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インタビューを受けて気づいた、過去を振り返って話す価値

インタビューのことを書いておこうと思っているうちに、どんどん時間が経っていく…!

お知らせにも書きましたが、「企業会計」という雑誌にインタビュー記事をご掲載いただきました。

「企業会計」2024年4月号(中央経済社)

「経理の『リスキリング』」特集ということで、昔に上司だった方(この特集の解題と座談会の司会をされています)からお声がけいただいて、「『企業会計』にこんな私でいいのならば…」と、怖気づきながらお話させていただきました。
私、会社員時代は(一応)経理関係の仕事をしていたんです。

編集部の方から1時間ほど、私のキャリアについてインタビューをしていただきました。
わかりやすく誠実に記事にまとめていただいて感謝です!

かれこれ20年の社会人経験なので、もちろん1時間のインタビューでは語れないことの方が多いし、語らないこともあるし、そもそも忘れていたり記憶が改編されていたりすることもたくさんあります。
それでも、この機会に振り返って、話をして、さらに編集された記事として読んでみることで、改めて自分のキャリアをすっきりと一本筋の通ったストーリーとして受け取ることができて、我が事ながら「なるほどなー」と感心しました。

こういうことって、やはり聞いてくれる相手や機会があるからこそ話せることだと思います。
だって、昔の話ですもの。
せわしない日々、眼の前のことで精一杯で、なかなか思い出している余裕がありません。

今回、お話しさせていただいてよかったなと思っていることのひとつに、自分のキャリアをちゃんと「昔のことだな」と感じられたということがあります。
変な未練とか、過去の栄光とか、逆に黒歴史とか、そういうしがらみ的なものがなく、昔の自分のこととして、適切な距離感をもって受け止められている。
昔の自分がいるから今の自分がいるという、つながりもちゃんと確認できている。
そういう健全な状態を確認できたことは、なんだか嬉しいことでした。

それから、インタビューなので、質問していただくことで気づくことがあったのもよかったことです。
たとえば「全く未経験のしごとをすることになったとき、自分にはできると思ってたんですか?」というようなことを質問されて、「自分にできるかできないか、なんてことは考えてなかったな」と思い出したんです。
若かったから、怖いもの知らずだったから、守るものがなかったからだろうけど、それって今と何が違うんだろうとも思います。
今だって、まっさらな気持ちで未知のことにぶつかっていっても、実はそんなに失うものはないのかもしれない。
そういうことを思いました。

最近の私は、新しくやってみたいことにすごく前向きな気持ちでいるのだけど、その背景にはインタビューでお話をさせていただいたことの影響があるのかもしれません。
自分の過去を振り返って語ることの価値を再確認した体験でした!

もちろん、私のインタビュー記事もリスキリング特集のほかの記事も、必要な方に届いて少しでもお役に立てることを願っています。

あなたのこれまでの話を聞かせてください!

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インタビュー掲載のお知らせ(企業会計 2024年4月号)

雑誌「企業会計」2024年4月号(中央経済社)の特集「経理の『リスキリング』」にて、インタビュー「新しいトビラのたたき方」をご掲載いただきました。

会社員時代の経験から全く異なる道となったコーチングへの挑戦、さらに今後の話まで、私のキャリアの話を中心にさせていただきました。僭越ながら、新しいことに挑戦する方への私からのメッセージも伝えさせていただいています。
また、おすすめ書籍もご紹介させていただきました。

特集では、解説記事のほか、経理からのリスキリング経験者の方たちの座談会も掲載されています。
是非お手にとってご覧いただけますと幸いです。

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ビエネッタをスプーンに3すくいだけ。

2月。どうしても体調を崩しやすい時期ですね。

最近は次男(5歳)の調子がいまいちで、昨日も保育園からの連絡で早めにお迎えに行きました。
小さな子どもの不調の難しさのひとつに、自分のしんどかったり痛かったりする状態をことばでうまく伝えられないことがあると思います。
昨日の息子は、微熱だけどぐったりと動くことも難しい状態になって、「朝は元気だったのに、どうしてしまったんだろう」とわたしも先生たちも困惑していたのだけど、帰宅してから耳だれが出たことで中耳炎だとわかりました。
「耳が痛かったの?」と聞くと「うん」と答えるんだけれど、それを自分からことばで表現するのはまだ難しいようです。
そのあたりが伝えられるようになると、周りの大人としてはかなり助かるんだけど。
でも、周りの人に自分の異変を気づいてもらえて、心配して世話を焼いてもらえる。
そういう経験は、彼にとって大きな意味のあることなんじゃないかと思っています。

