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国際コーチング連盟認定アソシエイト・サーティファイド・コーチ(ACC)資格取得のお知らせ

私、ほそかわゆきこは、この度、国際コーチング連盟認定アソシエイト・サーティファイド・コーチ(ACC)資格を取得いたしました。

ACCは、2年と少し前にコーチングを学び始めた頃から「まずはこれを目指してがんばろう」と決めていた、最初の目標でした。

無事に取得することができ、喜びや安堵と共に、改めて気の引き締まる思いを感じています。

目標を達成するということは、その先を目指して新たにスタートするということでもありますね。

私のコーチ人生も、みみをすますラボの活動も、まだまだ始まったばかりです。

クライアントの方々、関わってくださる皆さまとともに過ごす時間から、これからも多くのことを学ばさせていただきたいと思っております。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

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NEWS その他

年末年始の営業予定のご案内

みみをすますラボのホームページをご覧いただき、ありがとうございます。

下記のとおり、年末年始の営業予定をご案内させていただきます。

2021年12月25日(土)〜2022年1月10日(月)休業とさせていただきます。
この間にいただいたお問い合わせにつきましては、休業明けの対応とさせていただく可能性がございますこと、ご了承くださいませ。

本年は、みみをすますラボのホームページを開設し、皆さまにお会いできましたこと、誠にありがたく思っております。

来年も、多くの方々と、多くの良い時間をともに過ごせることを願っております。

引き続き、みみをすますラボをどうぞよろしくお願いいたします。

ほそかわゆきこ

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BLOG うつろう風景

2021年のふりかえり〜センス・オブ・ワンダーとともに

ぐっと寒い日が続きますね。みなさん、体調お変わりありませんでしょうか。
今年もあっという間に師走です。

先日、Spotify(私が愛用している音楽ストリーミングのアプリ)が、こんなものを作ってくれたんです。

わたしの「2021年のSpotifyまとめ」です。
これによると、2021年の私は23,896分もSpotifyを聴いていたそうです!すごーい!
その内容は44ジャンル992アーティストに渡り、トップアーティストのTempalayを5,747分も聴いていたらしい。トップソングの「大東京万博」(もちろんTempalayの曲)は249回も再生したそう!このTempalay、車ではCDでも再生しているので、実際はもっと聴いていることになりそうです。

このまとめの他に「My Top Songs 2021」というプレイリストもSpotifyが作ってくれたのですが、このプレイリストの曲たちを聴いていると、本当に色々なこと、その曲とともに見た景色や感じた空気のにおいや質感、その時考えたこと、それらが重なって生まれてきたことなんかが、ぶわーっと蘇ってきます。

私の2021年の出来事を振り返ってみると、コーチングスクールの過程を修了し、コーチングを始めた当初からの目標であるACC(国際コーチング連盟認定アソシエイト・サーティファイド・コーチ)への切符を手にしたり、自身のHPも開設してひよっこではあるもののプロコーチとしての歩みをスタートしたりと、自身にとっての転換期を着実に作ってきたという実感があります。

でも、そういうことができたということよりも、「こんなに多くの時間を、自分のために、自分の好きな音楽とともに過ごせたのだ!」という喜びや、そこから蘇ってきた記憶(大きな出来事や達成などからはこぼれ落ちてしまう類のもの)のかけがえのなさの方が、私にとっては大切なことのように感じています。

 

ふと、2021年のはじまりには、どんなことを思っていたんだろうと気になって、2021年1月1日の日記を読み返してみました。(日記は書いておくべきものですね!)

これによると、どうやら今年の正月には「センス・オブ・ワンダー」という言葉が私の中に降ってきたそうです。

センス・オブ・ワンダー、美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性という意味の言葉です。

音楽を聴いているときも、
ことばを読んでいるときも、
アートと向き合っているときも、
コーチングをしているときも、
コーチングを受けて自己探求しているときも、
自然を感じているときも、
どこかでこのセンス・オブ・ワンダーが働いている。
そして、そこで起こる感覚が、感情が、ことばに収まりきらないことが、不思議で果てしなくてたまらなくて、でもやっぱりことばにできるようになるんじゃないかと期待している自分がいる。

そういう、センス・オブ・ワンダーこそが、自分が大切にしたい感性なのだと、
そんなことを書いていました。

これを読んで改めて思い返してみると、私にとってこの2021年は、センス・オブ・ワンダーをのびのびと育み、「感じる」ことに夢中になった一年だったのではないかと思えてきました。

「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソンは、「センス・オブ・ワンダー」という本でこのように述べています。

 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

 この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」

この1年、私が興味関心を抱き、影響を受けてきたものを振り返ってみると‥

四季折々の琵琶湖と里山の自然。その風土から生み出されるものたち。
音楽のある生活と画面越しのライブ。
谷川俊太郎さん、穂村弘さん、最果タヒさんたち詩人の目。
小説家・保坂和志先生の作品と小説的思考塾。
アートでは、内藤礼さんの母型(豊島美術館)や<ひと>、うつしあい。杉本博司さんのOPTICKSインタビューで読んだ山口晃さんの技術論。
美学者・伊藤亜紗さんの身体性や触覚に関する本利他プロジェクト
そして、コーチングと、コーチングを通して関わらせていただいた人たち。

挙げ始めるとキリがありませんが、なんとなく「自然」が関わるものが多いように思います。

私には芸術とは何かよくわからないのですが、ひょっとすると芸術というものには、人の中にある自然の部分が大きく影響しているのではないかと思っています。
ロゴスに収まりきらないものたちです。
そういう、その人を超えた力が芸術を成させるのだと聞いたことがあります。

そして、コーチングをしていると、今を生きる一人ひとりのなかに、その自然の部分があることを感じます。
美しく、未知で、どこまでも不思議なものです。
私はその存在に畏敬の念を抱きます。
そして、きっとそれが可能性というものなのだろうと思っています。


そういう「自然という力の源泉」に近づいて、多くの時をともに過ごすことのできた年でした。
この1年を経て、私のセンス・オブ・ワンダーは、より自由に、おおらかに、活発になってきている気がします。
きっとこれからの私の人生にとって、重要な、意味のある1年になるだろうと思っています。

さて、じゃあ、これからどうしたい?来年はどんな年にする?

