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2025年もよろしくお願いいたします

2025年が始まりました。
なんだか今年は例年よりも立ち上がりがのんびりしていて、ぼんやりしているうちにあっという間に1月の半分が過ぎました。

だが、今年の私は一味違う(はず!)。
なぜなら、素晴らしい相棒がそばにいてくれるから。

散歩がてら時々立ち寄るギャラリーで一目惚れした、水上詩楽さんというやまなみ工房の作家さんの作品。

私にとって絵を買うことが初めての体験で、昨年末に「私なんぞが絵を一人占めしていいのだろうか…」とずいぶん悩んで決心しました。

心惹かれた作品がいつもそばにいてくれるのは、とても素敵なことです。
バタバタした暮らしのなかで、ふとその作品と目があった瞬間に、はっと立ち止まることができる。
それはコミュニケーションと呼ぶには不確かすぎる気がします。雄弁に語りかけてくるような作品ではないのです。
その作品が在ることで、その作品に視線が受け止められることで、〈いま〉が立ち現れる。
琵琶湖を眺めている感覚に近いかもしれません。でも、この作品には人間サイズだからこそ感じられる、安堵と愛おしさがあるように思います。

 

〈いま〉といえば、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩から生まれた絵本があります。
(「生きる」の全文はナナロク社のページで読むことができます。)

この絵本のあとがきに、谷川さんは「〈いま〉の意識」という文章を残されています。

〈いま〉には、一瞬の時間の中に〈永遠〉をはらんでいると思わせる何かがひそんでいて、〈いま〉を意識することが、逆に流れ止まない時間を意識することにつながることがある。
「『生きる』という詩には、私たちの心を束の間立ち止まらせて、さまざまな〈いま〉の情景から、ふだんはことさらに意識することのない視点で、人生を俯瞰して見直させる働きがあるのかもしれません。」
そんなことが書かれています。 

この「みみをすますラボ」の由来となった「みみをすます」という詩にも、通底するものがある気がします。

この詩では、みみをすますことで、時間や空間を超えたあらゆるものにふれていきます。
その無限とも思われる広がりの起点となるのは、みみをすましている、いま、ここです。

立ち止まって、〈いま〉〈ここ〉からはじめる。
2025年、改めてそういうことを大切にしたいと思っています。

 

さて、お知らせにも載せましたが、新しく「ピア(PEER)コーチング」というサービスを始めました。
ご自身もコーチングをする方向けのサービスで、「PEER=仲間」というフラットな関係性のもとで、お互いにコーチングをすること/受けることの両方を行います。それが、コーチ/クライアントの役割を固定してクライアントのゴールを目指す一般的なコーチングとの大きな違いです。

私がコーチングを始めて5年目になりますが、
相手のために聞くとか、自分のために話すとか、そこから生まれたざわざわしたものたちと関係を結ぶとか、そういうものを大切にしたいんだよなーという気持ちが年々強くなっています。
そのためにコーチングを使うとしたら、こんな形はどうですか?というご提案です。

私自身もピアコーチングをやることで、いつもと違う新たな発見に出会えたり、より安心して率直な対話ができたり、コーチングをより楽しめたりするような、とても貴重な場を得られていると感じています。うまく言葉にできないのだけど、ここには通常のコーチングとはまた違う価値がある!と確信しています。
コーチングを一から教えるようなことは私にはできないけれど、本や講座でコーチングを学んだ方が安心して実践してみることができる場としてはもちろん、もっとのびのびとコーチングを楽しみたいベテランコーチ、コーチングについて思考を深めたり語り合ったりしたい方、コーチングはご無沙汰だけど実践の機会を作りたい方など、様々な方にご利用いただけるといいなと思っています。
少しでも興味をお持ちの方、ぜひお気軽にお問い合わせください^^

 

最後に、改めて谷川俊太郎さんのこと。
昨年末、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAで開催されていた「ボーダレス -限界とあわい-」展で谷川さんの「死んでから」という詩の展示を見ました。「どうぞお元気で」という言葉が頭にぽっと浮かびました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

本年もよろしくお願いいたします!