とはいえ、最近はあまりに不調が続いていて、
本人はもちろんしんどいだろうけど、お世話をしているわたしもしんどい。

軽くて長い風邪が治ったと思ったら、一瞬だけ高熱の出る新たな風邪をもらい、それらの影響で中耳炎になるという具合。
先週から、丸一日保育園に通えた日が一日もない。
回復期にはビデオを見ながら多少の時間はひとりで過ごすこともできるようになったので、仕事をリスケしなきゃいけないことは以前よりも格段に減ったけれど、急性期はそれどころじゃないし、小児科にも連れて行かなきゃいけない。
何ができているという感じじゃないのに、気忙しくて疲れる。しんどい。

そういう時、「インフルエンザじゃなくてよかったじゃない」とか「1年前よりは楽になっているよ」とか、他のもっとしんどい状況と比べて慰めるような思考が出てくることがあります。
さらには、「子ども3人いる人と比べたら全然大したことない」とか「被災した人たちより恵まれている」とか、もっとしんどうそうな誰かの状況と比べるような思考が出てくることもあります。

そういうのが出てくると、もう黙ることしかできない。
だって、それ自体はたしかに正しいように感じる。
そういうのを出されると、それ以降の話が「でもでもだって」になる気がしてくる。
そんな愚痴めいた話、甘ったれたような話はするべきではない。
そう深く刷り込まれているから、それ以上は口をつぐむしかない。
そうやって我慢することを、いつからか学んでしまっている。

でも、本当にそうなのでしょうか。
今、わたしが感じているしんどさを、他のしんどさと比べる必要があるのでしょうか。
今ここに、わたしのしんどさがある。
それで十分なのだと思います。

きのうの夜は大変だった。
夜遅くに、次男が吐いたのだ。
不思議なもので、そういう時は直前に目がさめる。
目がさめたところで、「あ、はじまる」と眺めながら、受け止めることぐらいしかできないのだけど。
ひとしきり通り過ぎてからが本番で、
どろどろになった息子を清めて着替えさせて、
どろどろになった自分も清めて着替えさせて、
どろどろになった寝具や衣類を洗濯する。
とっくに日付は変わっていて、
わたしはこのまま眠ってはいけないような気がして、
冷凍庫に隠しておいたビエネッタをスプーンに3すくいだけ食べた。
朝目覚めると、ケロッとした顔をした息子は
今日も美しく、愛おしかった。

これは、夜中に息子が嘔吐した次の日のわたしの日記。

ビエネッタをスプーン3すくい分のしんどさがあり、
ビエネッタをスプーン3すくい分の慰めがあった。

ただそれだけを、受け止めたらいいのだと思います。

ビエネッタカップってありがたい!

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よく動いた2月の上旬、そして「読む」こととの距離

2月の上旬は、わたしにしてはたくさん動いていたのだけれど、先週になってぴたりと停止しました。

よく動けているときは、「動くぞ!」と思っているわけではなく、流れに乗れているとき。
ぶつからないようにあちこち目配りしながら、目や耳やこころやからだをひらいて、すなおに流されていたのだけれど、
一気に暖かくなって飛んできた花粉に、からだがびっくりしてあちこち閉じてしまったので、
とまったというよりも、流れを見失ったような気持ちがしています。

