。

そういえば、今年に入ってから「読む」こととはかなりいい関係を築くことができていて、そのことは日々の充実感につながっています。
関係修復に取り組みだしてから、ここまで4年ほどかかりました。
ああ嬉しい。

自分にとって大事なことを、大事にできていること。
シンプルな幸せの大原則。

そうだ、今年は「かく」ことと仲良くなりたいんだった。
旅とか展覧会のこととか書けたらいいですね。
うーん、でもちょっと距離が離れすぎている気がする。
もうちょっと仲良くなるところから始めてみようかなと思います。

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