私、ほそかわゆきこは、この度、国際コーチング連盟認定プロフェッショナル・サーティファイド・コーチ(PCC)資格を取得いたしました。
これからも、クライアントの皆さまや関わってくださる方々とともに学びながら、引き続き精進していきたいと思っております。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
私、ほそかわゆきこは、この度、国際コーチング連盟認定プロフェッショナル・サーティファイド・コーチ(PCC)資格を取得いたしました。
これからも、クライアントの皆さまや関わってくださる方々とともに学びながら、引き続き精進していきたいと思っております。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
今月は、ふだんから触れているものに影響を受けちゃうよねって話。
私がまいにちまいにち濃厚に触れているものといえば、やはり息子たちなわけです。
今朝も、私が大学のレポートを書いていたら、次男(5歳)が部屋に入ってきて「アマゾン見せて」と言ってきました。
彼の言う「アマゾン」というのはAmazon prime videoのことで、要は動画見せろって要求。
「朝は時間ないからだめ」と言っていたらちょうど7時になったので、私はレポートを切り上げて朝の支度へ。
「見せてくれなきゃ動かない!」とごねる息子を置いて部屋を出て、
バタバタと家事をする合間に息子の様子を見に行くと、椅子の上で丸くなりながら、全身でこちらを睨みつけています。
ふーんと思って放置しておくと、こっそり廊下に顔を出して、こちらを探っている様子。
私も廊下に顔を出すと、ぴゅっと部屋に引っこんで隠れる。
またしばらくすると顔を出してきて、見つかると引っこむ。
それを繰り返してしばらくした後、そろそろ朝ごはんを食べさせねばと声をかけに行った部屋はもぬけの殻で、私が「あれー?」と言っていると「ここだよー」と別の部屋から飛び出てきてケラケラ笑う。
そして、兄のパンツを振り回してしばし遊んだ後、「ママー、うんち!」と大きな声で叫んでトイレに駆け込んでいきました。
そんな息子を見ながら私は、「健康で何より」と少し呆れながらも、何とでも遊びながら今この瞬間を全力で生きている感じに思わず憧れを感じてしまうのです。
この今朝の記憶を振り返りながら思い出したのが、「季節の記憶」という小説のこと。
稲村ヶ崎で暮らす父と息子の話で、私はこの小説を読んで以来「私もこんな子育てをしたい」と憧れていたのだけれど、今朝の感じはなんだかちょっと近いかもという気がしました。
でも、ひょっとするとそれはたんに、クイちゃん(登場人物の息子の名前)と次男が同じ年だからかもしれません。
クイちゃんのモデルは猫って聞いたことがあるけれど、5歳児というものはみんな猫みたいなのでしょうか?
さて、5歳児の魅力のひとつはやはり、ほっぺがぷりぷりなことではないかと思います。
次男はもともと色白で、重力を無視したようなハリ感しかない肌には羨ましさしかありません。
でも、この羨望は危険でもあると感じています。
当たり前の話だけど、5歳の身体と40代の身体はまったくもって別物なわけです。
自分の中での美しさの基準を5歳児の肌に設定してしまうと、これはとうてい実現できない理想なのです。
ここはわかってはいるところなので、日々、「40代には40代の美しさ!」とよくよく言い聞かせながら生きるようにしています。
5歳の息子は髪の毛もツヤツヤサラサラです。
彼の髪は私がカットをしています。
「どんな髪型になったって絶対にかわいいから大丈夫!」という素材に対する圧倒的信頼に基づき、眉上あたりで横一線にざくざくハサミを入れて頭囲を一周し、その下部はバリカンを使って刈り上げるという、ひたすら大胆な坊ちゃん刈りに仕上げています。
結果、予想通りにかわいいので、毎日毎日「かわいいなぁ、きれいだなぁ、最高だなぁ」と思いながら、彼の髪を撫で回しています。
ところで、私の髪型もここ最近はずっとショートヘアなのです。
実は最近、担当美容師さんが変わって、イメージのすり合わせに苦労しています。
その方が比較的保守的なタイプなこともあり、私の思う「スッキリ短くしてください」に達しないことが続いています。
写真を見て話をしても、結果「もうちょっと短くしてほしかったな」という気がしている。
