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息子たちの春と太陽の塔

最近、浅煎りコーヒが美味しい。

春だからというわけじゃないけれど、春だからなのかもしれない。
浅煎りコーヒーは、のどごしスッキリ香り高い。(ビールみたいだな)
暖かくなると、そういうものが飲みたくなります。

さて、最近の暮らしについて。

息子たちの春

4月になって、新年度。
まだ春休み中とはいえ、子どもたちは学童&保育園なので、わりとずっと通常運転。

長男は小学3年生に。

この冬あんなに学校行けなかったのが嘘みたいに、毎日元気に学童に通ってます。
彼の学童は保護者送迎マストなので、長期休暇中は徒歩約10分の道のりを送っていくんだけど、毎朝7時過ぎには「早く行こう!」と叫んでいる。
学校よりも学童が好きなのもあるけれど、私はこの人は太陽連動型なんじゃないかと思っている。
ひょっとすると私がそうだからそう思うだけかもしれないけれど、陽の光が満ちてくると充電されるよね。
いやほんと、元気で何よりです。

2学期の通知表で「字をていねいに書く」がC評価だったので、3学期はがんばろーねと言っていたものの、残念ながら挽回されず再びのC評価…
約束どおり、4月からは書写教室に通うことに。
最近、将棋教室にも通いはじめたので(こちらは本人の希望)、学校以外の部分が忙しくなってきた感がでてきました。

次男は年中に。

彼のこども園では年中さんから制服(といっても上着だけの園児服)着用。
本当は2月頃に予約注文しなきゃいけないのをすっかり失念していて、先週かろうじて在庫の残っていた一つ大きなサイズを購入したという経緯があり、
ぶかぶかな制服に着られてる感でかわいさ倍増です。

彼のなかではこの冬からのあやとりブームが続いていて、歩きながらもあやとりをしている。
終わらない二人あやとりに付き合うのは正直うんざりではあるけれど、
あの小さな手から幾何学模様が生み出され続けるのは、本当に不思議で美しいものです。
すぐに「ママ、これ持ってて」とあやとりひもを持たされるので、近ごろの私はどんな服を着ていてもポケットからあやとりひもが出てきます。

太陽の塔

先週末は、家族でさくら祭り開催中の万博記念公園へ遊びに行きました。

子どもたちは半袖で走り回るほどのいい天気で、大勢の人たちで賑わっていました。

さくら越し、横から見た太陽の塔。
「ちょっとこの人ストレートネックじゃない?」って気がした。

よく見ると薄汚れていて、息子たちと「ゴシゴシ洗ってあげたいね」って話してた。

そう。

改めて太陽の塔を目の当たりにして、こんなに「これは生命体である」と感じさせられるのってすごいなと思ったのです。

正面から見ても、左右どちらから見ても、この塊感!これがマッスってやつなのか?
鉄筋コンクリートなんだけど、堂々たる「身」の厚みって感じ。

背面の黒い太陽。かっこいいー。

こんなに厚みがあるけれど、中は空洞。
前日までの予約制で内部の見学ができます

塔の内部には「生命の樹」。
原生類時代→三葉虫時代→魚類時代→両生類時代→はちゅう類時代→哺乳類時代と、
いのちの歴史をあらわした巨大オブジェ。
高さ30メートルまで、階段を登りながら観賞できます。

アンモナイトとか、プテラノドンとか、マンモスとか、図鑑なんかで知ってるいきものたちの姿を見つけて、息子たち大喜び。
私自身は、階段を駆け上がる息子たちを追いかけるのに必死でとても展示をじっくり見られる状況じゃなかったけれど、目を輝かせる彼らのvividな瞬間を見られたので良しとしよう。

ちなみに、写真撮影はスマホやカメラの落下が危険なので通常は1階のみOK。
ただし、500円でスマホケースをレンタルすれば、上層部でも撮影可能らしい。
私は「うまい商売やな」と感心しつつも、レンタルしませんでした。

たくさん歩いて疲れたし、首筋が日焼けしてひりひりするけれど、よい春休みの思い出となる一日でした。

どんな春を迎えてますか?

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吹雪が去って、ようやく明けた?2023年

新たな年がはじまって、もうすぐ1月が終わろうとしています。
遅ればせながら、2023年もどうぞよろしくお願いいたします。

私の2023年、スローなスタートとなっております。

そんななか、10年に一度(ほんとに?)の大寒波が到来し、私の暮らす琵琶湖北部のあたりでも昨日一昨日はかなり吹雪いてました。
ちょうど一昨日の息子のお迎え時間が降りはじめ=吹雪きはじめだったので、「この冬初の雪道運転がハードすぎる!」と半泣きになりながらも、30km/時で無事帰還いたしました。
また経験値が上がってしまった…。

今朝はすっかり晴れて、外を歩いて雪を楽しむこともできるようになりました。
今日は、その雪さんぽの様子と、最近の私が直面していた「長男が学校に行けない2週間」について書いていきたいと思います。

雪さんぽ

雪の日の空気って、本当に「新しい」って感じがします。

ほんの15分ほど歩いただけでしたが、その「新しさ」に触れつづけていることで、なんだか「あ、明けたな」とか「動き出したな」という感じがしてきました。
スローなスタートだと感じていたけど、実は明けるまでのところですごく時間がかかっていたのかもしれない。
ということで、今日は私的には2023年がはじまった日=私正月とします!

しかし、雪の何もかを覆う力ってすごいですね。
雪があることで、いつもは見えないものが見えたり、ちょっと違った自分の感じ方に気づいたり。

地面が雪で覆われていると、いつもとは全然違う場所を歩いていることに気づきます。
この公園には舗装されている遊歩道があるので、ふだんは自動的にそこを歩いています。
でも、真っ白な雪で歩道の境界線も消えてしまうと、そこには未踏の地が続いているだけ。
そういう場所では、心のままに歩くのです。
斜面だと思っていたところが段差だったりして、ズッポリはまってびっくりすることも。

それでも、習慣の外側にいる自分に嬉しくなった雪さんぽでした。

長男が学校に行けない2週間

2週間ほど前のことですが、突然、長男が学校に行けなくなりました。
朝起きて、朝食を食べて、登校の準備をすると、「気持ち悪い…」と吐き気や嘔吐が出てしまう。
最初は「胃腸炎かな?」と様子を見ていましたが、どうもそうではない様子。
朝(しかも学校のある日の朝)になると気持ち悪く、午前中は寝て過ごし、午後になると回復してきて、夕方以降は元気いっぱい。
「明日は学校行けるかな?」と期待して朝を迎えると、やっぱり気持ち悪い…という日々を繰り返していました。

学校に行きたくないはっきりとした理由(いじめとか縄跳びがいやとか)はなさそうだし、朝は本当に不調なようだし、もっと複雑な身体も心も一体になったところで起きている現象だろうと見ていました。
「なんとなく行けない」という感じです。

小児科の受診結果も、おそらく感染症ではないので、自律神経系または心因性の可能性ありとのことでした。
吐き気は低血圧によるものと考えられるものの、何かしら診断を出せるほどの検査結果が出ていないようでした。
要は「しばらく様子を見てみましょう」ということですね。

その頃、私が考えていたことは、
「まぁ、そりゃこの時期は学校行きたくないよねー。寒いし、私も外出たくないもん。」
「ある日突然、ひょっこり行けるようになるんじゃないの?」
「この時期小学校に行けなくても、人生的には大したことはないよね。」
「でも、元気なときには少し家庭学習させた方がいいかな。」
「血圧低いのは遺伝だわ。私も夫も血圧低いし。」
「自律神経のためにも、もう少し体力つけた方がいいかな。私自身も一緒に。」
「家にずっといられると、私自身が自分のやりたいことに集中できないんだよね…」
「私自身のことは犠牲にせずに、できる範囲でできることをしよう。」
「こういう時、家庭は居場所でないと。プレッシャーやストレスは逆効果。」
「あー、また昼ごはん食べさせなきゃ。どうしよ。」
「休みが長引くと、余計に登校への心理的障壁が高くなるんだろうな。」
「学校って場所自体が、だるい>行きたいなんだろうな。」
「『登校しても大丈夫』と思えるような小さな成功体験ができるといいかもしれない。」
「いい加減、わたしも一人の時間がほしい…!」
などなどなど。