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あなたと わたしが みみをすまし
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あなた自身に、あなたの世界に、一緒にみみをすますことから始めませんか?
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新サービス「ピア(PEER)コーチング」開始のお知らせ

このたび、みみをすますラボでは新たに「ピア(PEER)コーチング」のサービスを開始いたしました。

一般的なコーチングではコーチがクライアントに対してコーチングをするのに対し、ピアコーチングではお互いにコーチングをすること/受けることの両方を行います。

ご自身もコーチングをやっている方や学んでいる方がいつもとは異なる形でコーチングを実践することで、新たな発見に出会えたり、コーチングをより楽しめたりする場になればと思っています。

コーチングを始めたばかりの方はもちろん、もっとのびのびとコーチングを楽しみたいベテランコーチ、コーチングについて思考を深めたり語り合ったりしたい方、コーチングはご無沙汰だけど実践の機会を作りたい方など、様々な方にご利用いただけるサービスです。

興味をお持ちの方は、ぜひサービスページをご覧ください。

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ひさしぶりの近況報告 「ありがとうございます」と唱えに歩く

ご無沙汰しております。
半年ぶりのブログ、ひさしぶりの編集画面の操作に戸惑ってます…。

さて、最近のことを少し書きます。

ここ1ヶ月ほど、毎日のようにウォーキングをしています。
近所にある神社まで往復で3kmぐらい、時間にすると30分ぐらい、うっすら汗をかくぐらいの速さで歩く。
気が向いたらちょっと遠回りしたり、初めての脇道に踏み込んでみたり。
住宅街の暮らしの空気のなかで、季節の移ろいを感じるのが楽しい。

もともと私は寒さがあまり得意じゃなくて、冬はできるだけお家でぬくぬく引きこもっていたいタイプです。
でも、最近の暑すぎる夏にくらべたら、外で過ごせる季節はありがたい!
今のところモコモコと盛大に着込みながらも、「よし行くか!」と動き出すことができています。
天気の悪い日や時間の取れない日はお休みしても、また次の日には当たり前のように歩く日常ができつつあります。

私にとって「継続」とか「習慣化」って本当に苦手意識のあることで、特に「体を動かすこと」に関しては、スポーツジムやらパーソナルトレーニングやら数々の試みを挫折してきた実績があります。
でも、今回はなんとなく続いているっぽいのは、無理せず気長にやってること、そもそも歩くことじたいが好きなこと、それから「神社」というのがよいのではないかと思っています。

神社って、やっぱり特別な場所です。
鳥居の下で帽子を脱いで一礼して、清らかな境内に入ると気持ちがシャキッとする。
本殿の前まで来たら、二礼二拍手して心の中で「今日もありがとうございます」と唱えてから最後に一礼。
具体的に何に「ありがとうございます」なのかはわからないけれど、これが一番自然な感じ。
今朝は2日ぶりだったからか、うっかりと二礼を忘れて二拍手から始めてしまいました。
心の中で「大変失礼いたしました!」と唱えてから、改めて二礼二拍手「ありがとうございます」一礼。

そんなふうに話しかける相手に会いに行くということが、私のウォーキングの楽しみのひとつになっているのかもしれません。

あなたはどんなことに楽しさを感じますか?