とうとう先日は、最後の最後に「襟足だけこれぐらい切っちゃってください。刈り上げてもいいんで!」と言って切ってもらうことに。
最後に直すのって全体のバランスが崩れちゃうから避けたいんだけど、つい。
でもこれね、コミュニケーションの難しさとか、互いのショートヘアの概念の違いとか色々あるとは思うんですけど、たぶん私自身が息子の髪型に寄せたがってる部分が大きいのではないかと思ってます。
だって、あれが私のなかでは世界一かわいいので。
しかし、「いい感じに坊ちゃん刈りに寄せてくれ」っていうのは、ちょっと無理な要求じゃないかと我ながら思うのです。
長男(小3)はスポーツ刈りにしちゃったので、これはこれでかわいいんだけど、さすがに寄せたいとは思いません。
もしかすると私がショートから離れたほうがいいのかも…と、ボブぐらいに変えていこうかなと思う最近なのです。
*
みみをすますラボでは
あなたと わたしが みみをすまし
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ひさしぶりにクライアントの声をご紹介させていただきます。
人生の節目を一緒に確認するようなセッションの後に、胸が熱くなるような振り返りをシェアしていただきました。
「これは是非誰かに知ってもらいたい!」と思い、ブログへの掲載をお願いしたのでした。
今回ご紹介するのは、1年半前にもブログ(自分のトリセツをつくる)に登場していただいたさやかちゃん。
もう3年のお付き合いになるのですね!
その間、いろんなことがありました。本当に、いろんなこと…(遠い目)
そんなさやかちゃんが社労士の資格に挑戦することを決意したのが1年ほど前のこと。
人事畑のキャリアを歩んできたさやかちゃんにとって、社労士はいつか挑戦したいと思っていたことのひとつだったそう。
とはいえ、社労士は合格率6%の超難関資格。
私、ずっと見てた(聴いてた?)から知ってます。
さやかちゃんは本当の本当に、本気で、ベストを尽くして、勉強に取り組んできました。
会社員を辞め、フルタイム受験生となり、色々なものを乗り越えて、今年の夏の試験を受けました。
しかし、結果は不合格。(合格ラインまで1点足りなかったそう…1点…!)
その後のセッションは、さやかちゃんの「今まで」と「今」、そして「これから」を考えるうえでの節目のような時間になりました。
セッションの後、社労士試験の振り返りとしてシェアしてくれた文章がこちらです。
この10年近く、不妊治療、妊娠、出産、育児など人生のイベントがたくさんあった。
それはそれで大切なことだし、そのせいで何かが犠牲になったとは思わないけど、何かあった時に全力を出し切れない言い訳にしたり、スケープゴートにしていたのは事実。
それは意識的か無意識か。わからないくらいしみついてしまった自分の思考の癖だったように今は思う。
本気を出さない/出せない状態がデフォルトになってくる。
「俺はまだ本気を出さないだけ」って思っていたけど、「私って本気出せるんだっけ?」「本気を出した私って、なにができるんだっけ」と不安に駆られる。
自分への信頼や自分の力を信じたい気持ちが大いにあるけれど、確かめるのが怖い。
結果、本気で何かをやること、やりきることを無意識に避けていた数年だったかもしれない。
それはそれでエコで間違っていない。
でも、私の本質はきっとそうじゃない。
社労士試験は本気でやり切った。
がむしゃらに何かに打ち込む自分がいた。
そのことがまずはうれしい。
ちょっとしたトランス状態だったかもしれないけど、この年でトランスするほど打ち込むってすばらしいこと。
大変だったけど、朝早く起きて、時間を見つけて勉強に打ち込む毎日はとても楽しかったし、頑張れる自分がとても好きだった。
そんな自分が家族に与えている影響もとてもいいなと感じていた。
「ここまでやれる自分」と、「ここまでしかやれない自分」を知った。「ここまでやれる自分」を知って自分への信頼が手中に戻ってきたように思う。
「ここまでしかやれない自分」を知ったけど、「そうなんだ」としか思わない自分に驚いている。
これまでだったらネガティブに捉えたり比較したりしていたけど、今は「じゃあどうやって付き合っていこうか」としか思わない。
それは自分にとって初めての感覚でとても良い感覚だと思う。イマココ感?