無理して学校に行かせなきゃいけないとは思っていないけれど、私としては今の状況は困る。
だから、焦らせすぎないように、できる範囲で登校できるようなサポートをしなきゃな、というところでしょうか。
私自身も疲れたくないので、あまり考えすぎないようにしようと思いつつ、気づいたら勝手に考えちゃうという感じです。

そんなことを考えながらも、状況は変わらないまま2週間が経とうとしていました。
「できる範囲で」と思いつつも、自分の時間を削って、息子の様子を見たり、勉強を見たり、一緒に外に出たり。
今週は、先生からの勧めもあって、ためしに3時間目だけ登校とか、ちょっとした挑戦に誘ってみたり。
私はだんだん疲れてしまって、ちょっと声かけや働きかけはセーブして、しばらくは好きにさせておこうかなと方針転換を検討してきたところ。

ところが、昨夜のこと。
息子が突然、「ママ〜、明日学校行けたら、iPadに釣りスピリッツ(ゲーム)入れてくれる?」と言い出したのです。
「えー?ちゃんと一日過ごせたらいいけどー(ただし我が家のゲームルールの範囲内で!くどくど。)」
と、私は半信半疑で答えました。

すると、なんと今朝、彼は普通に自力で登校していきました。
今のところ、学校からお迎え要請の連絡も来ていません。
釣りスピリッツは、ちゃんと彼の背中を押してくれたようです。
もちろんまだ油断はできませんけど、「え?それでいいの?」ってなんだか拍子抜けした気分です。

この経験から得たこと

なんとなくこの件も「明けた」ような予感を抱いている今、感じていることをふたつほど。

まずひとつは、私は「これは本当に自分が何かしないといけないことなのか?」という迷いを抱きつづけていたなということです。

この2週間、どちらかというと私は「これは彼が自分で乗り越えなきゃいけない壁なのではないか」と思っていました。
そして、「きっと彼はそのうち学校に行けるようになるだろう」とも思っていました。
結果的に、彼は自分でご褒美を設定することで状況を打開したわけです。
だったら私は最初から何もしなくてよかったのでしょうか?

それはNOだと思います。

まず、まだ彼は子どもであるという事実があります。
小学2年生の彼には、自分の力ではどうにもできないことがたくさんあります。
特に対〈社会〉というようなことですね。例えば、専門家に診てもらうとか、誰かと交渉するとか、お金で解決するとか。
まだ知らないことがたくさんあるので、彼の想像を超えた何かが必要なこともあるでしょう。
そういったことを、一緒に話しながら探り、検討し、実行していくことは、大人じゃないとできないことです。
そういったサポートが必要なことがあるのかどうか、あるとしたらどんなことなのかは状況によって変わるでしょうから、コミュニケーションを取り続けてキャッチしていかなくてはなりません。

また、自分で打開策を見つけるにも、そのためには考えるプロセスが必要ということもあります。
彼がご褒美という打開策に至ったのは、彼が彼なりに考えたプロセスがあったからだと思います。
自分なりに考える、そのプロセスを刺激するうえでは、母親と一緒に考えたり、話したり、取り組んでみたりすることは、意味あることだったのではないでしょうか。

一方で、私がやらなきゃいけない「何か」は、もう少し限定されていたのかもしれないとも思います。
勉強を見たり外に連れ出したりして一緒の時間を増やしたことは、私にとっても彼にとっても良い時間ではあったけど、そこまでやらなきゃいけないことではなかったように思います。
甘えん坊だけどひとりの時間も大好きな息子なので、お互いのためにもっと放っておいても良かったかもしれません。

だから、この件については、「自分がやらなきゃいけないことも多少はあるけれど、やらなくてもいいこともたくさんある。だから必要なことを厳選することが大事」ということなのかなと思います。

もうひとつは、先の見えないことはしんどいなということです。

「もっと放っておいても良かった」というのは今だから言えることで、この状況でどのようにふるまうべきか、それがどれだけ続くか分からないと判断しにくいものです。
でも、それって「生きている」ということと同じでは?とも思います。
だって、いつまで続くかわからない人生を、平気で生きているのが人間です。

何が違うんだろう?と考えてみて、「どれだけ終わりを求めるのか」なのかなという気がしました。
どうしてこの状況の終わりを求めるのかというと、自分がしんどいからですね。
以前に読んだ「居るのはつらいよ」的に言うと、登校しない息子という異物がいることで、家庭における自分の居場所が脅かされていたのだと思います。
だから、「いる」のがつらくなって「する」に逃げる。
その結果、「何かをやらなきゃ!」となって、余計に疲れる。
なんだかよくないエネルギー消耗のループがあるような気がします。

ここを打開するためのポイントは、自分の居場所を見つけ直すということかもしれません。
家じゃない場所でいいから、無防備にお尻を預けられる場所に一時避難する。
家を安心できる場所にしたいならば、息子を異物=特別扱いせず、もっと適当に扱って、色々頼って、自分が無理なくいられる状態を作る。
そういうことが、自分の責任で、自分が取り組まなきゃいけないことですね。

そういうことが、先の見えない状況に「いる」ことを続けやすくするのかなと思いました。

これらのことから考えると、同じような出来事が起きたときには、こんな指針が持てそうです。

① 大人のサポートが必要な事柄については、子どもと相談をしながら、親の判断できちんと対処する。
② ①以外の部分は、一緒に話したり考えたりすることで、本人の思考のプロセスを刺激する。
③ それ以上のことは「する」に走らず、自分の居場所の確保を優先する。

また経験値(経験知?)が上がってしまった…!

明日からの日々がどうなることやらわかりませんが、もう少しお尻を落ち着けて付き合っていけそうです。

経験値、上がってますか?

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永遠ではない、私の日課

我が家の次男は4歳児。
まだもうひと踏ん張り、朝夕の保育園への送迎が続きます。

今日は、私の日課であるお迎えのお話。

ひとりで行く道

朝は夫が送ってくれることが多くて、夕方はたいてい私が迎えに行きます。
お迎え=私の閉店時間なので、ため息混じりで向かう日もしばしば。
でも、PCモニタを見つめて座ってばかりになりがちの私の日常では、貴重な「動」の時間でもあります。

田舎なので、保育園までの足は自動車です。
お迎えの時間はいつも変わらず17時半。
同じ時間、同じ車で同じ道を行くと、フロントガラス越しの空に季節がうつろっていきます。
何かの講義で先生が「日本という国では、暦は四季がくれる」って言ってたけど、本当にそうだなと感じる時間。
地軸の傾き、ありがとうございます。

なんといってもいちばん好きなのは、秋。
あっという間に過ぎ去った季節。
夕焼けと夕暮れの間を走りながら、この曲をよく聴いてたな。

ふたりで帰る道

我が家の次男にはロマンチストなところがあって、「ママ、お月さまがきれいだよ」なんて教えてくれます。
ふたりで一緒に、夕焼けやら小鳥やら変な形の雲を眺めながら「きれいだね」と言い合う帰り道は、ちょっと心弾む時間。

先日の帰り道は、打ち上げ花火に遭遇しました。
琵琶湖って、実は花火が多いんです。
でも、こんな早い時間にあるのは珍しいかも。

冬の花火はよいものですね。夜の暗さが違うから。
車で走りながらだと建物に隠れて見えないことも多かったのだけど、
ガード下をくぐって琵琶湖に向けて登る道を進んでいくと、目の前にブワッと花火の空が開けて、なんだかテーマパークのアトラクションみたい。
私も息子もテンションあがって、歓声を上げながら楽しんだのでした。

覚えておきたい景色

とはいえ、もちろん毎日毎日こんなに美しいわけではないのです。
私が泥のようにぐったりと疲れ果てていたり、そんな時に限って息子がぐずったりして、「勘弁してくれ…」と思う日もざらにある。
でも母は、雨の日も風の日も、お迎えだけは行かねばならない…。
たとえその後の夕食がレトルトカレーだとしても、我が家には連れて帰らねばならない…!