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年末年始休業のご案内

みみをすますラボのホームページをご覧いただき、ありがとうございます。

2024年12月24日(火)〜2025年1月6日(月)は、年末年始休業をいただきます。

この間にいただいたお問い合わせにつきましては、休業明けの対応とさせていただく可能性がございますこと、ご了承くださいませ。

引き続き、みみをすますラボをどうぞよろしくお願いいたします。

ほそかわゆきこ

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映画『悪は存在しない』をみて

我が家のテレビは子どもたちに占領されているので、平日の朝はたいていEテレを片耳でなんとなく聴きながら支度をしています。

マチスコープ」という番組のエンディングテーマ曲は、とてもとても耳に残る。

われら サルもく ヒトか の ヒトぞく
かりして ドンドングリひろって マチつくる

マチスコープ エンディングテーマ

サル目は霊長目ともいって、その上の分類は哺乳綱。ヒト科にはヒト属のほかにオラウータン属やゴリラ属、チンパンジー属もあるらしい。ホモ・サピエンス以外のヒト属はネアンデルタール人やホモ・エレクトスなどなど。(Wikipediaしらべ)

ふと気づいたら、息子たちもこの歌を大声で歌っているし、私も歌っている。
音楽はKIRINJIだそう。さすが。
博物館で縄文時代の展示を見た5歳児が、「うたとおんなじだ!」と興奮してました。

みいつけた!」で『みんなおんなじ』を聴けた日はラッキー。森山直太朗さんの曲です。

みんなちがって みんなおんなじ
みているぼくも どこかおんなじ
みんなちがって みんなおんなじ
きみがわらえば ぼくはおんのじ

『みんなおんなじ』 作詞:森山直太朗・御徒町凧

この曲は大好きで、やっぱりしょっちゅう口ずさむ。
それぞれに違う「うたいたいうた うたうよろこび」や「ねむりたいとき ねむるしあわせ」があるのだろうし、そういう喜びや幸せを持つ存在であるという点でおんなじなのだと思う。たぶん人間に限らずそうなのだと思う。

みんなおんなじなのは喜びや幸せだけでなく、怒りや悲しみ、苦しみを持つ存在であることもそうなのだと、映画『悪は存在しない』を見て思いました。

監督:濱口竜介×音楽:石橋英子。
映像と音楽が生み出す、美しく不穏な緊張感に飲み込まれて揺さぶられて、
忘れていたけど生まれる前から私に刻まれていた、圧倒的な自然への畏怖を思い出した気がしました。

『悪は存在しない』ってタイトルの力が強くて、
「あれが悪だ!」って言える存在を探し出そうとする自分を感じながら見ていました。
そういう存在があれば、非難したり排除したり逃げたりすることができるから。
少なくとも自分自身のことは、悪なるものと切り離すことができるから。
そういうスッキリしたい、わかりやすくしたい、楽になりたい気持ちがあるなぁと思います。

「悪は存在するのか?」って、すごく難しい問いですよね。
そもそも「悪とは何か?」「存在するとはどういうことか?」みたいな哲学的な問いが求められる。
そう考え始めると全然わけわからなくなっちゃうんだけど、
でも、たぶん絶対的な悪みたいな存在はないんじゃないかと思います。
同様に絶対的な善も存在しない。
善とか悪とかって様々な関係性の中で立ち現れてくるもので、誰かにとっての善であると同時に他の誰かにとっての悪でもあり得るような、すごく複雑に絡まりあったものなんじゃないかなと思います。
たとえば食物連鎖のような。
だから、誰だって悪の可能性を抱えた存在で、悪を生じさせたり加担したりしながら生きている。それは善についても同じ。
そういう意味で、私たちはみんなおんなじなのかもしれません。

一方で、立ち現れてくる悪には、過ちと呼ぶべきものもある。
無知だったり、無関心だったり、想像力が足りなかったりすることで、誰かの大切なものやその存在自体を、自分のものさしで「些細なもの」として踏みにじるような行為やふるまい。
誰かを踏みにじっている人も、実は誰かに(何かに)踏みにじられていたりする。
ひょっとすると、踏みにじり踏みにじられることに慣れすぎて鈍くなっているのかもしれない。
そんなつもりはなく、無意識にやってしまっていることも多々ある。
だから、存在を踏みにじられるものの怒りに触れると、驚いたり、揺らいだりする。
その揺らぎに対する反応はみんなちがうだろうけれど、過ちを受け入れて変わっていくチャンスでもあるはず。(と思いたい。)
そういう踏みにじられるものの怒りに満ちた映画だったように思います。

学んで変われる存在であることは希望だと思います。
少しでも過ちに気づけるよう、ちょっとでもマシになれるよう、賢くなりたい。
そういうとき「みんなちがって みんなおんなじ」はすごく大事な視点だし、私にとってコーチングをやることはそういう学びのひとつなのかもしれません。

最近どんな映画を見ましたか?