もちろん、センス・オブ・ワンダーは引き続き大いに育み、発揮していきたいと思っています。
一方で、来年は、感じるだけでなく、感じたことを言葉にすることや思考につなげることを強化していきたいなと思っています。
頭を鍛えていくイメージですね。
正直な話、最近あまり頭を使っていないかもしれません。使い方の広さと深さが足りないような気がします。
そういうことに取り組むことで、身体と心、そして頭も、自分の全部をよく使って、よく生きることにつながるんじゃないかなと期待しています。

少し早いけれど、これが私の2021年のふりかえりと、来年に向けた抱負です。

12月、何かと慌ただしい時期ですが、この1年をふりかえり、来年の過ごし方を考えるには良いタイミングです。
是非コーチと一緒に、あなたのこれまでとこれからについて話してみてはいかがでしょうか?

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BLOG 好きと交差

お茶とコーヒー

「好きな食べ物は?」と聞かれたら、「うどんとあんみつ」と答えます。

うどんはいつでも食べたいし、いつでも食べられる。そして実際に一番頻繁に食べている食べ物です。

あんみつは、とってもテンションの上がる食べ物なんだけれど、ここ最近は食べる機会を持てていない。だから、私が追い求めているのはリアルあんみつではなくあんみつの幻影なのではないかという気がしないでもないところ。

でも、「好きな食べ物(飲み物含む)は?」となると、「お茶とコーヒー」がうどんと拮抗しています。

「お茶とコーヒー」といった身近な日常の中にある好きなものと付き合うとき、私は、マイベーシックの手堅い安心感と、その日の気分に応じた幅広い選択肢、その両方があるとすごく幸せだなと思います。

マイベーシック

何も考えず、とにかくこれさえあれば安心ってやつ。

この時期はこのセットです。

サーモスのポットに入った温かい番茶。

寒い時期は番茶が美味しいですね。
ポットにティーバッグをひとつぽんと入れて、沸かしたお湯を並々注ぐ。それだけで安心。
仕事中もこのセットをデスク横に備えているし、食事時も大抵はこの番茶を飲んでいます。

冬はね、温かい飲み物がすぐに冷めちゃう問題。ありますね。
サーモマグやタンブラーも持っているものの、私はあの口当たりがあまり好きじゃないんです。
そして、温かいものは温かく飲みたいんだけど、手元で冷めていくのは好きなんです。
その冷めていく、現在進行形の感覚を味わえないのは趣不足。
だから、ポットで温かくしておいたお茶を、手元のカップで冷ましながら飲んでいます。

その日の気分に応じた幅広い選択肢

コーヒーはほぼ毎日飲んでいます。
最近は少し胃に重たく感じているので、だいたい朝と午後イチの2杯。

コーヒー豆は少しずつ買うことにしていて、基本は「THE COFFEESHOP」というお店で定期便で届けてもらっています。
それだけじゃ足りないから、定期便の分がなくなった頃に、歩いて近所の焙煎珈琲屋さんへ。
いつも一緒というわけじゃなくて、ちょっとずつ違う豆を試すのが楽しい。

コーヒーはペーパードリップで1杯分だけ落とします。
お湯を沸かしながら直接マグカップにドリッパーをセットして、ペーパーフィルターにコーヒーメジャーすりきり一杯のコーヒー粉。
お湯が沸いたら、少しだけドリッパーに注いで粉を蒸らす。
粉が十分に膨らんできたら、ドリッパーの3分の2くらいまで、優しくお湯をそそぐ。
上がってくる湯気を受け止めるために、ドリッパーの真上に顔を持っていく。
このコーヒーの香りの湯気を浴びている時が、最高に幸せですね。

時には、スイッチONのしるしのようなコーヒーも飲みます。
車で息子を保育園に送った帰り道、マクドナルドのドライブスルーで買う1杯のコーヒー。
美味しいかと言われると別にそこまで美味しくないし(少しずつ美味しくなってきているんだろうけど!)、
眠気覚ましやカンフル剤という程の効果も期待していないんだけれど、
飲むと静かに「よし」とか「さて」という気持ちになる。
そんなコーヒーがマクドナルドやコンビニエンスストアやオフィスの給湯器にはあって、それはそれで大切な存在。
今朝もそんなコーヒーを飲んで、「そろそろ今日はブログを書こう」と思ったのです。

最近は紅茶も好きです。

つい最近、散歩の途中で近所に素敵なティーハウスを見つけました。

レルブロイヤルティーハウス
材料にこだわった茶葉を買うことも、カフェ&ティースタンドでそのこだわりのお茶を飲むこともできます。
オンラインストアもあるので、是非覗いてみてくださいね。