長男が小学校に入って送り迎えがなくなったときは、「こんなに楽になるとは!」と感動したのだけど、
この日課もあと2年と少しのことなんだなぁと思うと、しみじみと愛おしい気持ちになります。

車を運転しながら眺めた景色って、写真や動画に残しておけないのが難点ですね。
私と息子を包む空気ごと、アルバムに残しておけたらいいのに。

そう考えると、ふと、この帰り道を覚えておきたいなーと思って、ブログに書いておくことにしました。

あなたが覚えておきたい景色は、どんな景色ですか?

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2023年の手帳のはなし

師走ですね。
自分の周りも内側も、なんだか慌ただしさを感じる時期です。

12月の我が家の子どもたちの日課は、アドベントカレンダーを開くこと。
日付の描かれた小窓を開けると、チョコレートが出てきます。
クリスマスまでのちょっとしたお楽しみです。

ケンカになるのでひとり1箱。右側が、我慢できずに25日を開けてしまった4歳児の箱。

「カレンダー」とは、もともとラテン語のKalendae(ローマ暦の朔)ということばに由来していていて、「勘定を精算しなければならない日」という意味だったそうです。なるほど。
ここ数日、「これで年内最後の○○」といったことが増えてきて、私はなんだかちょっとホッとしています。
「一区切りつけられるな」という感じでしょうか。

先日も、大学の課題の年内最後の提出締切を無事(いや、正直そんなに無事ではないけど)終えて、「年内は締め切りがない…!自由だ!」となりました。
私の大学は3ヶ月単位の1年4学期制なので、1月になったらまたすぐ締切が来るんだけれど、年の瀬の心理的効果は絶大。
暦とは、ちっぽけな人間が雄大な時間を生き抜くための偉大な発明なのですね。

そんな私が「さて、これから何をしようかな」と考えたとき、
「そうだ、新しい手帳をおろそう」と思いついたというのが、今日の話。

わたしと手帳

手帳って、一般的にいつから使い始めるものなんでしょう?

人によっては「毎年1月1日から」「開運日から」なんて決めてるんじゃないかな。
私は特にこだわりなく、思い立ったが吉日派。
でも、毎年微妙に使わないページができちゃうことに「もったいなくない‥?」と思ってしまう。
みんなどうしてるんだろ?

手帳はシンプルなA5サイズ。マンスリーとウィークリーの見開き(左に月〜日、右はフリースペース)だけでいい。
今年は無印で見つけたこちら

右は2022年の「縁起のいい日手帳」。暦についての豆知識なんかが載ってておもしろいんだけど、だんだん読まなくなっちゃった。

ずっと前から、スケジュール管理はGoogleカレンダーにお任せです。
色んなものと連動しながら、ばっちり通知も発してくれて、こいつがいないと社会生活を営めない‥
To DOの管理なんかはタスク管理のアプリでやっています。

じゃ、何に手帳を使っているのか。

それはふたつ。

①マンスリーでざっくりとした過ごし方をイメージ
 Googleカレンダーは概観するには登録されている内容が多すぎるので‥
 主なイベントだけピックアップしておくと、「じゃ、来月はこれしよー」みたいなことを考えやすい気がします。

②ウィークリーで日記未満のふりかえり
 雑多なメモです。やったこととか、食べたものとか、読んだ本とか、聞いた曲とか、感想とか。
 こういうことがあったなーと私だけがわかる、文章になってないやつです。

①は、Googleカレンダーの弱点を補うためにマストな存在。

②は、なんやかんや試行錯誤してて、今はこの形という感じです。来月は違うかも。
以前はもうちょっと「今後に役立つ」ふりかえりというか、教訓やら成長課題やらを引き出すようなことをしようともしたのです。
でもまぁしんどいから続かないですね。私にはちょっと息苦しかった。

今の形になってからも、一応毎週末にリマインダーを設定しつつ、気づいたときに書いてます。
忙しかったら平気で2〜3週間飛んじゃうんだけど、そんな時は「ふりかえりができる日々に戻ってこれてよかったねー」と、とりあえず戻ったことを喜んでおきます。
後から見たらその空白も「この時はそういう時期だったのね」という足跡なので、無理して埋めなくてOKということにしている。

手帳とは、そんな感じで付かず離れず付き合っています。

「人生はドラマではないが、シーンは急に来る。」

ここまで書いてみて、私には工夫しながらも手帳と付き合いたいという意思があるんだなーと気づきました。
だって、マンスリーだけなら壁掛けカレンダーでもいいじゃない。

手帳を使い始めたのは、3年ほど前のコーチングを始めた頃のこと。
(その前は「あんなアナログなもの、要らんし」と思ってた。笑)
はて、何か関係があるのかしら?

そう思い巡らしたところで、頭の中に浮かんできたのがこのことば。

人生はドラマではないが、シーンは急にくる。
わたしたちはそれぞれに様々な人と、その人生ごとすれ違う。だから、花やうさぎや冷蔵庫やサメやスーパーボールの泳ぐ水族館のように毎日はおもしろい。

くどうれいん「うたうおばけ」

くどうれいんという歌人のエッセイ集で見かけたことばです。

ドラマというのは、シーンのつながりでできています。(たぶん)

人生はドラマではないので、
オープニングからからエンドロールに向けてまっすぐ進んでいくわけではないし、筋書きもなければ演出もない。
もっとごちゃごちゃぐるぐるしていて、回収されない伏線だらけかもしれない。
でも、シーンはたくさんある。
そして、それは急にくる。

そして、私が手帳を使って②でやりたいことって、自分の人生にあるシーンに気づくことなんじゃないかという気がします。

私の日記未満のメモって、こんな感じです。
 「手帳おろす スタバ トールラテ 腰痛い ソングライン 耳鼻科tel」
よくわからんけど、「手帳をおろす」というdoingだけじゃなくて、場所とかその時の感じとか、行くまでに聴いてた音楽とか、そういう色々なものをクロスさせると、なんとなくシーンが立ち上がってくる気がしません?

このメモ、もちろん後日改めて読むこともあるんだけど、それよりも書きつけておく行為とその時間が大事だと感じていて。
それって、自分の経験について「話すこと」と同じかもしれません。
自分の中にこういうシーンがあったということに気づいて、認めて、とどめておく。
そういう行為です。

シーンは急にくるから、そのシーンの意味は今はわからなかったりする。
そういうもんだと思います。
すでに大事だとわかっているものだけが、本当に大事なわけではないはず。
自分の中にちゃんととどめておけば、未来の自分がなんとかしてくれるでしょう。

2023年、いったいどんなシーンがくるんだろう?
今から楽しみですね。

あなたには、どんなシーンがありますか?