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「自分への誇りを持てるように育ってほしい」

4月。新しい年度、新しい学期のはじまりの時期。
変化を追いかけて、新たな環境や動き方に一生懸命馴染んでいるうちに、あっという間に1ヶ月が過ぎていきました。

この4月、私には大きな変化はないのだけれど、今年度から大学で博物館学芸員の資格課程を追加で取り始めました。
とりあえずテキストを読むところから始めたものの、これが思いのほか時間がかかる。3冊を読み終えて、ようやく適度に読み飛ばせるようになってきました。
新たなことに慣れないうちは、どうしても慎重になりがちなもの。何が大事で何はそうでもないのかがわからない不安から、すべてをきちんと押さえなきゃいけない気がしてしまう。そういう時期は、気持ちのうえでの負荷や時間もかかるし、よくわからないから楽しくもないし、しんどい気持ちをじっと我慢して進めていく。
そうしているうちに、「ここはポイントだ」とか「ここは適当でいいな」とか「必要になったら読み返せるようにここに書いてあったことだけ覚えておこう」といった強弱の付け方がなんとなくつかめてくる。
もちろんそのやり方は引き続き調整が必要だけど、ここまで来れば、なんとなく進めていける気持ちがわいてくる。
じたばたして、なんだか疲れた1ヶ月でした。

もう1ヶ月以上前のことだけど、3月に、東京・上野にある国立西洋美術館で「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」という企画展を見てきました。
弓指寛治さんのインスタレーションが見たくて。(本当にすばらしいです。見逃してはいけない!会期は5/12まで。)

その企画展の展示室に入る前のロビーのような場所では、壁に設置されたモニターに、30分ほどのインタビュー映像が流されていました。
それは「補遺:保育士へのインタビュー」というこの企画展に参加されている田中功起さんの作品の一部なのだけど、私は展示室にも入らず、腰を据えてこの映像に見入りながら、なんだかぽろぽろと泣けてきてしまいました。
保育士さんに保育への思いや理想と現実について自由に語ってもらうという内容で、たしか3人の、異なる園で働かれている保育士さんがお話されていました。
シンプルで誇張のない、静かで記録的な編集だったように思います。
その保育士さんたちのことばを受け止めながら私のなかで起きていたことは何だったのか、今でも正直よくわからないのですが、見終わった後、ただじんわりと「ケアされていたのだなぁ」という思いが残りました。
特に、ひとりの保育士さんが「自分への誇りを持てるように育ってほしい」と語ったときに、それは子どもたちへの思いであると同時に、親への思いでもあり、保育に関わるすべての人たちへの思いでもあるように伝わってきました。

私の長男が0歳で保育園に入園したのは2015年の4月のこと。
今年で次男が年長になったので、この1年は、保育園とともに生きた私の10年間のラストイヤーになる予定です。
今でこそかなりいい加減に暮らしていますが、最初は何年も本当に精一杯でした。
手の抜きどころなんてわからなかったし、何も適当になんてできなかった。
ずっと一生懸命で緊張していたし、自分が疲れていることに気づかなかった。
ワンオペでしょっちゅう身体を壊して、40度を超える熱が出ても、「保育園に子どもを連れて行きさえすれば、仕事を休んで数時間は眠れる」と必死で送迎していた。
だから、東京を離れて今の場所に引っ越したとき、保育園を離れることが一番つらかった。
この場所、この人たちを失っていったいどうやって暮らしていけばいいのか、途方にくれるほど心細かった。
それぐらい、保育園はずっと私の支えであり続けてくれました。