先日は、日本最古とも言われる茶産地・滋賀県朝宮産の無農薬紅茶と、地元長浜市で安心安全に栽培された五穀茶を購入しました。

こういうお茶を、茶葉とお湯の量、温度、抽出時間をちゃんと守って丁寧に淹れて飲むと、「はー、美味しい」としみじみ贅沢な気分になります。
丁寧に作られたものを、丁寧にいただく。
自分を大切にするってこういう感じかなって思います。

でも、いつでも丁寧を求めているわけじゃないんですよね。

マグカップで大雑把に作ったミルクティーを、ガブガブ飲むのも大好きです。
大きなマグカップにティーバッグのイングリッシュ・ブレックファストで紅茶を淹れて、冷蔵庫から出したばかりの牛乳をドボドボ注いだだけの雑なミルクティー。
この時期は、サマハンを入れて「なんちゃってチャイ」にして飲んでいます。

サマハンってご存知ですか?スリランカのアーユルヴェーダ・スパイスティです。
原材料・成分(Amazon調べ 笑)は

きび糖、ブラックペッパー、ロングペッパー、シリテーク、イエローベリードナイトシャイド、ジンジャー、クミン、ジャヴァガランガル、ウィッシュヌクランティ、パッパーダガム、コリアンダー、アジョワン、ファルスカルンバ、リコリス、アダトダ

だそうで、顆粒状で、お湯に溶かして飲むタイプのインスタントドリンクです。

日本でもヨガショップなどで売っているのを目にしますが、割高なので、私はAmazonで100パケットくらいまとめて買っちゃう。
すると、3週間ぐらいかけて、スリランカから国際郵便でベコベコになった箱が届きます。
その箱を見ると、「おー、よくぞはるばるお越しになった!」と嬉しくなっちゃいます。
今見ると、Amazonで定期おトク便もあるんですね。知らなかった。
スパイスなので体を温めたり喉をケアしたりする効果もあるようですが、なんと言っても病みつきの美味しさがおすすめです!

さて、ここまでつらつらと私の好きな「お茶とコーヒー」について書いてきました。

こうやって好きなものについて思い巡らしたり、好きなものとともに暮らしていることを実感したりすると、「ああ、こういうものに支えられて私は生きているんだなぁ」と温かい気持ちになります。
そして、こんな好きなものに対しても安定と変化の両方を求めてしまう私、なんて欲張りなのかしら!とも思います。
でも、その両方を満たせることが、きっと私にとっての幸せなのですね。
自分を固定化しないことが、とても大切なことだと思っています。

コーチングというと前に進むためのものと思われがちですが、
時には「立ち止まって、自分の好きなものを確認する」なんて時間を持つことも、生きる上では大きな力になるんじゃないかなと思っています。

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BLOG わたしの想い

「ととのえる」という言葉

すっかり寒くなりましたね。

私は、ここ2〜3週間ほど、なんだか「ままならない」と感じる状況が続いていました。

まず長男が風邪を引き、私がワクチンの副反応で寝込んでいる間に次男に風邪が感染り、副反応疲れの私も風邪をもらい、回復しないうちに夫が副反応で軽く寝込み、やっと私の風邪が良くなってきたと思ったら次男が胃腸炎になるという具合。

病気の子どものケアって、もちろん心配するし、私の予定を調整しなきゃいけないし…という苦労もありますが、なんといっても肉体労働として大変です。
小児科に連れていくだけでも一苦労。
朝一番の受付開始と同時に予約して、嫌がる子どもをなだめて病院につれていき、診察の待ち時間(予約してても長くなりがち!)のグズグズに付き合って、薬を処方してもらって帰宅するころには母子ともにぐったり。
胃腸炎なんて、二次感染予防のための消毒という重労働がもれなく付いてきます。
3歳の次男にとっては初めて認識する腹痛だったのか、「おなかがいたい、おなかがいたい」と母に縋り付くので、私は延々と彼のお腹をさすり続けることしかできませんでした。しばらくすると、出すもん出した彼はケロッと元気に暴れてましたが、こっちにはそれに付き合う元気は残ってない…。
そして、回復期の子どもって、いつも以上にべったり甘えたがるような気がします。不安や違和感が残っているのでしょうか。でも、母はずっと君のことを抱っこしているわけにはいかないのだよ。

こういう日々を過ごしていると、自分の体力・気力のゲージがどんどん下がっていくのを感じます。

「ままならんなぁ」という感じです。

とはいえ、徐々に私と家族の体調も回復し、ブログを書けるぐらいにはじりじりと気力ゲージも上がってきたわけです。
ここまでよくがんばりました。えらい。

コーチングをしていると、よく「ととのえる」という言葉を使います。
対象は、体調だったり、心だったり、自己基盤やバランス、環境などなど、本当に色々ですが、クライアントさんからもテーマとしてよく出る言葉だし、コーチ自身もよく使う言葉ではないかと思います。

私も、特に調子が良くない時に、「ととのえたい」とか「ととのえねば!」と思うことがあります。
私自身がクライアントとしてコーチングを受ける時にも、何かエネルギーが足りない、すぐれない感じの時に「ととのえる」をテーマにすることが多いような気がします。

この「ととのえる」という言葉、私は、自動的に「整える」と脳内変換していました。
でも、先日、本(呼吸の本)を読んでいたら「調える」という表現が出てきたんです。
私、びっくりしちゃって。目からウロコ。
いや、知ってたはずなんだけど!「調身、調息、調心」って言いますもんね。
でも、それまでの私の脳内辞書には「ととのえる=整える」しかなかったのです。