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つまるところ、変わり続けるものの「今」が好きなのです

暑くなったり雨が続いたり、不思議な夏の気候ですね。

私は、次男の虫歯騒動が勃発したり学業に追われたりする日々を過ごしています。
久々となったこのブログでは、ゆるりと近況について書いていきます。

ピラティスのパーソナルトレーニングのこと

初めてコーチングを受けていただいた方の感想として、「楽しかった」と「頭が疲れた」をよくいただきます。
「頭が疲れた」と言われると、私はムフフとしてしまい、「そうそう、それが頭のコアマッスル!思考の体幹トレーニングですよ!」と言ったり言わなかったりするのですが、
そんな私は、この春からピラティスのパーソナルトレーニングを受け始めました。

パーソナルトレーニングは、もちろん費用はそれなりにかかりますが、自分には合っている良いものだと感じています。

まず第一に、トレーナーがちゃんと見てくれているということ。
私個人をしっかりと見たうえで承認したりトレーニングの提案をしたりしてくれることが、私のモチベーションやトレーナーへの信頼につながっていると感じます。

それから、トレーナーがいるから自分の枠を超えられるということ。
今どき、ピラティスだけなら動画でも何でもやる方法はいくらでもあります。
でもそれだと、できそうなことばかりやってしまったり、逆にわけも分からず難しいことをやって挫折したり、そのときの自分に必要な枠を超えることが難しいことがあります。
その点、ちゃんと見てくれているトレーナーは、私に適切な挑戦を促してくれます。
「自分ひとりならこんなしんどい動きしませんけど!」ということも、トレーナーが背中を押してくれるからやろうと思えます。

そして、やっぱりできると嬉しいということ。
できると思っていなかったこと(そもそもやってみようとすら思っていなかったこと)をできると嬉しいんですよね。
「できる」というのは、自分自身で確認できることもあれば、トレーナーが「今きれいにできてたよ!」と言ってくれることでわかることもあります。
自分の身体の使い方の癖は自分自身では気づかないことが多いものなので、「変わってきたよ」と言ってもらうことで実感できる変化があります。

これらはコーチングとも共通していることですね。
そして、トレーニングを通して、(望むと望まざるとに関わらず)変わり続ける自分の身体への興味関心も高まっているような気がしています。
その興味関心は、コーチングの持つ「楽しさ」とも関連することなんじゃないかと思います。

無鄰菴の庭園のこと

最近、庭園というものが気になっています。

今まであまり考えたこともなかったのですが、庭は「生もの」なんですよね。
いつどんな背景で作られた庭であっても、目の前にあるのは「今の庭」である。
その美しさは、今この瞬間に自然から生み出されるものであり、様々な歴史や環境といった状況から立ち上がるものでもある。
そういうところが興味深いなーと思っています。

こちらは、京都の南禅寺にある無鄰菴の庭園。
明治期に山縣有朋の別荘として作られた庭です。

庭には枯山水よりも本物の水があってほしい。池よりも川だとなお良し。
そんな私にとって、こちらのお庭は最高です。
夏の小川と青紅葉も本当にきれいでしたが、四季折々の美しさがあること間違いなし。
カフェでお茶をいただくこともできるので、南禅寺界隈の観光スポットとしてもめっちゃおすすめです。

変な感想ですが、この庭を歩いている時に「むむ、これはあれだな」と思い出したのは、東京ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドでした。
共通点は何なんだろう‥
なんだか、すごく童心に帰る感じがするんですよね。
奥へと探索しながら進んでいくワクワクする感じとか、その途中で美しいものや珍しいものを発見する驚きの感じとか、ノスタルジックな憧憬(山縣有朋は故郷の風景を再現しようとした)とか。
あと、縮尺がバグってるの(実は意外なほど狭い)も共通点ですね。
でも、一番は明るくわかりやすいエンターテインメント性みたいなものかもしれません。
なんだかとても「近代」って感じがします。

そのあたりはもう少し学んでみたいなと思っています。

くるりのライブのこと

くるりのライブに行ったことも、忘れちゃいけない近況です。
このところもっぱら配信ばかりだったので、久しぶりのライブハウスに感動していました。
身体にダイレクトに響く音の幸せよ…!生きててよかった!涙

特にこの曲が、とにかく変態的に超絶かっこよかったのです。

くるり Tokyo OP

こんなバキバキな曲の完璧な演奏を生で見られるなんて最高の一言なのですが、
なんといっても石若駿のドラムが素晴らしくて、「阿修羅かな」と。笑
今でもこの演奏を思い出すと、この敦煌莫高窟第249窟の天井画の阿修羅や神々が、びじゅチューンのように舞い踊るイメージが脳裏に蘇ります。
びじゅチューン好き。MOA美術館の井上涼展行きたい…。

敦煌莫高窟第249窟の天井西画。6世紀中頃の中国(西魏)の壁画。阿修羅の両脇には風神雷神がいます。

ライブを通して受け取っていたことは「続く」というイメージで、
開かれた道や旅の途中の「今」であるということ、
常に新しい「今」を生きることで変わり続けて進んでいくのであるということ、
そして「変容しながら続く」ということが変わらないこととして存在し続けているのだということでした。

だからこそ今この瞬間に生まれているとんでもなく素晴らしいものを目撃して、私はその揮発性の高さに少し途方にくれてしまう。
この感じはなんだろな?とよくわからないのだけど、きっと自分にとっては大事なことなのだと思います。

ここまで書いてみて思ったのは「つまるところ、変わり続けるものの『今』が好きなんでしょ」ということで、
それは間違いなくコーチングをやっている理由のひとつでもあると思います。

でも最近は、その「今」に触れた時に「私はどうすればいいんだろう」という思いも生まれていて(特に芸術に関する時)、それはこれからの私の問いなのかもなぁという気がしています。
まぁ、それが私の「今」ということですね。

あなたの「今」はどうですか?

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名もなき週末を気持ちよく終える

こんにちは!ほそかわゆきこです。

今年のGWは、おかざき真里先生の「阿・吽」全14巻を読破して大いに感動し、最澄様の大ファンになりました。
その後、京都の国立博物館で開催されていた「最澄と天台宗のすべて」展に行ったところ、ミュージアムショップで最澄様クリアファイルを発見し、迷わず購入してしまいました。

この美しさは不可抗力!

さて、今日は最近のことについて書きます。

名もなき週末

突然ですが、日曜の夜に「今週も名もなき週末を過ごしてしまったな」と思うことがあるのです。

名もなき週末って何?って話ですけど。

名のある週末っていうのは、わかりやすく言えば「一泊二日温泉旅行」みたいなことですね。
「SNSに投稿しちゃおうかなー」っていう、そういうあれです。
イベントごとはたまにあると楽しいんだけど、しょっちゅうあっても正直疲れちゃいます。私は。

それから、あらかじめ仮の名がついていた場合もありますね。
「レポート課題をここまで進める週末」みたいなね。
そう目論んでいたんだけど実際はそうならなかったときなんかにも、
つくはずだった名を失って、名もなき週末になってしまうことがあります。

昨夜の場合

つまり何なのかというと、
先週の日曜の夜にも、どちらかというと後者の理由によって「名もなき週末を過ごしてしまったな」と感じていたっていう話なんですが。

サザエさん症候群じゃないけれど、「もう週末終わっちゃうのかー」とハッとする瞬間。

そういう時、
そこまでパッとした出来事がなくてもふりかえってみれば何かしらのハイライトはあるものだから、
そういうものをピックアップして名を付けてみるというのも、ひとつのやりかただと思います。

が、昨日はそういう気分ではなかったのです。
ふりかえってはみたものの、なんとなく「要約したくない」とい感じました。
ピックアップすることで、取りこぼすものが多すぎるというか、大切な全体の空気感が損なわれてしまう気がしました。
細々とした雑多なものたちを、全部まるごと「OK!」と抱きしめたいような気持ちだったんですね。