でも、そろそろ立ち止まるにはよい頃合いだったようにも思います。
2月上旬の2週間で、東京、大阪、青森で、「本阿弥光悦の大宇宙」展(東京国立博物館)、建立900年特別展「中尊寺金色堂」(東京国立博物館)、「魔除け-見えない敵を服でブロック!-」展(文化学園服飾博物館)、「みちのく いとしい仏たち」展(東京ステーションギャラリー)、「円空―旅して、彫って、祈って―」展(あべのハルカス美術館)、「松山智一展:雪月花のとき」(弘前れんが倉庫美術館)、「奈良美智: The Beginning Place ここから」展(青森県立美術館)、「美術館堆肥化宣言」展(青森県立美術館)など、たくさんの展覧会を見ました。
いろいろな刺激に頭がぱんぱんです。

実は、ここまで書いて一時保存してから、あっという間に1週間がたちました。
今となっては何を書こうとしていたのかもよくわからないのだけれど、再びここから書いてみようと試みています。

わたしにとって「よく動けている」感覚は、本を読んでいるときの感覚に近いように思います。

本を読んでいるときには、その本の持つ流れに乗って、頭の中に描いたその本の世界のなかでいろいろな経験をしている。
本を読み始めるときは「読むぞ」と気合いをいれることもあるけれど、読み進めるうちにそんな気合いは頭から消え去って、ただその「読む」という行為の中にいる。
しばらくすると、どうしても目が疲れたり集中力が切れたりして、読む行為から離脱する。

そんな感じ。

離脱から「読む」に戻るには、再び「読むぞ」の気合いを召喚するんだけど、
その気合いに必要なエネルギーは、その本なり「読む」という行為なりとの距離によって変わってきます。
つまり、離れすぎなければ、戻りやすい。

もし、離れすぎてしまったときには、その距離を縮めるところから始めなくてはなりません。
「読む」ことと仲良しであること。それが肝要です。
高校生のころに覚えた、”keep in touch with”という英語のイディオムを思い出しました。

そういえば、今年に入ってから「読む」こととはかなりいい関係を築くことができていて、そのことは日々の充実感につながっています。
関係修復に取り組みだしてから、ここまで4年ほどかかりました。
ああ嬉しい。

自分にとって大事なことを、大事にできていること。
シンプルな幸せの大原則。

そうだ、今年は「かく」ことと仲良くなりたいんだった。
旅とか展覧会のこととか書けたらいいですね。
うーん、でもちょっと距離が離れすぎている気がする。
もうちょっと仲良くなるところから始めてみようかなと思います。

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つり糸からつらつらと「ことばのつり糸を垂らす」

先日、いしいしんじさんの「書こうとしない『かく』教室」という本を読みました。
今年は「書く」ことをがんばろうかなと、気軽な気持ちで積読から引っ張り出して。

すると、予想もしていなかったものを受け取ってしまって。
じゃあなにを受け取ると予想していたんだと問われると、ちょっと困ってしまうんだけど、
とにかく不意打ちで、ちょっとした衝撃だったのです。

この本は、「書く」ことだけにとどまらない、「生きる」ことと「ことば」についての本で、感動して涙ぐみながら、夢中で読んでしまったのです。

そのなかで、「あぁ、これはずっと覚えておきたい」と思ったところがありました。

それは、この本でもいちばん最後の「釣り糸を垂らす」というところです。

いしいさんは、「ことばとは、過去現在未来の記憶をひっかける、釣り針みたいなもの」だと言います。
「何もないと思っていたのに、じつはこんなにいっぱい沈んでいたのか、と、あることばを自分のなかにひたすだけで、ふわっと内側からわかって」くる、と。

そして、「どんなことについても、自分のなかにことばを垂らしてみること」を勧めます。
「すると、ほぼ必ず、それまでの自分が思ってもみなかったなにかがくっついてきてくれ」るそうです。

最後の最後の文章を読み終わってすぐ、「ここには線を引いておかなくては!」と、大急ぎでペンを探しました。
その文章がこちらです。

ぼくたちはずっとことばを使って、ことばを交わして、ことばでいろんなものを自分のなかへ収めていきます。それはいつしか、ことばの形をほどいて、意識の水底へ、ゆっくりと沈んで目に見えなくなります。でもそれは消えないんですよ。目に見えない、ことばになっていない記憶や未来からの光が、じつはぼくたちの生を底から支えている。「かく」ことは、自分のほんとうの生を、ことばのかたちで取り戻すことにほかならないのです。

