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BLOG うつろう風景

足し算の時間、引き算の時間

すっかり春めいてきましたね。

2月の終わりから3月頭にかけて、寒いし、2回も転ぶし、奥歯は折れるしで散々だったのですが、最近は急速にウキウキ感が高まってまいりました。
あたたかい陽射しを浴びることが、こんなにただただ嬉しいなんて、雪の降る地域で暮らすまで知らなかったことです。

3日ほど前までは「あれ?ひょっとして花粉症治ったんじゃない?」なんて思っていた私ですが、今は岩清水のように湧き出る鼻水と共に暮らしています。

春の琵琶湖。ボートで釣りをしている人をよく見かけます。

さて、今日は、最近よく考える時間の捉え方のことを書いていこうかなと思います。

「終わらせないでいられる」才能

先日、コーチングの勉強会で、ギャラップ認定ストレングスコーチからストレングス・ファインダーについて学ぶ機会がありました。

ストレングス・ファインダーとは、自身の強みのもとを診断できるツールです。
その強みのもとは34の資質に分類されていて、診断を受けると、自分の持っている資質の順位を教えてくれます。

私の場合はこんな感じ。

34の資質は、実行力、影響力、人間関係構築力、戦略的思考力という4つのグループに分けられます。

私の上位資質には人間関係構築力が多くて、これらの強みを使ってコーチングしているんだなとは思っていたんですけど、先日の勉強会では、また違う気づきがありました。

そこでは、参加者7名の資質を上位からズラッと並べた一覧表をシェアしていただいたんですが、他の方たちの結果と比べてみて、
「私、こんなに実行力がないのって、もはや才能じゃない?」って思ったんです。
はい、ポジティブ発揮してます。
だって、こんなに上位に実行力の資質が少ない人、他にいなかったんです。笑

実行力って、「終わらせたい」才能なんですって。
だから、私は終わらせなくても平気な人とも言えるのかもしれません。
「終わらせないでいられる」才能の持ち主として開き直って生きるのもありなんじゃない?と思ったとき、思い出した出来事がありました。

タロットが教えてくれた、自分らしくないやり方

この勉強会の少し前のことですが、コーチング仲間がタロットを使ったコーチングを始めたので、試しに受けさせてもらいました。
タロットって初めてやったのですが、今どき、アプリでできちゃうんですね!びっくり。
その方は、コーチング×無意識的コミュニケーション×タロットの組み合わせでやっていて、テーマを決めて、カードを引いて、その内容を読み解いてもらい、それに対して感じたことを話しながら色々なことに気づくという体験でした。

その時の私のテーマは「4月からのスタートを迎える上で障害が有るのか」。
「障害」というのは「タロットってどんなテーマに向いてるんですか?」という話の中から出てきた言葉だったんだけど、それがわかれば4月に向けての3月の過ごし方がはっきりするかなーと思っていたんですね。

結果、話してみてわかったことは、「3月/4月って、バチッと区切ろうとしなくていいんじゃない?」ってこと。
4月を迎えるために3月をバチッと終わらせなくちゃいけない気がしていたけど、そのやり方が合っていないから、なーんかモヤッとして無駄に色々考えちゃったのではないかと。
自分に合わないやり方でやろうとしていたことに、違和感が生まれていたのかもしれないですね。

この「先を見据えて、今やるべきことを判断する」というやり方が、なんとなく「良いやり方である」と、自分の中に刷り込まれているような気がします。
でも、これって、「終わらせる」ことを目指すやり方だと思うんです。

もちろん、それが必要だったり有効だったりするシーンはあるし、私の中にもそういうやり方で対応する事柄も多々あるのですが(確定申告とか)、
私は「終わらせないでいられる」才能の持ち主なので!
その必要がない時は、そういうやり方を選択する必要はないよなーと改めて思ったのでした。

