師走ですね。
自分の周りも内側も、なんだか慌ただしさを感じる時期です。
12月の我が家の子どもたちの日課は、アドベントカレンダーを開くこと。
日付の描かれた小窓を開けると、チョコレートが出てきます。
クリスマスまでのちょっとしたお楽しみです。
「カレンダー」とは、もともとラテン語のKalendae(ローマ暦の朔)ということばに由来していていて、「勘定を精算しなければならない日」という意味だったそうです。なるほど。
ここ数日、「これで年内最後の○○」といったことが増えてきて、私はなんだかちょっとホッとしています。
「一区切りつけられるな」という感じでしょうか。
先日も、大学の課題の年内最後の提出締切を無事(いや、正直そんなに無事ではないけど)終えて、「年内は締め切りがない…!自由だ!」となりました。
私の大学は3ヶ月単位の1年4学期制なので、1月になったらまたすぐ締切が来るんだけれど、年の瀬の心理的効果は絶大。
暦とは、ちっぽけな人間が雄大な時間を生き抜くための偉大な発明なのですね。
そんな私が「さて、これから何をしようかな」と考えたとき、
「そうだ、新しい手帳をおろそう」と思いついたというのが、今日の話。
わたしと手帳
手帳って、一般的にいつから使い始めるものなんでしょう?
人によっては「毎年1月1日から」「開運日から」なんて決めてるんじゃないかな。
私は特にこだわりなく、思い立ったが吉日派。
でも、毎年微妙に使わないページができちゃうことに「もったいなくない‥?」と思ってしまう。
みんなどうしてるんだろ?
手帳はシンプルなA5サイズ。マンスリーとウィークリーの見開き(左に月〜日、右はフリースペース)だけでいい。
今年は無印で見つけたこちら。
ずっと前から、スケジュール管理はGoogleカレンダーにお任せです。
色んなものと連動しながら、ばっちり通知も発してくれて、こいつがいないと社会生活を営めない‥
To DOの管理なんかはタスク管理のアプリでやっています。
じゃ、何に手帳を使っているのか。
それはふたつ。
①マンスリーでざっくりとした過ごし方をイメージ
Googleカレンダーは概観するには登録されている内容が多すぎるので‥
主なイベントだけピックアップしておくと、「じゃ、来月はこれしよー」みたいなことを考えやすい気がします。
②ウィークリーで日記未満のふりかえり
雑多なメモです。やったこととか、食べたものとか、読んだ本とか、聞いた曲とか、感想とか。
こういうことがあったなーと私だけがわかる、文章になってないやつです。
①は、Googleカレンダーの弱点を補うためにマストな存在。
②は、なんやかんや試行錯誤してて、今はこの形という感じです。来月は違うかも。
以前はもうちょっと「今後に役立つ」ふりかえりというか、教訓やら成長課題やらを引き出すようなことをしようともしたのです。
でもまぁしんどいから続かないですね。私にはちょっと息苦しかった。
今の形になってからも、一応毎週末にリマインダーを設定しつつ、気づいたときに書いてます。
忙しかったら平気で2〜3週間飛んじゃうんだけど、そんな時は「ふりかえりができる日々に戻ってこれてよかったねー」と、とりあえず戻ったことを喜んでおきます。
後から見たらその空白も「この時はそういう時期だったのね」という足跡なので、無理して埋めなくてOKということにしている。
手帳とは、そんな感じで付かず離れず付き合っています。
「人生はドラマではないが、シーンは急に来る。」
ここまで書いてみて、私には工夫しながらも手帳と付き合いたいという意思があるんだなーと気づきました。
だって、マンスリーだけなら壁掛けカレンダーでもいいじゃない。
手帳を使い始めたのは、3年ほど前のコーチングを始めた頃のこと。
(その前は「あんなアナログなもの、要らんし」と思ってた。笑)
はて、何か関係があるのかしら?
そう思い巡らしたところで、頭の中に浮かんできたのがこのことば。
人生はドラマではないが、シーンは急にくる。
くどうれいん「うたうおばけ」
わたしたちはそれぞれに様々な人と、その人生ごとすれ違う。だから、花やうさぎや冷蔵庫やサメやスーパーボールの泳ぐ水族館のように毎日はおもしろい。
くどうれいんという歌人のエッセイ集で見かけたことばです。
ドラマというのは、シーンのつながりでできています。(たぶん)
人生はドラマではないので、
オープニングからからエンドロールに向けてまっすぐ進んでいくわけではないし、筋書きもなければ演出もない。
もっとごちゃごちゃぐるぐるしていて、回収されない伏線だらけかもしれない。
でも、シーンはたくさんある。
そして、それは急にくる。
そして、私が手帳を使って②でやりたいことって、自分の人生にあるシーンに気づくことなんじゃないかという気がします。
私の日記未満のメモって、こんな感じです。
「手帳おろす スタバ トールラテ 腰痛い ソングライン 耳鼻科tel」
よくわからんけど、「手帳をおろす」というdoingだけじゃなくて、場所とかその時の感じとか、行くまでに聴いてた音楽とか、そういう色々なものをクロスさせると、なんとなくシーンが立ち上がってくる気がしません?
このメモ、もちろん後日改めて読むこともあるんだけど、それよりも書きつけておく行為とその時間が大事だと感じていて。
それって、自分の経験について「話すこと」と同じかもしれません。
自分の中にこういうシーンがあったということに気づいて、認めて、とどめておく。
そういう行為です。
シーンは急にくるから、そのシーンの意味は今はわからなかったりする。
そういうもんだと思います。
すでに大事だとわかっているものだけが、本当に大事なわけではないはず。
自分の中にちゃんととどめておけば、未来の自分がなんとかしてくれるでしょう。
2023年、いったいどんなシーンがくるんだろう?
今から楽しみですね。
*
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