振り返ってみれば小学生の時から限界まで走り切ってドカンと体調を崩すタイプだった。
38歳にしてやっと自分の特性として、トリセツに昇華?成仏?できたな。
読んでいる側が今の自分のあり方を問い直さずにはいられなくなるような、正直で切実な言葉が並んでいます。
身軽だった頃に比べて、自分の人生に大切なものたちが増えた今。
「俺はまだ本気出さないだけ」って、ドキッとしますよね。
本気を出すことを無意識に避けていたさやかちゃん。
どうして今、本気を出すことができたのでしょうか?
ふたつの理由を挙げてくれました。
ひとつは、自分自身と話し合って「今だ」って決めた感覚。
タイミングがピッタリだったなって思う。
2022年3月ころだったかな、一回社労士を取ろうと思ったときにゆきこちゃんに「本当に社労士なの?」と問いかけてもらったことがあった。
その時、結構衝撃的だったんだよね。
社労士という大きな課題に向かおうとしているこの決意を問われることってあるんだ〜!って。
その時は確かに違うなってチャレンジを見送って。
でも一方で、いつか今だってタイミングが来るんだろうなという風待ちの気持ちにもなって。
無理やり能動的に行くんじゃなくて、運命的に受動的に決まることもあるかもしれないという予感を手に入れたんだよね。
だからこそ今回、その風が吹いたときにふっと身をゆだねられたように感じる。
無理なく、私にとっては今だったから、本気を出せたんじゃないかな。
もうひとつは、本気を出さないようにするストッパーを1つ1つ扱って手放す機会があったからだと思う。
私の場合ストッパーは「不安」。
こうなったらどうしようという不安が具現化した時に自分を守れるように、「本気を出していなかっただけ」という言い訳ができるようにしてたなって思う。
今回の場合は「これまでの学び方が通用しない。新しいやり方を試すのが不安」「答え合わせをして合格点を割った時の自分を想像すると不安」とかをゆきこちゃんと扱った。
扱って眺めてみて、手放して、棚にしまう作業をすることで、「大丈夫、本気で走って大丈夫」って自分の前に広がる道を整備していたんじゃないかな。
これは「信頼」の成果だな、と思います。
ひとつには、1年半前の記事にもある「答えは私の中にある」という信頼。
もうひとつには、「私は自分の不安を扱っていくことができる」という信頼。
さやかちゃんにとっても、セッションで不安を扱うことはとても勇気のいることだったそう。
さやかちゃんは「ゆきこちゃんがどんと構えてくれていたから」と言ってくれたけど(嬉しい!)、「こういう環境ならば自分は不安と向き合っても大丈夫」ということを、さやかちゃん自身が少しずつ少しずつ学んでいったからこそ。
それはやはり、ご自身のチャレンジの成果に他ならないと思います。
そして最後に、今感じていること。
人は経験からしか学ばないというけれど本当にその通りだと思う。
日々の穏やかな生活の中でも学ぶことはたくさんあるけれど、ストレッチな環境下でしか学べないこともやっぱりあるし、限界の状況だからこそにじみ出てくる人間性みたいなものがあるなって今回感じた。
常に厳しい環境にいたいとは思わないけど、必要な時に必要な挑戦ができる環境は大事。
いつでも帰れる港があるから大海原に漕ぎ出せる感覚。
それは私にとって家族でありコーチだな。
私も誰かにとってのそういう存在でありたい。
そしてまた次の冒険に想いを馳せてわくわくする気持ちでいる自分にびっくり。次は就職だ〜!