足し算の時間、引き算の時間

「足し算の時間、引き算の時間」という言葉を、最近よく思い出します。

これは「ポストコロナの生命哲学」という本で美学者の伊藤亜紗さんが書いていたのですが、もともとレビー小体型認知症の樋口直美さんがお話されていたことだそうです。

引き算の時間というのは、ゴールを見据え、そこから逆算して今しなければならないことをするようなことです。
先々の予定や計画を頭に置いて、私たちはいつも時間を引き算し、現在よりも何時間後、何日後に意識を向けています。

樋口さんは、認知症になってから、この時間の引き算に非常に苦労するようになったそうです。
現在の感覚があいまいで、日々の体調変化も大きいため、例えば3日後が締め切りだからといって今日は全体1/3の量をやればいいという単純な話ではなくなってしまった。
この引き算の時間は「時間が均一である」という前提のもとに成り立っているのですね。

一方で、足し算の時間というのは、植物が持っている時間です。

それは、太陽の動きに合わせて日々、少しずつ足していくという純粋に生理的な時間です。
晴れる日もあれば曇る日もあり、「この日までにこれだけの日光を浴びるのだ」なんて予め決めても仕方がありません。
未来が予測できなくても、今できることを少しずつ積み重ねて足していく。
足し算の時間での一日一日は、自ずと不均一になります。

私達は、コロナによって、終わりを予測できないものがあるという事実に改めて直面しました。
コロナ禍で植物に興味を持つようになった人が多いのは、そのことで多くの引き算の時間が機能不全になり、私たちの感覚が植物にシンクロしたのかもしれないと、伊藤さんは書いています。

確かに、私が普段意識している時間は、引き算の時間ばかりかもしれません。

1日は24時間で、何時にあれをする、それまでにはこれを済ませるということを、当たり前のようにしています。
それを均一にできない時に「自己管理ができていない!」なんていう考え方もありますよね。
それは多分、社会のかなりの部分が均一な引き算の時間を前提に動いていて、各々もそうあることが合理的だからだと思います。

でも、引き算の時間だけじゃなく、足し算の時間も自分の中には生得的にあるのです。
それを忘れないことって、大事なんじゃないかなーと思います。

ふたりの子ども、それぞれの時間

私には、ふたりの子どもがいます。
彼らの時間の感覚を観察してみると、それぞれの足し算の時間と引き算の時間に気づきます。

7歳の長男は、もうすぐ小学2年生。
決められた時間に合わせて動くことには慣れてきて、「時間を守らねば!」という強い気持ちを感じることがよくあります。
この1年で、時計を読んだり、時間の計算をしたりすることもできるようになりました。

彼の朝は大騒ぎ。
私や夫が「今は何時何分?」とか「あと何分で家を出るの?」と確認をすると、あと10分ぐらいのタイミングから「もう絶対に間に合わない!」と絶望した様子でベソをかき始めます。
話を聞くと、残っている支度は毎回3分あればできるようなもの。
「10分あるから大丈夫よ、間に合うよ」と声をかけて、やらなきゃいけないことを確認し、ひとつずつ終わらせて、出かける彼を見送ります。

彼の場合、出なきゃいけない時間も、それまでの残り時間もわかるんだけど、それまでに何をやらなきゃいけないかというGAP分析と、それにはどれくらいの時間が必要なのかという予測が、まだまだこれからなのかなと思っています。
私たちは、「あと10分!」って気づいた瞬間に「今日は朝ごはんはパス!」みたいな判断を自然としていますが、あれって実は複雑なことなんですね。
つくづく、引き算の時間は学習して獲得するものなんだなーと思います。

3歳の次男は、今この瞬間を生きる天才です。
過去の出来事はよく覚えているし、「この後あれしたい」といった主張も上手にしますが、時間の長さは意識していない、つまり、均一ではない時間を生きているように見えます。

彼は、朝、親が「もう保育園に行く時間だよ!」と言っても、「ブロックやってから!」とすごい大作を作り始めたりします。
逆に、「次の予定まで時間あるから、ここで10分ほど時間つぶしたいな」なんて親が思っている時でも、この場に飽きたから今すぐ移動したいわけです。
私は、そんな彼と時計との狭間でハラハラしながらも、彼のことをなんだか眩しく、羨ましく感じています。