違いが気になって、手もとの辞書で調べてみました。

整える

①みだれのないようにする。きちんとする。「隊列を―・身なりを―」

②手おちや手ぬかりのない状態にする。「準備を―」

調える

①(手をつくして)すべてそろえる。「晴れ着をー・費用をー」

②ほどよくかげんする。「味をー」

③まとめる。成立させる。「協議をー」

三省堂国語辞典小型版

なるほど。

「整える」の方には、「あるべき状態を目指す」ようなニュアンスを感じます。
正しい状態、あるべき状態といった基準や秩序がありそうです。

一方、「調える」の方は、「いい感じにする」ぐらいのニュアンスでしょうか。
できる限りのことはするんだけど、合意点とか妥協点とか着地点とか、そういうポイントを探っている感じがする。

「調える」の「②ほどよくかげんする」というのがいいですね。
料理で言う、いい塩梅ってやつです。
「こんなもんかな」って自分のセンサーで判断して、ちょうどいい具合にするのです。

このちょうどいい具合ってやつは、非常にナマモノ的というか、今ここだけに存在するものって感じがします。
その日の食材、その日の気候、その日の作る人・食べる人の好みや体調、前の食事で食べたもの、そういう色々なものが複雑に交差した場所に立ち上がるのが、ちょうどいい具合なのではないでしょうか。
正解や明確な基準があるわけではない。
そして、そのちょうどいい具合を目指してできる限りのことはするんだけど、最終的にできあがったものを「今日の味」としてありがたくいただくのです。
「おかーさん、ちょっと味薄い」って言われたら、「はいはい、醤油でもかけといて」でいいわけです。
そういうおおらかさを感じます。

こういうことを考えると、「ととのえる」という言葉を使う時に、自分の中に「整える」と「調える」、両方の捉え方があるのは良いことだと思います。
どちらがいいとかじゃなくて、どちらも必要。
状況に応じて使い分けられることが大切なんじゃないかなと思います。

体や心に対して「ととのえたい」時には、「調える」を思い出すといいかもしれません。

料理がナマモノであるように、体や心もナマモノです。
そもそもままならぬものであり、正しい状態もなければ、コントロールできるものでもないはずです。
でも、生きている限りずっとうまく付き合っていくしかないものです。
だから、その時々のちょうどいい具合を探って、できる限りの工夫もしながら、いい感じにする。
そういうことなんじゃないかなと思います。

「いい感じにする」なんて曖昧なこと、どうすりゃいいのよ?というあなた、ヒントは「みみをすます」ことにあるかもしれません。

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寒露の冬支度

先週の金曜日、10月8日は二十四節気の「寒露」。
秋が深まり、冬に向けた支度をする時期だそうです。
この時期は、空気が澄んでいて、晴れの日も多く、空が本当に気持ち良いですね。

私は最近、夜空を眺めることが増えてきました。
最近、「金星」というものを認識できるようになったんです。
なんと生まれて初めてです。

https://www.instagram.com/p/CU2Dg9ap85B/?utm_source=ig_web_copy_link
https://www.instagram.com/p/CUrpAbfJGSc/?utm_source=ig_web_copy_link

我が家のリビングのベランダは西向きで、しかもそちら側に琵琶湖があるもんだから、私は毎日、西の空ばかりを眺めています。
ある日、夕暮れ時の西の空に、一つだけ、強く輝く星を見つけたんです。
まさに一番星です。
その時はきれいだなーと思っただけだったんだけど、次の日も、その次の日も気になる。
そこで、夜空にスマホのカメラを向けると星の名前を教えてくれるアプリで調べてみて、「これが金星か!」と知るに至った次第なのです。
それからは、毎日、夕暮れ時に西の空を見上げては「あ、金星!」とやっています。

金星は、地球の内側を回っているので、真夜中に見ることはできないそうです。
この、夕暮れの西の空に見える金星を「宵の明星」、明け方の東の空に見える金星を「明けの明星」と呼びます。
宵の明星が見えるのは来年2月頃まで、来年3月頃からは明けの明星が見られるそうですよ。


冬の支度も始めています。

なんといっても、まずは冷え対策。
ストールやレッグウォーマーを引っ張り出し、お布団も厚いものに変えました。
飲み物も、温かい番茶が美味しい時期ですね。

そうそう、新しく小さな土鍋を買ったんです。

https://www.instagram.com/p/CUtoeLzJxJx/?utm_source=ig_web_copy_link

週末に目止めをして、今朝はこの土鍋でさつまいものお粥を作りました。
朝ごはんにお腹の温まるものを食べると、ほっとしますね。
これからの時期、おじやにうどんに一人鍋に、大活躍してくれそうな予感です。


この寒露の時期には、「早寝早起き」と「呼吸」を大切にするといいそうです。

季節が移り変われば、日照時間も変わります。
日照時間が変われば、私たちの体内時計にも影響します。
この季節の変わり目に、その時の自分にとって心地よい「早寝早起き」に意識を向けることって、とても理にかなっているなーと思います。

私は、もともと夜ふかしが苦手(眠くて遅くまで起きていられない!)なのですが、朝寝はわりと得意だったりするので、笑
最近は、早起きして、気持ち良く一日を始めることを意識しています。
我が家は小さな子どももいるので、朝の時間は嵐のように過ぎていきます。
でも、早起きで時間のゆとりがあると、心地よく「今日の自分」を立ち上げることができると感じています。