セッションも、これからの希望に満ちた清々しい時間だったのです。
一山超えたさやかちゃんは、自分のなかの声へのアンテナ感度が上がっているように感じました。
次の風も必ず敏感にキャッチして、いい流れに乗っていくことができるはずです。
何を書こうか少し悩んだのだけど、この振り返りを読んだ直後にさやかちゃんにメールした文章が、やっぱり一番フレッシュで一番率直なんじゃないかなと思ったので、改めてそれを載せたいと思います。
すごく正直な言葉が並んでいて、とても心を打たれました。
特に、社労士試験に「頑張れる自分がとても好きだった」というところ。
できない自分を認めたり、許したりすることもトリセツとしては必要だけど、
自分の好きな自分でいられるって、やっぱりすごいことなんだなって思いました。
そのひとつがさやかちゃんにとっては「本気でやり切る自分」なんだろうね。
後半は、ここまでの取り組みを思い出して、じーんとしていました。
本当に、「今」がさやかちゃんにとって納得感のあるタイミングだったからこそ、「本気でやるぞ!」と決めて進んで来られたのだと思います。
「不安」や「恐れ」というのは誰にとっても直視するのが難しく、扱うのには覚悟が必要なもの。
覚悟を決めてそういうものを扱いながら一歩一歩進んできた経験は、さやかちゃんにとっても本当にかけがえのない学びだと思うし、私もその姿にたくさん影響を受けました。
スマートじゃなくていいから、全力で生きたいな!って気持ちです。
そういう人生が私にとってはいい人生だし、そんなふうに生きられているのが「私の好きな自分」かもしれないなーと思いました。
なんだか公開ラブレターみたいでだんだん照れくさくなってきましたが、笑
さやかちゃん、あなたは本当にかっこいいし、
コーチとしてあなたと人生をご一緒できていることを、私は心から誇りに思います!
「みみをすますラボでは
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私がこのコンセプトを決めて、コーチングサービスを始めたのが約2年前のこと。
私たちは離れていても「ふれあう」ことができるし、互いを「うつしあう」ことで相手を知り、自分を知ることができる。
そして何よりも、「ひびきあう」ように互いに影響を受けたり与えたりしながら、それぞれに、さらに自分らしく変わっていく。
今回のさやかちゃんの振り返りから、ちゃんとそういうことができているのだなーと改めて実感することができたように思います。
心から感謝。
最近は特に、影響のことをよく考えます。
コーチングを通して、自分の人生を真剣に生きる人たちにふれていると、私自身がすごく影響を受けます。
クライアントさんたちは「私に影響を与えてやろう」なんでつもりで話しているわけじゃなくても、それでもどうしても勝手にひびいてしまうもの。
話す内容とかじゃなくて、その正直なあり方に影響力があるのです。
そういうものが積もり積もって、少しずつ私の中にも変化を求める声が生まれてきている気がします。
私自身、自分のなかにみみをすまして、その声を誠実に受け止めたいなと思い始めています。
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昨日の夕方、車で帰宅している途中、ひさしぶりにナビが「まもなく日が暮れます。ライトの確認をしてください。」と言うのをききました。
私はこのアナウンスが大好きで、きくと必ず空を見上げてしまうのだけど、
日の長い夏の間はすっかりご無沙汰していたので、ひさしぶりの再会。
たまたま良いタイミングでSpotifyがくるりの「奇跡」を流してくれたから、
夕暮れ時の車できくこの曲が大好きな私は、幸せな気分に包まれて揺られていました。
Spotifyはほんとに賢い!
この曲の長い長いアウトロをきいているとよく思うことで、
たぶん私は音楽が好きというよりも、音が鳴ることで空気が震えて、その結果否応なしに身体器官も振動して、自分の外側の空気も身体の中身も一緒に震えながら、そこに音楽が起きるということが好きなのだと思います。
音楽の中でみんなで一緒に震えているという喜び。
でも、やはりそこには何かしら偉大で美しい秩序が存在していることも確かなのです。
音楽はぼんやりしているときの方がよく響くというか、頭が思考でパンパンなときにはただ滑って通り過ぎていくものだけど、
昨日はひさしぶりにジムに行ったものだから、私の頭はいつもに増して空っぽだったのです。(good!!)
ジムには5月の終わりから通い始めて、7月中旬ぐらいまでは真面目に続けていたのだけれど、あまりに夏が暑いので、身体を動かす気力なんてすっかり蒸発してしまった…。
だんだん暑さもやわらいできて、そろそろ再開しようかなと思いつつも、一生懸命行けない言い訳を探して、全力で先延ばしにしていたここ最近。
昨日はスケジュールの変更でぽっこり空き時間ができたので、特段急ぎの用事もなくて言い訳も見つけられず、仕方なくジムに行ったのでした。
前々から気になっていたことで、今回も気になったことがあって、それは成果の認識のしかたみたいな話。
たとえば、
今日ジムに行けたことを+1としたとき、
昨日ジムに行けなかったことは、ただの0のはず。
なのに、「行かなきゃと思っていたのに行けなかった」という思いは、なんとなく−1のような気がしてしまう。
それがつもりつもって−20ぐらいな気持ちになると、「もう取り返せない…!」と投げ出したくなってしまう。
そういうことは私だけじゃないはず。よく聞く話な気がします。
でも、いったい何を基準にした−1なのか?