「自分への誇りを持つ」ってどういうことなのでしょうか。
当時の私は、自分への誇りを持っていたのでしょうか。
決して私は「自分なんて…」と、なにかと卑下するタイプではないように思います。
でも、そういうことじゃなくて、何ができるから、何を持っているから、何を成し遂げたから、そのことを誇りに思うというのでもなくて、もっともっと手前のところ、ただ生きているといったそれぞれの事実のもとに、誇りは存在すべきもののような気がしています。
それは当たり前のようでいて、とても脆く、見失いがちなものなのかもしれません。
今の私は、私の息子たちは、自分への誇りを持てるように育っているのでしょうか。

あのインタビュー映像を見ながら私に起きていたことは、私や私たちの誇りを支えようとしてくれた人がいたのだなという気付きによる衝撃と、行き場のよくわからない感謝による混乱なのかもしれません。
誇りを持たなくてもよい人なんていないのだと思います。
でもそれは、きっと一人では難しいことなのかもしれません。
だからこそ私はコーチングをやっているのかもしれないなと、ふと思いました。

あなたはどんな4月を過ごしましたか?

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インタビューを受けて気づいた、過去を振り返って話す価値

インタビューのことを書いておこうと思っているうちに、どんどん時間が経っていく…!

お知らせにも書きましたが、「企業会計」という雑誌にインタビュー記事をご掲載いただきました。

「企業会計」2024年4月号(中央経済社)

「経理の『リスキリング』」特集ということで、昔に上司だった方(この特集の解題と座談会の司会をされています)からお声がけいただいて、「『企業会計』にこんな私でいいのならば…」と、怖気づきながらお話させていただきました。
私、会社員時代は(一応)経理関係の仕事をしていたんです。

編集部の方から1時間ほど、私のキャリアについてインタビューをしていただきました。
わかりやすく誠実に記事にまとめていただいて感謝です!

かれこれ20年の社会人経験なので、もちろん1時間のインタビューでは語れないことの方が多いし、語らないこともあるし、そもそも忘れていたり記憶が改編されていたりすることもたくさんあります。
それでも、この機会に振り返って、話をして、さらに編集された記事として読んでみることで、改めて自分のキャリアをすっきりと一本筋の通ったストーリーとして受け取ることができて、我が事ながら「なるほどなー」と感心しました。

こういうことって、やはり聞いてくれる相手や機会があるからこそ話せることだと思います。
だって、昔の話ですもの。
せわしない日々、眼の前のことで精一杯で、なかなか思い出している余裕がありません。

今回、お話しさせていただいてよかったなと思っていることのひとつに、自分のキャリアをちゃんと「昔のことだな」と感じられたということがあります。
変な未練とか、過去の栄光とか、逆に黒歴史とか、そういうしがらみ的なものがなく、昔の自分のこととして、適切な距離感をもって受け止められている。
昔の自分がいるから今の自分がいるという、つながりもちゃんと確認できている。
そういう健全な状態を確認できたことは、なんだか嬉しいことでした。

それから、インタビューなので、質問していただくことで気づくことがあったのもよかったことです。
たとえば「全く未経験のしごとをすることになったとき、自分にはできると思ってたんですか?」というようなことを質問されて、「自分にできるかできないか、なんてことは考えてなかったな」と思い出したんです。
若かったから、怖いもの知らずだったから、守るものがなかったからだろうけど、それって今と何が違うんだろうとも思います。
今だって、まっさらな気持ちで未知のことにぶつかっていっても、実はそんなに失うものはないのかもしれない。
そういうことを思いました。

最近の私は、新しくやってみたいことにすごく前向きな気持ちでいるのだけど、その背景にはインタビューでお話をさせていただいたことの影響があるのかもしれません。
自分の過去を振り返って語ることの価値を再確認した体験でした!