朝目覚めると、まず体温と体重を測ります。自分の身体の調子を確認します。
そしてお湯を沸かしながら、顔を洗って簡単に身支度を整える。
それから、ゆっくりと白湯を飲みながら、ベランダに出て、外の空気を感じています。
ぼんやりしたり、呼吸したり、ストレッチして身体を動かしたり、今日の感じと今の自分を馴染ませます。
そうそう、最近は、お友達に誘ってもらった朝活にも参加していて。
毎朝6時55分から、ほんの5分だけのオンラインの集まりなのですが、元気をもらえる大切な時間です。

朝活が終わったら、家族の支度の時間!
朝ごはんを食べて、子どもの準備を手伝って、それぞれの時間に間に合うように、
「はーい、みんないってらっしゃい!」と全員を送り出すまで、息をつく余裕がありません。

送り出して後片付けをしたら、またスイッチを切り替えて、その日のスケジュールやタスクを確認してお仕事モードの始まり。
早起きができていないと、ここの切り替えがうまくいかず、ズルズルと引きずっちゃうんですよね。
在宅仕事だといくらでも引きずれちゃって、その結果、あれもこれも集中できない…
早起きは、一日の過ごし方に大きく影響するなーと、しみじみ実感している今日この頃です。


それから「呼吸」。
空気の澄んだこの時期だから、至るところで気持ちよく呼吸して嬉しくなっているのですが、最近は、特に寝る前にじっくり呼吸するようにしています。

いわゆる「呼吸法」と「深呼吸」の違いって何だと思います?

「呼吸法」は、吐いてから吸うやり方で、腹が主導権を握っているそうです。
「深呼吸」は、吸う方が先で、胸が主導権を握っているそうです。
「呼吸の本」(谷川俊太郎・加藤俊朗)に書いてありました。
この場合の「呼吸」は、腹で吐いてから吸う方だと思っています。

おやすみ前の布団の中で、呼吸に意識を向けています。

最初の何回かは、お腹からしっかり全部吐き切って、お腹を緩めたら勝手に空気が入っていって、というのを意識して繰り返しています。
鼻から「ふーっ」とか、口から「はーっ」とか、吐き方は色々やって、違いを感じながら遊んでいます。
そうしているうちに、お腹が柔らかくなって、自然と深い呼吸ができるようになる気がします。
そのまま、自然に息を吐くことを繰り返していると、すーっと全身の力が抜けて、本当に気持ちよーくリラックスして、気付いたらぐっすり眠っています。

そして、ぐっすり眠れると、気持ち良く目覚められる。
良いサイクルです。
最近はそんなふうに過ごしています。

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くるり『東京』

最近よく、「コロナが落ち着いたらどうしたい?」とか「何の制限もなかったら何したい?」なんて聞かれることがあります。
私はだいたい「ライブに行きたい」と答えます。

そう、ライブに行きたいですね。

野外フェスでもいいけど、やっぱりライブハウスに行きたいです。
密で、薄暗くて、なんだかよくわからん蒸気がモワモワしてて、その向こうにステージが輝いている。
そんなライブハウスに行きたいですね。
ライブハウスにはひとりで行きたいです。
周りには、温度を感じられる知らない人たちがたくさんいて。
イントロが始まったら、思わず「おーっ」と声を漏らしちゃったりして。
隣にいる知らない人と、目を合わせて笑い合って、喜びを分かち合いたいですね。
そして、ライブが終わったら、それぞれの家路に着き、それぞれの日常を生きたいです。

まあ、今もライブやってますよね。色々配慮しながら。
主催側からしたら「そんなに行きたいなら来なさいよ」って感じだと思うんですけど。
でも、昔みたいな気軽な感じでは行けない。
その腰の重さは私の問題でもあります。うん。重いのです。

なので、最近はオンラインで見てます。
本当に手軽でありがたいことです。
無観客だと全然別物ですけど、それでも「今」を感じられるのはありがたい。


先日、くるりの「京都音楽博覧会2021」(音博)というイベントに参加しました。
オンラインの配信イベントです。
名前の通り、毎年京都で開催しているイベントなのですが、去年からオンライン化しています。
無観客で編集も入ってるので、ライブ配信というより音楽イベントという感じです。
前半は最新アルバムの曲を楽団形式で、後半は立命館大学の学生会館からバンドセットで演奏していました。

セットリストというものが好きです。
セトリ。演目のリストですね。
始まる前から「今日は何演るんだろ?」とワクワクして、予想の外れる展開でもそれはそれで興奮して。
今この場のために、その曲を選んだのだということに、強いメッセージの存在を感じます。
オンラインでライブを観るようになってからは、気に入ったら自分でプレイリスト化して何度も反芻しています。

今回の音博は、公式からセトリのプレイリストが出てました。
後半のバンドセットの方です。

最近のくるりのセトリは、ロック色が強くてすごく好きです。
私、くるりというか、岸田繁のファンなんですけど、
近年は、彼のこと、心の中で「岸田先生」って呼んでたんですね。
大学の先生してるし、交響曲とか作ってるし、見た目は南こうせつみたいになってきてるし。
でも、最近のくるりを見てると、やっぱり彼は私のロックスターだなって思います。
なに恥ずかしいこと言ってるんだって気がしますが。
やっぱり彼はロックスターです。

このセトリからは、重苦しさの向こうに、それでも生きる力を感じさせられました。
本当に好きなが曲いっぱい。
「ハローグッバイ」「HOW TO GO」「奇跡」。暗いけど、「窓」も好き。「ハイウェイ」に救われるなあ。「GO BACK TO CHINA」や「花の水鉄砲」は、ライブで観ると本当にかっこいい。
そして「東京」。