たぶん、目標とか計画とかそういう類のものだと思うけれど。
目標とか計画とかって、まだ起きていない未来にそういう基準を仮定することで、gapを埋めたがる脳の仕組みを上手く使いながら効率よく物事を進めていくための技術のひとつだと思います。
そう技術、人工的な工夫です。
もちろん、人類の知恵でもあるから活用すべしなんだけど、
全然、当たり前でも絶対でもないものなので、使うときにはちゃんとそういうものだと気づいたうえで選択しなきゃいけないんじゃないかと思います。
こういったものって、あまりに我々の習慣に組み込まれていて、自動的に発動してしまう思考のパターンだからこそ、時々立ち止まって「あれ?本当にそうなんだっけ?」と思い直さないと、知らないうちに技術に支配されてしまう。
たぶん、過去の実在しない−20をなんとかして、全てを完璧に繕おうとすることではなく、
+1を愚直に積み上げていくことの方が大事なはず。
それから、最近、ようやくわかってきた「長期的なゴールを達成するためのコツ」というのがありまして。
それは、クライアントさんの話から学んだことなのだけど、
何か新しいことに取り組む時、よく「モチベーションを維持するには?」とか「タイムマネジメントどうする?」とか考えるのですが(それはそれで大事)、
それよりも何よりも大切なことは
「何度でも、今この瞬間から始め直すと決意すること」なのです。
だって誰だって完璧な存在ではないのだから、何かしら事情があってどうしてもできない時も、なんとなく気分が乗らない時も、ついつい誘惑に負けてしまう時も絶対にある。
だからこそ、そんな時にはまた新たに「よし、始め直そう」と決めること。
それを何度繰り返しても、できるまで始め直すのだという決意をすること。
それが最大のコツなのです。
ここには、不完全な自分を許容する姿勢があり、
謎の完璧主義から導かれた−20をご破産にする効果がある。
変な過去への執着も、未来への恐れもない、常に新しく潔い生き方がある。
私もこうありたいものだと思いました。
なので、とりあえずジム(というか体づくり)は、またやらなくなることがあったとしても、何度でも始め直そうと思います!
あと、8月はブログ書かなかったなーと微妙に引っかかっていたのだけれど、それも手放し、不完全なまま潔く生きようと思います。笑
*
やっぱり秋かもしれない。秋なんだろうなー。
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私にとってブログはちょっと中途半端な存在で、
やらなきゃいけないわけでも、やらなくても特に困るわけでもなく、しかしながら「あー、やってないなー」という気持ちにはさせてくれるという、なかなか付き合い方の難しい相手なのです。
どうしても伝えたいメッセージがあるとか、ぜひともシェアすべき有益な情報があるとか、インターネットでゴリゴリ集客したいとかではないので、モチベーションの在り処が難しい。
面倒くさくなって「もう閉じちゃおうかな」と思うこともあるのだけど、それもちょっと違うかな、と。
特に宣伝もしていないホームページなので、
訪れる方は、私のことを知っていたりどこかで知ってくれたりして、「最近どうしてるのかな?」とか「この人どんな人なんだろう?」と気にしてくださっている方のはず。
であれば、ツンと事務的に対応するのではなく、「せっかく寄ってくれたんだから、ちょっとおしゃべりしていきなよー」ぐらいの心構えは持ちたい。
世の中的には雑談の必要性も叫ばれておりますしね。
とはいえ、雑談じゃなくてひとりごとだし、雑談ばかりしてもいられないから月イチぐらいでいいかなというのが、ブログについて最近思うことです。
さて、7月に入り、夏休みがぐっと近づいてきました。
私の、じゃなくて、子どもたちの、ですけど。
先日も、小学校の地区委員(?)のお母さんから、
「ラジオ体操、今年の実施はなしでよろしいでしょうか…?」とのご連絡。
何を隠そう、うちの息子(小3)は今まで一度もラジオ体操に参加したことがないので、「なしでよいのではないかと思います」と即答したのですが…。
地区的に子どもの数が少なくなっていて、両親ともに働いている家庭も増えていて、昔のようには実施することが難しい時代だと思います。