だから、私に余裕がある時、彼と一緒に彼の時間を過ごせると、大きな喜びを感じます。

昨日は保育園が午前保育だけだったので、午後にふたりで温泉に行ったんです。
私は、温泉の駐車場に到着したら、とっとと受付を済ませて、早く温泉に入りたいのです。
その後のあれこれの段取りを考えるとここでの時間はこれくらい、という引き算をしているからです。
でも、彼は、駐車場の目の前にある小川が気になっていて、そこで生き物を見つけたいと思っている。
「早く行こうよー」と声をかけてみたものの、全然動く気配なし。
今日は別に絶対しなきゃいけないことがあるわけじゃなかったので、その後のあれこれプランは脇に置いておいて、彼と小川のほとりでしばらく過ごすことにしました。

彼のペースに合わせようとする時、体の使い方を彼に近づけることがポイントだという気がします。
彼の横に一緒にしゃがんで、彼と一緒に小川を眺め、彼と一緒に陽射しを感じ、彼と同じペース、トーンで話す。
そうしていると、自分の中に彼に流れる時間が取り込まれて、彼の足し算の時間を感じます。
それは心地よく満ち足りた、終わりを目指さなくてもよい時間です。
すごく地に足のついたような、今ここにしっかりつながっている感覚を持てている自分に気づきます。

この足し算の時間への切り替えのおかげで、その後の温泉も、いつもに増して気持ちよく味わえた気がします。
たぶん、立ったままで「早くー」と言っていたのでは、足し算の時間は感じられなかったんじゃないかなと思います。

知らないうちにカメラロールに追加されていた我が家の朝の風景
座り込む次男。さすがに私の脚は柵の間に入らなかった…

ネガティブ・ケイパビリティとコーチング

「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉をご存知でしょうか?
「事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」だそうです。
「分からないものを分からないまま、宙ぶらりんにして、耐え抜く力」とも表現されます。

逆は「ポジティブ・ケイパビリティ」。問題解決能力のことです。
学校教育でも、社会に出てからも、この問題解決能力が重要と言われ、一生懸命に鍛えてきた能力ではないかと思います。
でも、早く問題解決しようとすると、物事を単純化し、浅い理解で対処してしまいがちです。
そう簡単には解決できない複雑な物事に対して、深い理解をもって臨もうとする時、このネガティブ・ケイパビリティが必要になります。

「終わらせないでいられる才能」って、このネガティブ・ケイパビリティなんじゃないかなという気がします。

私はコーチングを始めてから、自分が、結論や問題解決に焦って飛びつきにくくなったと感じています。
それは、コーチングで扱う事柄の大半が、一般的な正解の無い問いであることと関係があると思います。

コーチングの中では、よく分からないことを「そうなんだね」とそのまま受け止めて、そのまま置いておくようなことがよくあります。
セッションの終わりに、「ここまで話してみて、何か気づいたことはありますか?」といった質問をよくしますが、それは結論を出すためではなく、分からないことも含めた今の状態を確認するための振り返りです。
別に、そのセッションの時間内で、何もかも分かる必要はないんです。
セッションが終わった後にも、自分の中にある「よく分からないこと」と一緒に生きることで、また新たに気づいたり、考えたりすることがあります。
そういうことが生きることを変えていくから、何かを実現できたり、成果を得られたりということにつながっていく。
そんな効果がコーチングにはあるように思います。

生きる上ではきっと、足し算の時間も引き算の時間も、ネガティブ・ケイパビリティもポジティブ・ケイパビリティも、どちらも必要なのだと思います。
私達の中には、すでにどちらもあるのです。
そして、それらは付き合いようによって、変化していくもののようです。

まず大切なことは、それらが「ある」ということに気づくことだと思います。

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