だから昨日は「終わりよければ全てよし」方式に切り替えました。

気持ちよく終えるために

そうなると、重要なのは「いかに気持ちよく終えられるか」ということ。

昨日、気持ちよく終えるために機能してくれたものは3つ

ひとつは、洗いたてのベッドリネン
仕事をしていると、休日は貴重な洗濯日なのです。
それは個人事業主だろうと在宅勤務だろうと変わないところで、洗濯は週末の最重要MUSTであります。
洗いたての香りのするシーツにくるまれながら、ちゃんと洗濯した自分を全力で褒めてあげました。笑

もうひとつは、すっきりと軽い頭と体
去年のクリスマスに自分用に電動の頭皮マッサージャーを買ったんです。シャンプーしながらウィンウィンもみほぐしてくれるやつ。
なかなか時間がかかるので、週末のスペシャルケア専用になっていて。
これを使うと本当に気持ちいいし、目や頭、首まですごく軽くなるんです。
GW明け、集中してPCとにらめっこする時間も長かったので、眼精疲労から頭皮がガチガチになっていたようです。
ふわふわした気分で「やれてよかったー」って思いました。

最後のひとつは、隣で眠る息子たち
彼らの健やかな眠りごと抱きしめると、心から安らぎ、満たされた気持ちになります。
ありがたいことに当たり前にいてくれる存在だけど、その愛しさを存分に味わえるかどうかは自分次第なことが多いもの。
「ああ、なんて幸せなんだ…」と噛み締めながら眠りに落ちた21時半。

うーん、改めて書いてみると、「名もなき週末、最高じゃないか!」という気分になってきますね!

さて、心身ともにしっかりチャージされたので、進まなかったレポート課題は今週がんばります。

「普通の会話を愛している」

この文章を書きながら、頭の中ではこの曲がぐるぐる回っていました。
こういう、どこにも行かない系の夜の曲(完全主観による命名)って好きです。

cero / 大停電の夜に

「普通の会話を愛している」って素敵ですね。
私も普通の会話、何気ない日常、名もなき週末を愛して生きたいと思っています。

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2度目の大学生になりました

春ですねぇ。

我が家の近くにある長浜城(「日本さくら名所100選」のひとつ)も、すっかり満開です。

4月、新年度が始まった方も多いのではないでしょうか。

進学や就職、異動といった大きな変化のある方も、
特に大きなイベントはないものの「春だから何か始めようかしら」なんて考えている方も、
皆さんそれぞれの春の話を伺うのは、心はずむ楽しい時間です。

大学で芸術を学びはじめます

わが家ではこの春、息子たちがそれぞれ進級した他、なんと、私自身が大学に入学いたしました!

大学は、20年ほど前に一応卒業しているので、2度目の大学生ということなります。
京都芸術大学 通信教育部 芸術学科 芸術学コースというところです。

京都芸術大学(旧・京都造形大学)には通学部もありますが、
私は通信制で、自宅での学習と週末のスクーリングが中心となります。
3年次編入なので、最短2年で卒業できるのですが、
4年くらいかけて、じっくり学んでいくつもりです。

芸術学コースでは、芸術論、美学、美術史なんかを学んでいきます。
芸大生なのに、制作しません。
もちろん、他には制作をするコースがたくさんあります。
そういうコースでは、最終的には卒業制作に取り組むのでしょうが、私は卒業論文を書く予定です。
卒論のことを考えるとちょっと構えてしまいますが、なんとかなるようにやっていきます。

「芸術を学ぼう」というのは、去年の夏の終わりぐらいに降ってきたアイデアで、
前々からずっとやりたいと思い続けていたことというわけではないのだけれど、
一度思いついたら、「ああ、これだ!」と非常にしっくり来てしまったのです。

何かに対して「美しい」とか「素晴らしい」とか「面白い」とか感じることは、
私の意志を超えて起こるにも関わらず、私自身を突き動かす力を持っています。

そういう不思議さについてもっと探求したいと望んだ時に、
芸術を学ぶことはひとつの方法なのかもしれないと思ったのです。

全てがハッキリと言語化できているわけじゃないんだけど、そういう思いで、迷うことなく入学を決めました。

やりたいと思ったことを、迷わず実行できる環境に感謝しながら、
これから広がる深遠な世界を、一歩ずつコツコツと進んでいきたいと思います。

行けなかった入学式

4月3日には、京都にある大学キャンパスで通信教育部の入学式がありました。

私の自宅からこの瓜生山キャンパスまで、電車で片道1.5〜2時間くらいかかります。
日々通学するのはしんどいけれど、たまの週末に通う分には楽しい距離ですね。
なんといっても京都!京都に行く理由が増えるのは単純に嬉しい(*^^*)

この入学式(とその後の新入生ガイダンス)、現地で参加するつもりで申し込んでいたのですが、
結果、私は参加することができませんでした。
なぜなら、新型コロナウイルス感染症の療養中だったから‥
入学式の2日前に発症して、この日は高熱を出しながら、オンラインで中継される映像を眺めていました。
(軽症だったので、今は無事に回復しました!)

今年から新設された書画コースに入学された歌手の橋幸夫さんが、新入生代表の挨拶をされていました。

橋幸夫さん、来年80歳だそうです。
高校2年生から芸能活動を始めたため、学びたりなかった学生生活に心残りがあったんですって。
歌手生活引退を機に、かねてから嗜んでいた書を本格的に学ぶために、大学入学を決めたとおっしゃってました。
命尽きる前に卒業を!という意気込みに圧倒されてしまいましたが、
何歳からでも学び始めることができるって、本当に素晴らしいことだと思います。

通信教育部では、リタイア後の人、働きながら学ぶ人、高校卒業したばかりの人、
本当に多様な人たちが、それぞれの思いで学んでいるそうです。
これからの学生生活でどんな出会いが待っているのか、楽しみな気持ちでいっぱいです。

これからは、そんな私の学生生活についても、ブログに書いていけたらいいなと思っています。

まだ「山眠る」

実は、これを書いている今日が、コロナの療養期間の最終日です。
私の新年度、いきなり足止め感はありましたが、明日から再スタート。

じゃあ、「やるぞー!」とウキウキワクワクでいっぱいなのかというと、そうでもなく。

今の気持ちはこんな感じ。
私の中はすごく静かなんだけど、底の方に熱い何かが眠っているのかもしれません。

冬山惨淡として睡るが如し/Templay

この数ヶ月、この曲を本当にいっぱい聴きました。
そういう時期、そういう曲ってありますよね。
この時期に、こんな気持ちで、この曲と一緒にいたんだということを、忘れないでいたいなと思います。

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足し算の時間、引き算の時間

すっかり春めいてきましたね。

2月の終わりから3月頭にかけて、寒いし、2回も転ぶし、奥歯は折れるしで散々だったのですが、最近は急速にウキウキ感が高まってまいりました。
あたたかい陽射しを浴びることが、こんなにただただ嬉しいなんて、雪の降る地域で暮らすまで知らなかったことです。

3日ほど前までは「あれ?ひょっとして花粉症治ったんじゃない?」なんて思っていた私ですが、今は岩清水のように湧き出る鼻水と共に暮らしています。

春の琵琶湖。ボートで釣りをしている人をよく見かけます。

さて、今日は、最近よく考える時間の捉え方のことを書いていこうかなと思います。

「終わらせないでいられる」才能

先日、コーチングの勉強会で、ギャラップ認定ストレングスコーチからストレングス・ファインダーについて学ぶ機会がありました。

ストレングス・ファインダーとは、自身の強みのもとを診断できるツールです。
その強みのもとは34の資質に分類されていて、診断を受けると、自分の持っている資質の順位を教えてくれます。

私の場合はこんな感じ。

34の資質は、実行力、影響力、人間関係構築力、戦略的思考力という4つのグループに分けられます。

私の上位資質には人間関係構築力が多くて、これらの強みを使ってコーチングしているんだなとは思っていたんですけど、先日の勉強会では、また違う気づきがありました。

そこでは、参加者7名の資質を上位からズラッと並べた一覧表をシェアしていただいたんですが、他の方たちの結果と比べてみて、
「私、こんなに実行力がないのって、もはや才能じゃない?」って思ったんです。
はい、ポジティブ発揮してます。
だって、こんなに上位に実行力の資質が少ない人、他にいなかったんです。笑