我が家の場合も、息子が月曜から金曜までを過ごす場所が学校から学童に変わるだけで、夏休みだからといって生活リズムに大きな変化はありません。
なんなら、息子の学童は朝も要送迎なので、夏休みの朝の方が私はちょっと忙しい。
旅行などの家族イベントは考えているけれど、あの毎日が溶けていくような夏休みの時間は、はるか昔の物語なのかもしれません。
とはいえ、これまで続いていたことをやめることって、悩ましいというか、罪悪感を感じるというか、そういう面がある気がします。
その感覚には色々なことが影響しているだろうけれど、
そのひとつには、それが今の自分を構成している一部だということがあると思います。
例えば、私は今でもデスクワークの合間に軽く体を動かしたい時にはラジオ体操をしているし(Spotifyのひろみちお兄さん版を愛用)、
早起きした朝の涼しい道を走って会場に通ったこととか、カードにスタンプを押してもらう嬉しさとか、ラジオ体操にまつわる夏休みの美しい思い出もたくさんある。
それは、私にとってはわりと「いいもの」な気がします。
一方で、改めて朝のラジオ体操の制度的な側面を考えてみると、
毎朝同じ時間に、ラジオというマスメディアの力で、体操という同じ身振りを全国津々浦々の身体に刻んでいくわけです。
そういった画一的な身体の規範みたいなものを我が子に刷り込んでいくことは、果たしてどうなんだろうか。
大げさなようだけれど、身体ってそういう場所だと思います。
色々な方と話していて時おり感じる、自分の身体が社会的規範を逸脱したときの申し訳なさとか、情けなさとか、恥の感情とかって、結構そういうものから作られているんじゃないかな。
まあ、なんやかんや言ってますが、結局「親の負担、勘弁してください!」が一番の本音だったりはしますけどね。
でも、これからの世界に何を残して受け継いでいくのかは、「自分もそうだったから」みたいなレベルじゃなくて、もっと深く考えていきたいことだと思っています。
さて、これからますます暑くなってまいります。
どうぞ皆さま、くれぐれもご自愛くださいませ。
*
今年はどんな夏にしたいですか?
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『VOGUE GIRL』の「しいたけ占い」が、今週(5/29〜)の更新分で終了になりました。
正確にいうと、掲載されていた『VOGUE GIRL』WEBサイトがクローズされるので、これまでの「しいたけ占い」も6/30までで見られなくなっちゃうそうです。
なんと連載期間は8年半にも渡ったそう!
そんなに長い間、毎週毎週更新してくださっていたのですね。。
本当にお疲れ様でございました。
愛読者のひとりである私としては寂しい限りで、この勢いで(?)今日は「しいたけ占い」のことを書きます。
この『VOGUE GIRL』での「しいたけ占い」、半期ごとの占いももちろん楽しみにしていたのですが、私がお世話になっていたのは何といっても週刊占い。
毎週月曜正午にリマインダーを設定して、それはもう仕事のように欠かさずチェックしていました。
そして、その週の内容で気になったことは、手帳のウィークリーのページにメモしておく。
たとえば、ぱっと開いたページには「切り替え大事」って書いてある。
ほかにも、こんな感じ↓で、私の手帳はいつも、しいたけさんからのメッセージと共にある。笑
実は、noteの月刊占い(1日と後半のフォローアップ記事、月2回更新)も購読しているので「しいたけ占い」的供給が途絶えるわけではないのだけど、この毎週の習慣がなくなることを思うと、私の生活が変わっちゃうなという気すらするのです。
この「しいたけ占い」、もともと占いには特に興味がない私は、読みものやメッセージとして愛読しています。
占いってたぶん、未来について当たるか当たらないかが本来は大事なんでしょうけど、しいたけ占いにはそんなこと求めていない。
なのに、「え?私のこと書いてるの?」と思ってしまうようなメッセージが散りばめられている。
あれ、何なんでしょうね?
そこが占い的すごさなのか??
しし座はみんな同じ状況なのか???
週刊でも月刊でも半期ごとの占いでも、そこに書かれているのは今の私と地続きの未来という感じがする。
それは、ここまでの歩みに対する承認がたっぷりあるから。
しいたけさんって承認の天才だと思いますね!