いしいしんじ「書こうとしない『かく』教室」

「ああ、これは本当のことだ。大切なことだ。」と思いました。

これは、わたしがコーチングをやりながら、感じていること、信じていること、でも、うまくことばにできていないことにとても近い気がします。

話をしていて時々感じる、ほわっとあたたかい、なにか大切なものが引き上がってきた感覚。
その正体はまだよくわからないけれど、その人のなかにこれがあるということに大きな意味があるのだという確信。

「かく」ことと「はなす」ことという違いはあるけれど、
わたしにとってコーチングとは、誰かといっしょに、相手のなかにことばの釣り糸を垂らしてみて、そのひとのなかに確かにある、「その人の生を支えている」なにかを、ことばのかたちで取り戻すことではないかと思います。

そういう目に見えないなにかを、自分のなかからわかっていくこと。
「目標」という目に見えていることばよりも、もっと奥深くに沈んでいるものにふれて、そのかたちを知ること。
そのこと以上に、コーチングの目的である「クライアントが自身の可能性を公私において最大化させる」ことなんてあるのでしょうか。

わたしは考えます。
そういうことをいっしょにする相手として、コーチはどういう存在であればいいんだろう?

たぶん、「よい釣り仲間」なんじゃないかなと思います。
「このエサだとどうかな」とか「今日はずいぶんと水が澄んでいるね」とか「むむ、このにおいは雨がきそう」とか、
そういうことを言いあいながら、いっしょに釣り糸を垂らして、なにかが引き上げられるのを待つ。
そしてあがってきたなにかを、いっしょに眺め、いっしょに驚き、いっしょに探る。
なにより、「よし、釣りをするぞ」という気分をいっしょに味わう。
そういう相手でがコーチなのではないでしょうか。

どうだろ?ちょっと無理あるかな?

ともあれ、わたしは、わたしみずからも自分のなかにたくさん釣り糸を垂らしていきたいと思っています。
その釣り糸になにがくっついてくるかはわからないけれど、それをことばのかたちにして受け止めてみたいと思っています。
それは必ずしもいいものばかりではないかもしれないけれど、それがわたしの「生」というものなのでしょう。

そういう思いを刻んで、ブログのタイトルを「つり糸からつらつらと」と変えてみました。
果たしてつらつらと出てくるのかどうかはわかりませんが、期待をこめて!

ちょっと遅くなりましたが、2024年の抱負にかえて。

本年もどうぞよろしくお願いいたします!

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12月のひとりごと「2023年さいごの・・・」

2023年最後のひとりごと。

「今年さいごの○○」

私の12月は、実は驚くほどにぼんやりと過ぎていきました。

もともと冬は苦手(太陽が足りない)で、この1ヶ月は風邪を引いたり肩を痛めたり身体の調子もいまいちで。
そんなしゃきっとしないポンコツモードでも、「今年さいごの○○」たちがひとつずつ片付いていくと、なんとかかんとか終えられそうというか、終わるんだなというか、そんな雰囲気が高まってきますね。

まだまだ時間がかかりそうなことも、こんがらがってお手上げ状態なことも、とりあえず箱にしまっていったんおしまいにする。
そして、「今年もよい年だったねぇ」と雑に総括して、「めでたしめでたし」できそうな気分です。
年が明けたら再びその箱を開けることになるんだけど、来年の頑張りは来年の自分に任せることにします。

たとえ実は棚上げなのだとしても、いったん手放すことで手に入れられる身軽さとか喜びとかは、暦という区切りの効果だなーと思います。

2023年の旅

とはいえ、年末らしく2023年を振り返ってみると、この1年は「旅」の印象が強かったように思います。

年始から挙げてみると、神奈川から静岡、東京、金沢、有馬温泉、水戸からの東京、下呂温泉、再びの東京、高松、愛媛、北海道、再びの静岡、淡路島、福島は裏磐梯、またまた東京。
そのほか当然近場もちょこちょこと(京都、大阪、福井、名古屋など)。
この年末もこれから旅に出る予定。
ひとりで行ったり、家族で行ったり、泊まったり、日帰りでとんぼ返りしたり、かたちはいろいろ。
ひとりの時はだいたい展覧会や作品を見に行っています。