実行力って、「終わらせたい」才能なんですって。
だから、私は終わらせなくても平気な人とも言えるのかもしれません。
「終わらせないでいられる」才能の持ち主として開き直って生きるのもありなんじゃない?と思ったとき、思い出した出来事がありました。

タロットが教えてくれた、自分らしくないやり方

この勉強会の少し前のことですが、コーチング仲間がタロットを使ったコーチングを始めたので、試しに受けさせてもらいました。
タロットって初めてやったのですが、今どき、アプリでできちゃうんですね!びっくり。
その方は、コーチング×無意識的コミュニケーション×タロットの組み合わせでやっていて、テーマを決めて、カードを引いて、その内容を読み解いてもらい、それに対して感じたことを話しながら色々なことに気づくという体験でした。

その時の私のテーマは「4月からのスタートを迎える上で障害が有るのか」。
「障害」というのは「タロットってどんなテーマに向いてるんですか?」という話の中から出てきた言葉だったんだけど、それがわかれば4月に向けての3月の過ごし方がはっきりするかなーと思っていたんですね。

結果、話してみてわかったことは、「3月/4月って、バチッと区切ろうとしなくていいんじゃない?」ってこと。
4月を迎えるために3月をバチッと終わらせなくちゃいけない気がしていたけど、そのやり方が合っていないから、なーんかモヤッとして無駄に色々考えちゃったのではないかと。
自分に合わないやり方でやろうとしていたことに、違和感が生まれていたのかもしれないですね。

この「先を見据えて、今やるべきことを判断する」というやり方が、なんとなく「良いやり方である」と、自分の中に刷り込まれているような気がします。
でも、これって、「終わらせる」ことを目指すやり方だと思うんです。

もちろん、それが必要だったり有効だったりするシーンはあるし、私の中にもそういうやり方で対応する事柄も多々あるのですが(確定申告とか)、
私は「終わらせないでいられる」才能の持ち主なので!
その必要がない時は、そういうやり方を選択する必要はないよなーと改めて思ったのでした。

足し算の時間、引き算の時間

「足し算の時間、引き算の時間」という言葉を、最近よく思い出します。

これは「ポストコロナの生命哲学」という本で美学者の伊藤亜紗さんが書いていたのですが、もともとレビー小体型認知症の樋口直美さんがお話されていたことだそうです。

引き算の時間というのは、ゴールを見据え、そこから逆算して今しなければならないことをするようなことです。
先々の予定や計画を頭に置いて、私たちはいつも時間を引き算し、現在よりも何時間後、何日後に意識を向けています。

樋口さんは、認知症になってから、この時間の引き算に非常に苦労するようになったそうです。
現在の感覚があいまいで、日々の体調変化も大きいため、例えば3日後が締め切りだからといって今日は全体1/3の量をやればいいという単純な話ではなくなってしまった。
この引き算の時間は「時間が均一である」という前提のもとに成り立っているのですね。

一方で、足し算の時間というのは、植物が持っている時間です。

それは、太陽の動きに合わせて日々、少しずつ足していくという純粋に生理的な時間です。
晴れる日もあれば曇る日もあり、「この日までにこれだけの日光を浴びるのだ」なんて予め決めても仕方がありません。
未来が予測できなくても、今できることを少しずつ積み重ねて足していく。
足し算の時間での一日一日は、自ずと不均一になります。

私達は、コロナによって、終わりを予測できないものがあるという事実に改めて直面しました。
コロナ禍で植物に興味を持つようになった人が多いのは、そのことで多くの引き算の時間が機能不全になり、私たちの感覚が植物にシンクロしたのかもしれないと、伊藤さんは書いています。

確かに、私が普段意識している時間は、引き算の時間ばかりかもしれません。

1日は24時間で、何時にあれをする、それまでにはこれを済ませるということを、当たり前のようにしています。
それを均一にできない時に「自己管理ができていない!」なんていう考え方もありますよね。
それは多分、社会のかなりの部分が均一な引き算の時間を前提に動いていて、各々もそうあることが合理的だからだと思います。

でも、引き算の時間だけじゃなく、足し算の時間も自分の中には生得的にあるのです。
それを忘れないことって、大事なんじゃないかなーと思います。

ふたりの子ども、それぞれの時間

私には、ふたりの子どもがいます。
彼らの時間の感覚を観察してみると、それぞれの足し算の時間と引き算の時間に気づきます。

7歳の長男は、もうすぐ小学2年生。
決められた時間に合わせて動くことには慣れてきて、「時間を守らねば!」という強い気持ちを感じることがよくあります。
この1年で、時計を読んだり、時間の計算をしたりすることもできるようになりました。

彼の朝は大騒ぎ。
私や夫が「今は何時何分?」とか「あと何分で家を出るの?」と確認をすると、あと10分ぐらいのタイミングから「もう絶対に間に合わない!」と絶望した様子でベソをかき始めます。
話を聞くと、残っている支度は毎回3分あればできるようなもの。
「10分あるから大丈夫よ、間に合うよ」と声をかけて、やらなきゃいけないことを確認し、ひとつずつ終わらせて、出かける彼を見送ります。

彼の場合、出なきゃいけない時間も、それまでの残り時間もわかるんだけど、それまでに何をやらなきゃいけないかというGAP分析と、それにはどれくらいの時間が必要なのかという予測が、まだまだこれからなのかなと思っています。
私たちは、「あと10分!」って気づいた瞬間に「今日は朝ごはんはパス!」みたいな判断を自然としていますが、あれって実は複雑なことなんですね。
つくづく、引き算の時間は学習して獲得するものなんだなーと思います。

3歳の次男は、今この瞬間を生きる天才です。
過去の出来事はよく覚えているし、「この後あれしたい」といった主張も上手にしますが、時間の長さは意識していない、つまり、均一ではない時間を生きているように見えます。

彼は、朝、親が「もう保育園に行く時間だよ!」と言っても、「ブロックやってから!」とすごい大作を作り始めたりします。
逆に、「次の予定まで時間あるから、ここで10分ほど時間つぶしたいな」なんて親が思っている時でも、この場に飽きたから今すぐ移動したいわけです。
私は、そんな彼と時計との狭間でハラハラしながらも、彼のことをなんだか眩しく、羨ましく感じています。

だから、私に余裕がある時、彼と一緒に彼の時間を過ごせると、大きな喜びを感じます。

昨日は保育園が午前保育だけだったので、午後にふたりで温泉に行ったんです。
私は、温泉の駐車場に到着したら、とっとと受付を済ませて、早く温泉に入りたいのです。
その後のあれこれの段取りを考えるとここでの時間はこれくらい、という引き算をしているからです。
でも、彼は、駐車場の目の前にある小川が気になっていて、そこで生き物を見つけたいと思っている。
「早く行こうよー」と声をかけてみたものの、全然動く気配なし。
今日は別に絶対しなきゃいけないことがあるわけじゃなかったので、その後のあれこれプランは脇に置いておいて、彼と小川のほとりでしばらく過ごすことにしました。

彼のペースに合わせようとする時、体の使い方を彼に近づけることがポイントだという気がします。
彼の横に一緒にしゃがんで、彼と一緒に小川を眺め、彼と一緒に陽射しを感じ、彼と同じペース、トーンで話す。
そうしていると、自分の中に彼に流れる時間が取り込まれて、彼の足し算の時間を感じます。
それは心地よく満ち足りた、終わりを目指さなくてもよい時間です。
すごく地に足のついたような、今ここにしっかりつながっている感覚を持てている自分に気づきます。