「しいたけ占い」のコンセプトは、「都会に出た孫を応援する、山奥のおじいさんからの手紙」だそうです。
いやいや、実際のおじいさんよりも確実に私のがんばりを認めてくれてますよ、しいたけさんは。
本当はこっそり見てるんじゃない?!ってくらい。
応援の手紙というのはとてもしっくりくる表現で、そういうものとして私も受け取ってます。
有益なことでも、たとえ実は無益なことであっても、「誰が言うか」ってとても大事なこと。
しいたけさんが言う「自分のケアもしてね!」みたいなことって、ある程度いつでも誰にでも当てはまるようなことかもしれない。
でも、「そこまで見てくれてるしいたけさんが言うなら、ちょっと気にしてみるか〜」と手帳にメモしてしまう。
こういうことは、リアルでもよくあることじゃないかと思います。
しし座へのメッセージはというと、「『刺激と直感』の金色が出ています」だそう。
理由はうまく説明できなくても、ものすごく刺激を受けるものを吸収していく期間だから、そういう「即答で、うまく言葉にできないこと」をどんどん吸収していってねということ。
それから、「すぐに役立つ知識」みたいなものから遠ざかっていいということ。
責任や立場を自分で感じていく部分の強いしし座だからこそ(ここが承認!)、もうちょっとだけ「自由」でもいいそうです。
私、この間の週末に、まさにこのうまく説明できないし役に立つかどうかわからないけれど、ものすごく刺激を受ける経験があったのです。
このまま進んでいいんだよーと、背中を押された気がしました。
しかし、しし座の人って本当にみんな「自分の人生、絶対に私が面白くしていってやる」って思っているのでしょうか?
ちなみに私はそう思ってます!
こちらのしいたけさんとVOGUR GIRL副編集長との対談記事のおわりには、星座ごとのお守りワードを伝えてくださっています。
しし座には、「『私が好きか、嫌いか』。そこだけ大事にしていけば大丈夫!」だそう。
本当に大丈夫〜?!って感じですが、
しし座のことを「好きになったものに対して全力で責任を持っていく」と言ってくれるしいたけさんの言葉ですので、ありがたく心にメモしておこうと思います。
*
あなたのお守りワードは何ですか?
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最近、浅煎りコーヒが美味しい。
春だからというわけじゃないけれど、春だからなのかもしれない。
浅煎りコーヒーは、のどごしスッキリ香り高い。(ビールみたいだな)
暖かくなると、そういうものが飲みたくなります。
さて、最近の暮らしについて。
4月になって、新年度。
まだ春休み中とはいえ、子どもたちは学童&保育園なので、わりとずっと通常運転。
長男は小学3年生に。
この冬あんなに学校行けなかったのが嘘みたいに、毎日元気に学童に通ってます。
彼の学童は保護者送迎マストなので、長期休暇中は徒歩約10分の道のりを送っていくんだけど、毎朝7時過ぎには「早く行こう!」と叫んでいる。
学校よりも学童が好きなのもあるけれど、私はこの人は太陽連動型なんじゃないかと思っている。
ひょっとすると私がそうだからそう思うだけかもしれないけれど、陽の光が満ちてくると充電されるよね。
いやほんと、元気で何よりです。
2学期の通知表で「字をていねいに書く」がC評価だったので、3学期はがんばろーねと言っていたものの、残念ながら挽回されず再びのC評価…
約束どおり、4月からは書写教室に通うことに。
最近、将棋教室にも通いはじめたので(こちらは本人の希望)、学校以外の部分が忙しくなってきた感がでてきました。
次男は年中に。
彼のこども園では年中さんから制服(といっても上着だけの園児服)着用。
本当は2月頃に予約注文しなきゃいけないのをすっかり失念していて、先週かろうじて在庫の残っていた一つ大きなサイズを購入したという経緯があり、
ぶかぶかな制服に着られてる感でかわいさ倍増です。
彼のなかではこの冬からのあやとりブームが続いていて、歩きながらもあやとりをしている。
終わらない二人あやとりに付き合うのは正直うんざりではあるけれど、
あの小さな手から幾何学模様が生み出され続けるのは、本当に不思議で美しいものです。
すぐに「ママ、これ持ってて」とあやとりひもを持たされるので、近ごろの私はどんな服を着ていてもポケットからあやとりひもが出てきます。
先週末は、家族でさくら祭り開催中の万博記念公園へ遊びに行きました。
子どもたちは半袖で走り回るほどのいい天気で、大勢の人たちで賑わっていました。
さくら越し、横から見た太陽の塔。
「ちょっとこの人ストレートネックじゃない?」って気がした。
よく見ると薄汚れていて、息子たちと「ゴシゴシ洗ってあげたいね」って話してた。
そう。
改めて太陽の塔を目の当たりにして、こんなに「これは生命体である」と感じさせられるのってすごいなと思ったのです。
正面から見ても、左右どちらから見ても、この塊感!これがマッスってやつなのか?