国内ばかりなのもあるけれど、飛行機には一度も乗っていないのです。新幹線は乗ったけど。
家族旅行だと車で移動することがほとんどです。
北海道にもフェリーでマイカーと一緒に渡りました。

車の旅には地上を移動している実感があります。
それは目に入る風景が変化していくみたいな綺麗事だけじゃなくて、自分の意思で、自分の力で、進んでいかなければたどり着かないというか、進んでいればたどり着くというか、そういう感覚です。
飛行機のような「寝ていたらあっという間」というマジック感がない。

一番テンションが上がった場所は、北海道の弟子屈にあるアトサヌプリ(硫黄山)かもしれません。
噴気孔からシューシューと噴煙が吹き出し、硫黄の匂いが立ち込める火山。
「え?大丈夫?」と思うような異世界感のなか、活火山の熱さを近くに感じることができます。
私は「地球って、地面の中って、本当にこんなに煮えたぎってるんだ!」と嬉しくなってしまって。
当然知識としては知っていたはずだし、温泉にもしょっちゅう入ってるくせに、はじめて実感したのかもしれない。
それ以来、のっぺりとしたアスファルトの道を歩きながらも、「今、この足のずっとずっと下ではマグマが燃えているのだな」となぜかムフフとしてしまうことがあります。

2024年に向けて

私の今年のSpotifyまとめのトップソングはくるりの「ソングライン」でした。
そういえばこちらも旅の曲。

くるり – ソングライン

この「ソングライン」というタイトルは、ブルース・チャトウィンによる同名の紀行文?小説?から名付けられたものだそう。
たしか昨年、ブルース・チャトウィンの人生を振り返った映画「歩いて見た世界」を見て、「世界は、徒歩で旅する人に、その姿を見せる」という言葉がとても印象に残っています。

自分がどのようにあり、どのように関わるかによって、その相手から受け取ることができるものが全然違ってくるのは、世界でも、人でも、作品でも、何でも同じことだと思います。
歩くことでしか見えない世界や、耳をすますことでしか聞こえない物語、一緒に遊ぶことでしか得られない感覚。
そういうものに、私は興味があります。

2024年、地面に足をつけて、自分の身体でそういうものを受け取ることを大切にできたらいいなと思っています。

本年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

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年末年始休業のご案内

みみをすますラボのホームページをご覧いただき、ありがとうございます。

2023年12月25日(月)〜2024年1月8日(月)は、年末年始休業をいただきます。

この間にいただいたお問い合わせにつきましては、休業明けの対応とさせていただく可能性がございますこと、ご了承くださいませ。

引き続き、みみをすますラボをどうぞよろしくお願いいたします。

ほそかわゆきこ

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11月のひとりごと「PCC試験と『祝い』」

この11月、PCCというコーチング資格を取得することができました。
PCCは、正式には国際コーチング連盟(ICF)認定プロフェッショナル・サーティファイド・コーチという資格で、今まで持っていたACC(アソシエイト・サーティファイド・コーチ)のひとつ上の資格になります。

私の中では「プロでやるからにはこれぐら持っておきたい」という必達目標的存在だったこともあり(なんでだろ?)、無事に取ることができて、喜びや達成感よりも安堵や解放感を感じています。
でも、コーチングを始めてからここまでの道は、本当にずーっと心から楽しんで歩んでくることができました。
そんな時間をともにしてくださったクライアントの皆さまには、心からの感謝でいっぱいです。
本当にありがとうございました。まだまだこれからも末永くどうぞよろしくお願いいたします。

試験のこと

この資格の認定プロセスにはWeb試験もあったのですが、改めて「ほう」と思ったことがありました。

この試験の問題は、あるコーチングのシチュエーションが提示されて、4つの選択肢からICFの定める倫理規定コア・コンピテンシーに則してベストな行動とワーストな行動をそれぞれ選ぶ形式になっています。