この足し算の時間への切り替えのおかげで、その後の温泉も、いつもに増して気持ちよく味わえた気がします。
たぶん、立ったままで「早くー」と言っていたのでは、足し算の時間は感じられなかったんじゃないかなと思います。

知らないうちにカメラロールに追加されていた我が家の朝の風景
座り込む次男。さすがに私の脚は柵の間に入らなかった…

ネガティブ・ケイパビリティとコーチング

「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉をご存知でしょうか?
「事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」だそうです。
「分からないものを分からないまま、宙ぶらりんにして、耐え抜く力」とも表現されます。

逆は「ポジティブ・ケイパビリティ」。問題解決能力のことです。
学校教育でも、社会に出てからも、この問題解決能力が重要と言われ、一生懸命に鍛えてきた能力ではないかと思います。
でも、早く問題解決しようとすると、物事を単純化し、浅い理解で対処してしまいがちです。
そう簡単には解決できない複雑な物事に対して、深い理解をもって臨もうとする時、このネガティブ・ケイパビリティが必要になります。

「終わらせないでいられる才能」って、このネガティブ・ケイパビリティなんじゃないかなという気がします。

私はコーチングを始めてから、自分が、結論や問題解決に焦って飛びつきにくくなったと感じています。
それは、コーチングで扱う事柄の大半が、一般的な正解の無い問いであることと関係があると思います。

コーチングの中では、よく分からないことを「そうなんだね」とそのまま受け止めて、そのまま置いておくようなことがよくあります。
セッションの終わりに、「ここまで話してみて、何か気づいたことはありますか?」といった質問をよくしますが、それは結論を出すためではなく、分からないことも含めた今の状態を確認するための振り返りです。
別に、そのセッションの時間内で、何もかも分かる必要はないんです。
セッションが終わった後にも、自分の中にある「よく分からないこと」と一緒に生きることで、また新たに気づいたり、考えたりすることがあります。
そういうことが生きることを変えていくから、何かを実現できたり、成果を得られたりということにつながっていく。
そんな効果がコーチングにはあるように思います。

生きる上ではきっと、足し算の時間も引き算の時間も、ネガティブ・ケイパビリティもポジティブ・ケイパビリティも、どちらも必要なのだと思います。
私達の中には、すでにどちらもあるのです。
そして、それらは付き合いようによって、変化していくもののようです。

まず大切なことは、それらが「ある」ということに気づくことだと思います。

自分の中にあるものに気づくために、コーチングはいかがでしょうか?

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春に向かって

今日は久しぶりにブログを書く時間を持てたので、私の近況について書いていきたいと思います。

2月の大雪

私の暮らす場所(琵琶湖の北の方)では、先週末に大雪が降りました。

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金曜の夜から降り始めて、月曜の明け方まで。たまに晴れ間の覗く瞬間もありましたが、ほとんど吹雪き続けていました。
我が家の目の前でも大人の膝の高さ(50センチくらい!)まで積もっていて、月曜は市内の学校・幼保園は一斉休業。
雪って、こんなに何もかもを閉じ込めて、何もかもを止めてしまうんだなとびっくり。
土曜に配達予定だった宅急便の荷物が、火曜に届きました。
このあたりは雪が降るエリアではあるのですが、2月にここまで降るのは珍しいようです。

火曜からはすっかり晴れていますが、雪はまだたくさん残っています。

今朝なんて、保育園の玄関前の道が凍っていて。
それに気付かず、息子(3歳)を抱っこしたまま小走りで駆け込もうとした私は、思いっきり前向きに滑って転んでしまいました。
そのせいで息子は地面に頭を思いっきりぶつけてしまって、ちょっとした騒ぎに。
幸い大きな怪我はありませんでしたが(私が膝を擦りむいた)、本当に気をつけないといけませんね。

雪解けの道って、雨上がりとは違うびしょびしょ感があるんですね。
輝く太陽の下、車を運転していると、前を走る車の後輪が跳ね上げた水しぶきに虹がかかる。
うっかり見惚れてしまいそうです。(安全運転!)

こういうことも、ここで暮らすことで、初めて知ったことだなと思います。

近づく春と花粉症

とはいえ、もう立春も過ぎ、「暦の上では春ですが」という時期になりました。

個人的には、春の訪れ=花粉シーズンの訪れだったりします。

私と花粉症の付き合いは、もう20年近いのでは?
今のところ、アレルギーはスギ花粉だけですが、花が咲き始める嬉しい季節にどんより気分になるのは辛い…

なんとか春を楽しみたい思いから、昨年のシーズン後から舌下免疫療法という治療を始めています。
舌下免疫療法とは、3〜5年間、アレルゲンを含む治療薬を服薬し続けることで、アレルギー症状を緩和したり治したりする効果が期待できる治療法です。
今年はまだ効果が期待できる年数が経っていないので、例年どおりの症状が出るそうです。

今日、かかりつけの耳鼻科に行って、舌下の治療薬に加えて、もうすぐ始まる花粉症状に対処するための薬も処方してもらいました。

かかりつけの先生には、この春にどれぐらい症状が出るかはわからないけれど、できる限り、飲み薬ではなく点鼻と点眼で乗り切りたいと相談しました。
飲み薬も色々と種類があって、副作用の出方も色々だとは思いますが、あの感覚が鈍くなる感じが苦手なので…
眠くまではならなくても、コーチングをする時に言語外の情報をキャッチするセンサーが働きにくくなるような気がします。
薬だけじゃなくて、そもそも鼻炎自体が聴覚や嗅覚、味覚に影響があるんだろうな…
コーチングって、きっとそういう色々な感覚を使って行うものなんです。
できるだけ生活の質を下げないよう、様子を見ながら対応していきたいなと思っています。

耳鼻科の先生によると、今年の花粉は、雪が溶けて暖かくなったら一気に飛び始めるだろうという話でした。

好きなものがあるということ

このかかりつけの耳鼻科、自宅から車で30分くらいの場所にあります。
舌下免疫療法が受けられるクリニックが、近所にはなかったのです。

今日も、ひとり音楽を聴きながら、琵琶湖の湖岸を運転して行って帰ってきました。
いつもよりも少しカーステレオのボリュームを上げて、自分の好きな音楽を気ままに楽しむ。

「なんだか、こういうの久しぶりだな」
ふと、そんなことに気づきました。

週末は大雪で家に籠もっていたのもありますが、このところ第六波の影響で子どもの学校の休校が頻出していました。
子どもが家にいる時は子どもに合わせて過ごし、子どもがいない時には子どもに合わせたことでやれなかったことのリカバリーに奮闘し、なんとなく「みっちり感」のある日々が続いていました。
音楽は何かしら毎日聴いているんだけど、ひとりで存分に楽しむ感じじゃなかったんですね。
移動時間とはいえ、とても幸せな時間でした。

私は、こういう時に聴きたいと思える、好きな音楽があることは、本当に幸せなことだと感じています。
好きなものがあることはありがたいことだと、常々感謝しています。

好きなものがあることで、今ここに居場所ができる気がするんです。
これって何なんだろうな?と、少し不思議に思っていたのですが、ある曲を聴いて「なるほど」と思うことがありました。

銀杏BOYZ – 少年少女

銀杏BOYZ、今でもこんなの作れて、この歳になっても刺さっちゃうの、すごい。最近、私の中でリバイバルブーム。
ボーイ・ミーツ・ガール的な曲なのですが、「ここにいてもいいから」という歌詞が何度か出てきます。

そうか、何かを好きになることでここにいる理由ができるんだなと、ちょっとわかる気がしました。
何かに好かれることではなく、自分が好きになることで、です。
その好きになるって、もう「信じる」に近い感じがします。信仰というか。