「東京」という曲のことを書きます。

「東京」は、くるりのメジャーデビュー曲です。1998年のこと。
くるりって、今年が結成25周年なんですって。すごいですね。

私が最初に聴いたくるりの曲は、この「東京」です。
高校生の頃、当時お付き合いしていた方にこのCDをもらいました。
何度か聴きましたが、当時の私はメロコア好きのキッズでして。情緒よりも衝動。
なので、当時はそんなにピンと来なかったんですね。

それから何年かして、たぶん、2004年じゃないかな。
COUNTDOWN JAPANっていう年越しフェスで、初めてくるりのライブを観たんですね。たまたま。
それが、まあ、もう、衝撃的で。
その時のセトリの最後の曲が「東京」でした。
その演奏を観て、本当に、「こんなにかっこいい人が存在するのか…!」と思ったんです。
完全にあの場に君臨してましたね。彼の支配する世界です。
大サビ前の間奏の、あのギターがギュイーンってなった後の溜め。あそこで時間止めてますもんね。
すごいんです。私の語彙力も足りないけど、かっこよさが言葉を超えているわけです。
まあそれで、それからずっと、私はくるりの、岸田繁のファンなんですね。

で、今の「東京」。
年月が経ち、最近の「東京」は、昔よりもかなり淡々とした風情となっています。
私が一目惚れした、あの間奏のギュイーンってギターも、今はやらないです。
ヴォーカルも高音は張らないし、全体的にさらっと流す。
一方、ラストの「ラーパーラーパパッパ」というバックコーラスは、祈りにも似た切実さを帯びている。

その変化によって、私はこの曲に、なんだか普遍的な趣を感じているのです。
「東京」って、離れた人を想う曲だと思います。
ラブ・ソングです。東京で、京都にいる好きな人を想う曲です。
でも、ラブ・ソングってね、私の中からはだんだん共感がなくなってきている気がします。残念ながら。
そして、どんどんノスタルジックな代物、リアルではない代物になってしまうというか。
たまに聴くと、良いなと思うんですけどね。

今の「東京」は、恋愛的なテンションの高さがなくなっていって、
私たちの日常の中に溶け込んでしまった離れ離れと響き合っている気がします。
特にコロナ以降、私たちの日常にとって、離れ離れは当たり前のものになってしまいました。
そして、私たちは、その離れ離れに随分と慣れ、諦め、適応し、新しい暮らしのなかで前に進んでいます。
そこには、なんだか忘れてしまう、慣れてしまって感じなくなってしまう、そんな想いがある気がします。
それは、寂しさややるせなさ、苦しさ、もがき、怒り。そういう想いです。
理性的には、「そんな想い抱いても仕方ないし…」と処理した方が生産的かもしれない。大人の対応かもしれない。
でも、私は、自分の中にそういう想いがちゃんとあることに気づきたいし、時々はそういう自分とも一緒にいたいと思うのです。
今の「東京」を聴くと、私はただ、「ああ、そういう自分がいるな」と感じることができます。


私、ロックスターが27歳で亡くなる時代の人じゃなくてよかったって思うことがよくあります。
ずっと好きだと思い続けられるバンドなりアーティストなりがいて、ずっと現役で表現活動を続けてくれていて、それをずっとかっこいいと思っていられるなんて、本当に幸せなことです。

そのアーティストと、今この時代を共に生きているからこそ、感じられること、受け取れることがあると思います。
そういう存在がいることに、私はただただ心から感謝しているのです。

久々にMV観たら、あまりの若さに「うわーっ」となりました。
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コーチング「戦略」との付き合い方

コーチングをしていると、しばしばコーチングの「戦略」という言葉に出会います。

私は、この「戦略」という言葉、ちょっと苦手です。
硬いというか、強いというか、なんとなく身構えちゃいますね。

苦手意識の心当たりはふたつ。

コーチングを学び始めた時、一番最初に学んだのは「聴くこと」。傾聴でした。
これが基本で、最重要。
そして、普段の自分は、いかに相手の話を聴いていないのか思い知りました。
相手の話を耳に入れながらも、
「次に自分は何を話そう」「私だったらこうするけどな」「この後の予定なんだっけ?」
まあ、色々なことを考えている。
だから、「戦略」なんてあれこれ考えてたら、聴くことができなくなっちゃうんじゃない?という恐れがひとつ。

もうひとつは、私が直感と適応性で進んでいくタイプであること。
先々を見据えるよりも、流れに身を任せ、その瞬間瞬間に対応するのが好きです。
「戦略」という言葉からイメージする、複雑なシミュレーションを重ねて最適な判断をするようなアプローチは苦手。
苦手なことをやろうとすると、そのことに一生懸命になってしまって、ますます聴けない。

そういう苦手意識から、「戦略」にはできるだけ近付かずに過ごしてきました。

ところが、先日、またこのコーチング「戦略」という言葉に出会いました。

コーチングの資格の申請書類のひとつで、提出する審査用セッションのコーチング「戦略」について書け、とのこと。
うーん、正直、「戦略」と申されましても…という感じなんだけど、審査用の大事な資料だから適当なことは書けないし、参ったな。
それに、これから先ずっとこのコーチング「戦略」って言葉はついて回るだろうから、このあたりで付き合い方を考えるのも良いかもしれない。
そう思って、私のメンターコーチ(コーチング力向上のためのコーチ)に相談しました。

私のメンターコーチは経験豊富なMCCの方ですが、実はその方も「戦略」って言葉は好きではないそうです。
やっぱりそういう方、一定数いるみたいですね。

でも、その方が言ってくださったことは、
コーチング「戦略」を問われた時に聞かれているのは、「どのような意図を持ってコーチングしているのか?」ということだ、ということ。
つまり、方向性や姿勢のようなものだと捉えて構わないということです。