もちろん、私のインタビュー記事もリスキリング特集のほかの記事も、必要な方に届いて少しでもお役に立てることを願っています。

あなたのこれまでの話を聞かせてください!

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インタビュー掲載のお知らせ(企業会計 2024年4月号)

雑誌「企業会計」2024年4月号(中央経済社)の特集「経理の『リスキリング』」にて、インタビュー「新しいトビラのたたき方」をご掲載いただきました。

会社員時代の経験から全く異なる道となったコーチングへの挑戦、さらに今後の話まで、私のキャリアの話を中心にさせていただきました。僭越ながら、新しいことに挑戦する方への私からのメッセージも伝えさせていただいています。
また、おすすめ書籍もご紹介させていただきました。

特集では、解説記事のほか、経理からのリスキリング経験者の方たちの座談会も掲載されています。
是非お手にとってご覧いただけますと幸いです。

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ビエネッタをスプーンに3すくいだけ。

2月。どうしても体調を崩しやすい時期ですね。

最近は次男(5歳)の調子がいまいちで、昨日も保育園からの連絡で早めにお迎えに行きました。
小さな子どもの不調の難しさのひとつに、自分のしんどかったり痛かったりする状態をことばでうまく伝えられないことがあると思います。
昨日の息子は、微熱だけどぐったりと動くことも難しい状態になって、「朝は元気だったのに、どうしてしまったんだろう」とわたしも先生たちも困惑していたのだけど、帰宅してから耳だれが出たことで中耳炎だとわかりました。
「耳が痛かったの?」と聞くと「うん」と答えるんだけれど、それを自分からことばで表現するのはまだ難しいようです。
そのあたりが伝えられるようになると、周りの大人としてはかなり助かるんだけど。
でも、周りの人に自分の異変を気づいてもらえて、心配して世話を焼いてもらえる。
そういう経験は、彼にとって大きな意味のあることなんじゃないかと思っています。

とはいえ、最近はあまりに不調が続いていて、
本人はもちろんしんどいだろうけど、お世話をしているわたしもしんどい。

軽くて長い風邪が治ったと思ったら、一瞬だけ高熱の出る新たな風邪をもらい、それらの影響で中耳炎になるという具合。
先週から、丸一日保育園に通えた日が一日もない。
回復期にはビデオを見ながら多少の時間はひとりで過ごすこともできるようになったので、仕事をリスケしなきゃいけないことは以前よりも格段に減ったけれど、急性期はそれどころじゃないし、小児科にも連れて行かなきゃいけない。
何ができているという感じじゃないのに、気忙しくて疲れる。しんどい。

そういう時、「インフルエンザじゃなくてよかったじゃない」とか「1年前よりは楽になっているよ」とか、他のもっとしんどい状況と比べて慰めるような思考が出てくることがあります。
さらには、「子ども3人いる人と比べたら全然大したことない」とか「被災した人たちより恵まれている」とか、もっとしんどうそうな誰かの状況と比べるような思考が出てくることもあります。

そういうのが出てくると、もう黙ることしかできない。
だって、それ自体はたしかに正しいように感じる。
そういうのを出されると、それ以降の話が「でもでもだって」になる気がしてくる。
そんな愚痴めいた話、甘ったれたような話はするべきではない。
そう深く刷り込まれているから、それ以上は口をつぐむしかない。
そうやって我慢することを、いつからか学んでしまっている。

でも、本当にそうなのでしょうか。
今、わたしが感じているしんどさを、他のしんどさと比べる必要があるのでしょうか。
今ここに、わたしのしんどさがある。
それで十分なのだと思います。