自分には神様がたくさんいるのかもしれないと思うと、ちょっと嬉しく、心強くなりました。

流れるということ

今日の通院ドライブの帰り道は、スターバックスのドライブスルーで買ったトールラテを飲みながら運転していました。

ふと、前にある人にドライブスルーでスタバを買って運転しながら飲む話をした時に、「ゆきこさんって、すごくエネルギーが溢れてるんだね。お店で座って飲むこともできるのに」と言われたことを思い出しました。

確かにそうなんですよね。
ちょっとお店に寄って飲むこともできるんです。それぐらいの時間はあったし。
そもそもスタバって店舗空間込みの価格設定だから、持ち帰りは割高感がある気もするし。
もちろん、私もお店でゆったり楽しむ時もあります。
でも、そうじゃないことを選択したくなる時もある。

今日、その会話を思い出して、「流れること、それ自体が大事なのかも」と思いました。

車を運転して流れていくこと、音楽とともに時間が流れていくこと。
自分の中に滞り感がある時、そういうわかりやすい流れの中に身を置くことで、軽くなったり、動き出しやすくなったりする気がします。
今日は、そういう「流れること」を求めている時だったのかもしれません。

そういえば、2020年の夏、コロナによる慣れないお籠りに疲れていた頃、少しずつ回復していく過程では、ドライブと好きな音楽の流れの中に身を置く時間が機能していたように思います。
きっと自分にとっての回復キーアイテムなんですね。

スタバはただの欲張りアイテムとして、欲しくなっちゃったんだな。
温かいラテを飲むと、身体の中からホッとしますよね。

そんな「流れ」を意識し始めたのは、映画「ドライブ・マイ・カー」の影響かもしれません。

タイトルの通り、多数登場する車が走るシーンからは、「流れ」のイメージを強く受け取りました。

この映画、昨年のマイベスト映画。傑作です!
もうすぐDVDの発売日で、すでに予約済なのです(^^)楽しみ!
サブスクで配信されるんだろうけど、手元に置いていつでも確実に観られるようにしたいって思っちゃったんだな。
DVDを観たら、感想を書けたらいいなと思っています。

思いつくままに書きたいことを書いていたら、長くなってしまいました。
久々に好きなものを楽しんだり、流れを感じたりして、エネルギーが湧いて来ちゃっているみたいです(^_^;)

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2021年のふりかえり〜センス・オブ・ワンダーとともに

ぐっと寒い日が続きますね。みなさん、体調お変わりありませんでしょうか。
今年もあっという間に師走です。

先日、Spotify(私が愛用している音楽ストリーミングのアプリ)が、こんなものを作ってくれたんです。

わたしの「2021年のSpotifyまとめ」です。
これによると、2021年の私は23,896分もSpotifyを聴いていたそうです!すごーい!
その内容は44ジャンル992アーティストに渡り、トップアーティストのTempalayを5,747分も聴いていたらしい。トップソングの「大東京万博」(もちろんTempalayの曲)は249回も再生したそう!このTempalay、車ではCDでも再生しているので、実際はもっと聴いていることになりそうです。

このまとめの他に「My Top Songs 2021」というプレイリストもSpotifyが作ってくれたのですが、このプレイリストの曲たちを聴いていると、本当に色々なこと、その曲とともに見た景色や感じた空気のにおいや質感、その時考えたこと、それらが重なって生まれてきたことなんかが、ぶわーっと蘇ってきます。

私の2021年の出来事を振り返ってみると、コーチングスクールの過程を修了し、コーチングを始めた当初からの目標であるACC(国際コーチング連盟認定アソシエイト・サーティファイド・コーチ)への切符を手にしたり、自身のHPも開設してひよっこではあるもののプロコーチとしての歩みをスタートしたりと、自身にとっての転換期を着実に作ってきたという実感があります。

でも、そういうことができたということよりも、「こんなに多くの時間を、自分のために、自分の好きな音楽とともに過ごせたのだ!」という喜びや、そこから蘇ってきた記憶(大きな出来事や達成などからはこぼれ落ちてしまう類のもの)のかけがえのなさの方が、私にとっては大切なことのように感じています。

 

ふと、2021年のはじまりには、どんなことを思っていたんだろうと気になって、2021年1月1日の日記を読み返してみました。(日記は書いておくべきものですね!)

これによると、どうやら今年の正月には「センス・オブ・ワンダー」という言葉が私の中に降ってきたそうです。

センス・オブ・ワンダー、美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性という意味の言葉です。

音楽を聴いているときも、
ことばを読んでいるときも、
アートと向き合っているときも、
コーチングをしているときも、
コーチングを受けて自己探求しているときも、
自然を感じているときも、
どこかでこのセンス・オブ・ワンダーが働いている。
そして、そこで起こる感覚が、感情が、ことばに収まりきらないことが、不思議で果てしなくてたまらなくて、でもやっぱりことばにできるようになるんじゃないかと期待している自分がいる。

そういう、センス・オブ・ワンダーこそが、自分が大切にしたい感性なのだと、
そんなことを書いていました。

これを読んで改めて思い返してみると、私にとってこの2021年は、センス・オブ・ワンダーをのびのびと育み、「感じる」ことに夢中になった一年だったのではないかと思えてきました。

「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソンは、「センス・オブ・ワンダー」という本でこのように述べています。

 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

 この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」

この1年、私が興味関心を抱き、影響を受けてきたものを振り返ってみると‥

四季折々の琵琶湖と里山の自然。その風土から生み出されるものたち。
音楽のある生活と画面越しのライブ。
谷川俊太郎さん、穂村弘さん、最果タヒさんたち詩人の目。
小説家・保坂和志先生の作品と小説的思考塾。
アートでは、内藤礼さんの母型(豊島美術館)や<ひと>、うつしあい。杉本博司さんのOPTICKSインタビューで読んだ山口晃さんの技術論。
美学者・伊藤亜紗さんの身体性や触覚に関する本利他プロジェクト
そして、コーチングと、コーチングを通して関わらせていただいた人たち。

挙げ始めるとキリがありませんが、なんとなく「自然」が関わるものが多いように思います。

私には芸術とは何かよくわからないのですが、ひょっとすると芸術というものには、人の中にある自然の部分が大きく影響しているのではないかと思っています。
ロゴスに収まりきらないものたちです。
そういう、その人を超えた力が芸術を成させるのだと聞いたことがあります。

そして、コーチングをしていると、今を生きる一人ひとりのなかに、その自然の部分があることを感じます。
美しく、未知で、どこまでも不思議なものです。
私はその存在に畏敬の念を抱きます。
そして、きっとそれが可能性というものなのだろうと思っています。


そういう「自然という力の源泉」に近づいて、多くの時をともに過ごすことのできた年でした。
この1年を経て、私のセンス・オブ・ワンダーは、より自由に、おおらかに、活発になってきている気がします。
きっとこれからの私の人生にとって、重要な、意味のある1年になるだろうと思っています。

さて、じゃあ、これからどうしたい?来年はどんな年にする?

もちろん、センス・オブ・ワンダーは引き続き大いに育み、発揮していきたいと思っています。
一方で、来年は、感じるだけでなく、感じたことを言葉にすることや思考につなげることを強化していきたいなと思っています。
頭を鍛えていくイメージですね。
正直な話、最近あまり頭を使っていないかもしれません。使い方の広さと深さが足りないような気がします。
そういうことに取り組むことで、身体と心、そして頭も、自分の全部をよく使って、よく生きることにつながるんじゃないかなと期待しています。

少し早いけれど、これが私の2021年のふりかえりと、来年に向けた抱負です。

12月、何かと慌ただしい時期ですが、この1年をふりかえり、来年の過ごし方を考えるには良いタイミングです。
是非コーチと一緒に、あなたのこれまでとこれからについて話してみてはいかがでしょうか?

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