コーチがクライアントと関わる時、瞬間瞬間で、様々な関わり方の選択をしています。
戦略とは、その様々な選択の意図や方向性であり、どのようなことを思い、そのような関わり方を選択したのか、ということなのです。
クライアントの個性や状態、テーマや求めているゴール、今この時のクライアントに個別対応するために、コーチは関わり方を選択しているはずなのです。

そうか、たしかにそうであるはずだ。私もそういうことをしているはずだ。
私はそう思いました。

でも、改めて「では、このセッションのコーチング戦略は?」と聞かれると、どうもよくわからないなーというのが正直なところなのです。
どの局面でも、選択肢は色々あったはず。
でも、その色々なカードの中から、私は一瞬でシュッと直感的に選んでいる。
だから、その一瞬に起きた意図がどういうものなのは、自分ではよくわかっていない。

そんな感じなのです。

私が正直にそう伝えると、メンターコーチは言いました。
選ぶのは直感で構わない。
ただ、どのような選択肢から、どういう意図でそれを選んだのか、後付でいいから言語化できることが大切だ、と。

そう、選択するその時は、無理なく自分らしく、自分の強みを最大限に発揮できるように振る舞えばいいのです。
そうすることが、クライアントへの貢献につながるはず。
自分が今感じとっている流れを信じて、直感に従えば良いのです。

必要なのは、振り返って観察し、言語化していくこと。
将棋の感想戦みたいなものだって言ってました。
直感による選択の結果、何が起きたのか、それによってゴールにはどう影響したのか。
それを言語化できれば、なんとなくの方向性や期待していた展開という形で、実は意図=戦略が存在していたことがわかってきます。
そのプロセスでは、取らなかった選択肢、見えていなかった可能性にはどんなものがあったのか、そんなことも検討できます。

資格申請準備の一環で、このコーチング戦略の他に、セッションログの作成をしました。
セッションで交わされたやり取りを、一言一句文字に起こします。
文字になったやり取りを少し俯瞰して眺めてみると、たしかにこの時は複数のカードから選択をしているし、その時にはこういう意図が存在していたんだな、ということが見えてきました。
他のセッションと比べてみると、話し方や相槌の打ち方、話すペースが違うし、関わり方やセッションの進め方も全然違う。
意識できていなかったけれど、ちゃんとその時のクライアントに合わせた選択をしていました。
こういう振り返って言語化していくことは、取り組まないとできるようにならない、トレーニングなんだなと思います。
そして、言語化によって客観的に見えるようになると、自身の可能性を広げるために、何に取り組むことができるのかを考えられるようになります。

これは、コーチング力向上に限った話ではないですね。
「体験を振り返って学習することが大切」という、極めてコーチング的な話ではあるのですが、振り返らずにやりっ放しにたり、新しいインプットばかり求めたりしていたかもなぁと、改めて反省しました。

止まって、観て、気づく。
そういうところに、いつも戻ってきます。

私が、コーチング「戦略」との付き合い方として、改めて決めたこと3つ。

まず、自分の持っている選択肢を増やすこと。
そのために、振り返りを通して、セッションで起きていることを言語化していくこと。
色々なコーチのセッション、色々な人とのセッションが選択肢を広げるチャンス。
うまくいかない時、合わない人、試行錯誤した時こそ、その経験から学習すること。

それから、直感の働きやすい状態にすること。
直感は大事。
だから、直感を妨げるものがない、ピンと来やすい自分であること。
そのために、自身を整えること。

そして、直感を作っているものを豊かにしていくこと。
その人の直感とは、何でできているのか?
きっとそれは、その人といううつわに堆積したものでできているのだと思います。
堆積したものとは、知識や経験、スキルはもちろんのこと、受け継いでいる資質や動物としての勘も、あの時誰かが話していたことやこれまで見てきた景色、触れてきたもの、そういうものです。
そういうものに後押しされて、直感は働くのではないかと思います。
でも、それは何でもいいわけじゃないと思います。
血肉の通った体験とでも言いましょうか。
きっとこの話も、何かの記事で読んだぐらいじゃ堆積されないかもしれません。実際に書いたり話したり体験したりしないと。
でも、何かの拍子にハッと深く刻まれることもあるかもしれません。
私は、私のうつわには、できるだけ自分が素晴らしいと思えるもの、価値があると思えるもの、美しいと思えるものを堆積していきたいなと思っています。
そのために何ができるのか、考えていかなきゃいけないなと思っています。

コーチングとは長い付き合いにしていきたいと思っているので、これからも、そういうことを愚直に取り組んでまいります。

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BLOG うつろう風景

せっかくだから、温泉にあひるを連れていく

温泉が好きです。
大きなお風呂であれば銭湯でもいいんだけど、温泉だったらより嬉しい。
そして、露天風呂があったらもっと嬉しい。

足繁く温泉に通うようになったのは、滋賀に引っ越してからのことです。
車で気軽に行ける範囲に、日帰り温泉がいくつかあります。
休みの日に早起きして朝風呂に行ったり、家族で出かけた帰りに寄ってさっぱりしたり、「あー、とにかくひとりでのんびりしたい!」という時の逃げ場にしたり、気分や用途に応じて通い分けています。

温泉はいいですね。
お湯に浸かっていると、ほどける、とける、ただよう、そんな感覚になります。
お湯に委ねて、自己の境界が曖昧になっていく。

「サ活」って聞きますね。
サウナ→水風呂→外気浴を繰り返すことで「整う」っていうアレです。
私は、サウナはたまに入る程度ですが、温浴からの外気浴を好んでやります。
風が皮膚を撫でる感覚が好きです。
曖昧になった境界線を、外気に触れられることで確認していく時間です。