きのうの夜は大変だった。
夜遅くに、次男が吐いたのだ。
不思議なもので、そういう時は直前に目がさめる。
目がさめたところで、「あ、はじまる」と眺めながら、受け止めることぐらいしかできないのだけど。
ひとしきり通り過ぎてからが本番で、
どろどろになった息子を清めて着替えさせて、
どろどろになった自分も清めて着替えさせて、
どろどろになった寝具や衣類を洗濯する。
とっくに日付は変わっていて、
わたしはこのまま眠ってはいけないような気がして、
冷凍庫に隠しておいたビエネッタをスプーンに3すくいだけ食べた。
朝目覚めると、ケロッとした顔をした息子は
今日も美しく、愛おしかった。

これは、夜中に息子が嘔吐した次の日のわたしの日記。

ビエネッタをスプーン3すくい分のしんどさがあり、
ビエネッタをスプーン3すくい分の慰めがあった。

ただそれだけを、受け止めたらいいのだと思います。

ビエネッタカップってありがたい!

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よく動いた2月の上旬、そして「読む」こととの距離

2月の上旬は、わたしにしてはたくさん動いていたのだけれど、先週になってぴたりと停止しました。

よく動けているときは、「動くぞ!」と思っているわけではなく、流れに乗れているとき。
ぶつからないようにあちこち目配りしながら、目や耳やこころやからだをひらいて、すなおに流されていたのだけれど、
一気に暖かくなって飛んできた花粉に、からだがびっくりしてあちこち閉じてしまったので、
とまったというよりも、流れを見失ったような気持ちがしています。

でも、そろそろ立ち止まるにはよい頃合いだったようにも思います。
2月上旬の2週間で、東京、大阪、青森で、「本阿弥光悦の大宇宙」展(東京国立博物館)、建立900年特別展「中尊寺金色堂」(東京国立博物館)、「魔除け-見えない敵を服でブロック!-」展(文化学園服飾博物館)、「みちのく いとしい仏たち」展(東京ステーションギャラリー)、「円空―旅して、彫って、祈って―」展(あべのハルカス美術館)、「松山智一展:雪月花のとき」(弘前れんが倉庫美術館)、「奈良美智: The Beginning Place ここから」展(青森県立美術館)、「美術館堆肥化宣言」展(青森県立美術館)など、たくさんの展覧会を見ました。
いろいろな刺激に頭がぱんぱんです。

実は、ここまで書いて一時保存してから、あっという間に1週間がたちました。
今となっては何を書こうとしていたのかもよくわからないのだけれど、再びここから書いてみようと試みています。

わたしにとって「よく動けている」感覚は、本を読んでいるときの感覚に近いように思います。

本を読んでいるときには、その本の持つ流れに乗って、頭の中に描いたその本の世界のなかでいろいろな経験をしている。
本を読み始めるときは「読むぞ」と気合いをいれることもあるけれど、読み進めるうちにそんな気合いは頭から消え去って、ただその「読む」という行為の中にいる。
しばらくすると、どうしても目が疲れたり集中力が切れたりして、読む行為から離脱する。

そんな感じ。

離脱から「読む」に戻るには、再び「読むぞ」の気合いを召喚するんだけど、
その気合いに必要なエネルギーは、その本なり「読む」という行為なりとの距離によって変わってきます。
つまり、離れすぎなければ、戻りやすい。

もし、離れすぎてしまったときには、その距離を縮めるところから始めなくてはなりません。
「読む」ことと仲良しであること。それが肝要です。
高校生のころに覚えた、”keep in touch with”という英語のイディオムを思い出しました。

そういえば、今年に入ってから「読む」こととはかなりいい関係を築くことができていて、そのことは日々の充実感につながっています。
関係修復に取り組みだしてから、ここまで4年ほどかかりました。
ああ嬉しい。

自分にとって大事なことを、大事にできていること。
シンプルな幸せの大原則。

そうだ、今年は「かく」ことと仲良くなりたいんだった。
旅とか展覧会のこととか書けたらいいですね。
うーん、でもちょっと距離が離れすぎている気がする。
もうちょっと仲良くなるところから始めてみようかなと思います。

あなたにとっての「よく動けている」感覚は?

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