定番問題として、「クライアントが目標を達成したとき」があります。

例えば、その時のコーチの行動の選択肢としては

  • 成長を承認し、クライアントにその成果の祝いの計画を共有するように勧める。
  • クライアントに次に挑戦したい課題を特定してもらう。
  • クライアントにこの成長を維持するために必要なものを訊ねる。
  • 次の新しい目標に向けてコーチングを延長するよう、クライアントに提案する。

があり、ベストが1つめの「承認と祝い」、ワーストが4つめの「延長の提案」となります。

この1つめの選択肢の内容、最初は「そりゃ成長の承認は大事でしょ」という理解で納得していたのですが、その後にICF非公式の模擬試験とかを見ていくと、どうやら「祝い」の方にもかなり重点が置かれていることがわかってきました。
なんだか、「何はともあれ祝わねばならない」ぐらいの感じです。
模擬試験だと、目標達成の問題では問答無用で「祝い」がベスト選択肢です。
非公式なので、ICFの真意が本当にそうなのかはわかりません。
実際の試験にも目標達成の場面では出てきたけれど、解答を共有してもらえないので、実際に何が合っているのかはわかりません。

しかしながら、私の中には「目標を達成したら祝い」というパターンが刻まれました。

「祝い」と余白

そもそもなぜ「祝い」が問題になるのかというと、ICFが掲げるコーチのコア・コンピテンシーにこんな項目があるからです。

コンピテンシー08.クライアントの成長を促進する
Facilitates Client Growth

7. クライアントの成長と成功を祝福している
Celebrates the client’s progress and successes

ICF コア・コンピテンシー

この項目を眺めていると、
「私はコーチとして、十分にクライアントの成長を成功を祝福しているだろうか?」というよりも、
「私は十分に自分自身の成長と成功を祝福できているのだろうか?」という疑問がむくむくと膨らんできました。

なんというか、「祝い」にちょっと苦手意識がある気がします。
誰かを祝うことは苦手でも嫌いでもないけれど、自分自身の成長や成果となるとちょっと…特別なコトもモノも、正直面倒くさいなと感じてしまう。
だからこそコーチという自分以外の誰かに祝福される必要があるのかもしれませんね。

でも最近、はっきりと「いいな」と感じていることがひとつあって、それは「何かを目指していない私であること」なのです。
現実的には並行して色々なことに取り組んでいるので、全くの空っぽ、「何も目指していない自分」になるのはなかなか難しいですが、やはり目標をひとつ達成したら、その分自分の中にはスペースができますね。

そういう時って自分が止まっているからか、色々なことに気づいて、感じることができるような気がします。
音楽も頭からっぽのときのほうが良く響きますしね。
そういえば、ドラゴンボールの歌でも「頭からっぽの方が夢詰め込める〜」って言ってた!笑
たしかに、自分の本当の気持ちとか欲求とかにも気づきやすい時だから、新たな夢も生まれてくるのかもしれません。

一区切りすることでできた空白を慌てて埋めるのではなく、余白の時間を十分に味わうこと。
私にとってそれは、しっかり終わらせて次の一歩の準備をするための時間であり、ひょっとすると「祝い」のひとつでもあるのかもしれません。

師走ですね

もうすぐ2023年もおしまいに差し掛かってきました。

1年の終わりも区切りのひとつ。
しっかり終わらせて、十分にからっぽになってから、新たな年を迎え入れたいなと思っています。

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国際コーチング連盟認定プロフェッショナル・サーティファイド・コーチ(PCC)資格取得のお知らせ

私、ほそかわゆきこは、この度、国際コーチング連盟認定プロフェッショナル・サーティファイド・コーチ(PCC)資格を取得いたしました。

これからも、クライアントの皆さまや関わってくださる方々とともに学びながら、引き続き精進していきたいと思っております。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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10月のひとりごと「5歳の息子に憧れる」