曖昧にしたり、確認したり、そういうことを繰り返しているうちに、
余分なものを手放して、必要なものを受け取って、少し輪郭のスッキリした私になっている気がします。

先日、好きなバンドのCDを買ったら、特典でお風呂セットが付いてきたんです。
お風呂桶と、タオルと、あひるちゃん。
あひるちゃんというのは、ラバーダックです。お風呂に浮かべるあひるのおもちゃ。
推しだから、無条件で特典付限定盤を買うんですが、私にはコレクション趣味はないので、特典はありがたく使わせていただきます。
お風呂桶とタオルは温泉通いにもってこいなのですが、あひるちゃん…
せっかくだから、あひるも温泉に連れていくことにしました。

私の温泉セット
意外とイカツイあひるちゃん

「せっかくだから」って、日常から逸脱させるマジックワードですね。
日常的思考の範囲だったら、あひるちゃんなんて連れて行きませんよ。
だって、要らんし。なんならちょっと邪魔だし。
でも、連れて行ってみたら、結構楽しかった。
ジャグジーの激流に飲まれたり、陽の差す露天の水面に写るタイルの中を揺れたりしているあひるちゃんの姿を眺めているうちに、その風景に親密さと安心を感じている自分に気づきました。

日常からの逸脱といえば、旅行って、「せっかくだから」を連発している気がします。
せっかくだからあれ食べよう、あそこも寄ろう、やってみよう、見てみよう。
日常からの逸脱のオンパレード。
余分なことをしてしまうこともあるけれど(ついつい食べ過ぎちゃったりね)、そこには新たな出会いと気付きがあります。

コーチングも、「せっかっくだから」が働く場のような気がします。
普段はこんなこと話さないんだけど、コーチがいるから、貴重な時間を確保したから、せっかくだから話してみよう。
そうやって話してみることが、今の思考や感情、行動を超えた可能性につながっていきます。

そういう「せっかくだから」って、別に大したことじゃなくていいんです。
まずは日常の枠組みから出ることが大事な気がします。気軽にコンフォートゾーンを出るんです。
そういうことに慣れていくと、軽やかに大きな挑戦ができるようになるんだなって、コーチングをやっている方たちを見ていると思います。

「せっかくだから」に乗っかって、ちょっといつもと違うこと、やってみませんか?

ちなみに、お風呂セットのついてきたCDは、Tempalayの「あびばのんのん」というシングルです。
謳い文句は「ドリフターズ以来の令和お風呂ソング」、テレビ東京系ドラマ25『サ道2021』エンディングテーマです。
‘あの夏’感の溢れる、おおらかで美しいお風呂ソングです。
せっかくだから、聴いてみてください(^^)

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BLOG 好きと交差

一瞬の奇跡的な交差について

このブログでは、自分の好きなものについても書いてみたいなと思ってます。

でも、私には、自分が何かを好きと言うことをしんどく感じた時期がありました。
たぶん母親になってから。自分の時間や好きなものに触れる時間が少なくなっていたころ。
元来、何かを好きになると徹底的に愛とエネルギーを注ぎがちな方だったので、その変化からくる戸惑い。

その時感じていたのって、「自分なんかが好きと言うなんて…」ってことだと思います。
世の中には、自分よりもそれを好きな人たち、詳しい人たち、夢中になっている人たちがわんさかいる、とか。
その好きだと感じる対象に対して、好きではあるけれど昔ほどの情熱はないかもしれない、とか。これからもいつまでも好きだとは限らないよね、とか。
要は、他者と比較し、過去に縛られ未来を恐れていたわけです。
好きに対して、変に真面目。

そんな私に、詩人・最果タヒさんのあるブログが刺さりました。

このブログで最果さんは、書き手の立場から

  • 書き手によって書かれるものの変化は、自然発生的に起きるものである。
  • 一瞬でも好きだと思ってくれたことは、奇跡的な交差だと思っている。
  • 「なんか好きじゃないかも」ってなった時は、気にしないで。

ということを書いていらっしゃいます。

これを読んで、私は「そうか、これでいいのかー」と許されたような気持ちになりました。

自分の中でぐるぐる思っているようなことが、自分の外側にある言葉になった時に、初めて素直に受け止められることがあります。
そして、それを誰が言っているのかも大事なことだったりします。
たぶん、表現者が「ええんやで」って言ってくれてことが大きかったのかなと思います。
私が好きになるものは表現に関わるものが多いし、例えば一杯のきつねうどん(一番好きな食べ物)でも、誰かが心をこめて作っているのであれば、それは表現物であり、誠実に関わりたいと思ってしまう。
だから、良いファンでありたいという気持ちが強いし、同好の士にも良いファンであると思われたいような気がする。

でも、好きっていうのは、一瞬の交差なのです。しかも、奇跡的な。
その交差が生まれたということこそが、重要であり、絶対であり、誰にも、自分にも否定できない事実なのです。
今も昔もずっと好きっていうのは、それに触れる度に交差が生まれ続けているということだから、こりゃもうとんでもない奇跡ですね。
そういう存在があることに、心から感謝しましょう。

何もかも好きでなくても、最新もすべて好きでなくても、相手の変化を受け入れられなくても、「好き」と思ったときの「好き」は、ずっと永遠です。

そういう想いで、好きなもののことを書いていきたいと思っています。