今月は、ふだんから触れているものに影響を受けちゃうよねって話。

私がまいにちまいにち濃厚に触れているものといえば、やはり息子たちなわけです。

今朝も、私が大学のレポートを書いていたら、次男(5歳)が部屋に入ってきて「アマゾン見せて」と言ってきました。
彼の言う「アマゾン」というのはAmazon prime videoのことで、要は動画見せろって要求。
「朝は時間ないからだめ」と言っていたらちょうど7時になったので、私はレポートを切り上げて朝の支度へ。
「見せてくれなきゃ動かない!」とごねる息子を置いて部屋を出て、
バタバタと家事をする合間に息子の様子を見に行くと、椅子の上で丸くなりながら、全身でこちらを睨みつけています。
ふーんと思って放置しておくと、こっそり廊下に顔を出して、こちらを探っている様子。
私も廊下に顔を出すと、ぴゅっと部屋に引っこんで隠れる。
またしばらくすると顔を出してきて、見つかると引っこむ。
それを繰り返してしばらくした後、そろそろ朝ごはんを食べさせねばと声をかけに行った部屋はもぬけの殻で、私が「あれー?」と言っていると「ここだよー」と別の部屋から飛び出てきてケラケラ笑う。
そして、兄のパンツを振り回してしばし遊んだ後、「ママー、うんち!」と大きな声で叫んでトイレに駆け込んでいきました。
そんな息子を見ながら私は、「健康で何より」と少し呆れながらも、何とでも遊びながら今この瞬間を全力で生きている感じに思わず憧れを感じてしまうのです。

この今朝の記憶を振り返りながら思い出したのが、「季節の記憶」という小説のこと。
稲村ヶ崎で暮らす父と息子の話で、私はこの小説を読んで以来「私もこんな子育てをしたい」と憧れていたのだけれど、今朝の感じはなんだかちょっと近いかもという気がしました。
でも、ひょっとするとそれはたんに、クイちゃん(登場人物の息子の名前)と次男が同じ年だからかもしれません。
クイちゃんのモデルは猫って聞いたことがあるけれど、5歳児というものはみんな猫みたいなのでしょうか?

さて、5歳児の魅力のひとつはやはり、ほっぺがぷりぷりなことではないかと思います。
次男はもともと色白で、重力を無視したようなハリ感しかない肌には羨ましさしかありません。
でも、この羨望は危険でもあると感じています。
当たり前の話だけど、5歳の身体と40代の身体はまったくもって別物なわけです。
自分の中での美しさの基準を5歳児の肌に設定してしまうと、これはとうてい実現できない理想なのです。
ここはわかってはいるところなので、日々、「40代には40代の美しさ!」とよくよく言い聞かせながら生きるようにしています。

5歳の息子は髪の毛もツヤツヤサラサラです。
彼の髪は私がカットをしています。
「どんな髪型になったって絶対にかわいいから大丈夫!」という素材に対する圧倒的信頼に基づき、眉上あたりで横一線にざくざくハサミを入れて頭囲を一周し、その下部はバリカンを使って刈り上げるという、ひたすら大胆な坊ちゃん刈りに仕上げています。
結果、予想通りにかわいいので、毎日毎日「かわいいなぁ、きれいだなぁ、最高だなぁ」と思いながら、彼の髪を撫で回しています。

ところで、私の髪型もここ最近はずっとショートヘアなのです。
実は最近、担当美容師さんが変わって、イメージのすり合わせに苦労しています。
その方が比較的保守的なタイプなこともあり、私の思う「スッキリ短くしてください」に達しないことが続いています。
写真を見て話をしても、結果「もうちょっと短くしてほしかったな」という気がしている。
とうとう先日は、最後の最後に「襟足だけこれぐらい切っちゃってください。刈り上げてもいいんで!」と言って切ってもらうことに。
最後に直すのって全体のバランスが崩れちゃうから避けたいんだけど、つい。
でもこれね、コミュニケーションの難しさとか、互いのショートヘアの概念の違いとか色々あるとは思うんですけど、たぶん私自身が息子の髪型に寄せたがってる部分が大きいのではないかと思ってます。
だって、あれが私のなかでは世界一かわいいので。
しかし、「いい感じに坊ちゃん刈りに寄せてくれ」っていうのは、ちょっと無理な要求じゃないかと我ながら思うのです。
長男(小3)はスポーツ刈りにしちゃったので、これはこれでかわいいんだけど、さすがに寄せたいとは思いません。
もしかすると私がショートから離れたほうがいいのかも…と、ボブぐらいに変えていこうかなと思う最近なのです。

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