鉄筋コンクリートなんだけど、堂々たる「身」の厚みって感じ。
背面の黒い太陽。かっこいいー。
こんなに厚みがあるけれど、中は空洞。
前日までの予約制で内部の見学ができます。
塔の内部には「生命の樹」。
原生類時代→三葉虫時代→魚類時代→両生類時代→はちゅう類時代→哺乳類時代と、
いのちの歴史をあらわした巨大オブジェ。
高さ30メートルまで、階段を登りながら観賞できます。
アンモナイトとか、プテラノドンとか、マンモスとか、図鑑なんかで知ってるいきものたちの姿を見つけて、息子たち大喜び。
私自身は、階段を駆け上がる息子たちを追いかけるのに必死でとても展示をじっくり見られる状況じゃなかったけれど、目を輝かせる彼らのvividな瞬間を見られたので良しとしよう。
ちなみに、写真撮影はスマホやカメラの落下が危険なので通常は1階のみOK。
ただし、500円でスマホケースをレンタルすれば、上層部でも撮影可能らしい。
私は「うまい商売やな」と感心しつつも、レンタルしませんでした。
たくさん歩いて疲れたし、首筋が日焼けしてひりひりするけれど、よい春休みの思い出となる一日でした。
*
どんな春を迎えてますか?
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ふれあい、うつしあい、ひびきあう、
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桜咲いてますね!私の住んでいるあたりは、まだまだ咲き始め。
薄ピンクって、視界に入るだけでなんだか浮足立ちますね。
昨日見た琵琶湖の夕暮れも、ほんのり薄ピンク。
先週末、関西は雨でしたが、そんななか私は野外ライブに行ってきました。
大阪城音楽堂は、大阪城公園にある野音。初めて行きました〜!
でも、野外といえば雨。
雨対策は万全でも、冷え対策を甘く見ていた…。寒かった…!
私のお目当てはTempalay。
Tempalayの音楽を聴いていて感じる、此岸と彼岸のあわいの情景みたいなものがとても好きです。
私はコロナ禍滋賀に引っ越してから聴くようになったこともあり、ライブ会場に行くのは初めて。
メンバーのAAAMYYYが出産で休んでいたため、今回が久々のライブだったみたい。おめでとうございます!
私は昔からライブって大好きなのですが、
ライブに行くって、何を期待しての行為なんだろうな、って時々考えます。
音楽としてのクオリティだけで考えたら、スタジオできっちり作り込まれた作品聴いてた方がよっぽどいいことが多いし。
(実際、今回も時々、音響がバラバラに崩れて音楽じゃなくなることがあった。)
アイドルだったら推しの動く姿を生で拝みたいとかあるけど、それとはちょっと違う。(もちろんそういう部分もちょっとはあるけど!)
芸術理論では、芸術の特徴を「自然性と人為性の交叉」に見ることがあるんだけど、ライブっていうのは、自然性=人間の意思ではままならないものが人為性を超えることがある時空間なんじゃないかと思います。
きっと私はそういう時空間の一部になりたくて、ライブに行くのだと思います。
今回のライブでは、「そなちね」でVo.の小原綾斗が吠えたり啼いたり唸ったりしているところがとても良かった。
そういうの浴びられたら、来た甲斐あった!って感じですね。
野外のイベントで音楽を聴いているとき、空間が開かれていて、視覚が自由なのがいいなぁと思います。
そこにあるのはお上品にうっとりと響く音じゃなくて、どちらかというと揺さぶるような粗暴な音なので、聴いている時にはからだが揺れている方が無理がない気がします。
そうやって音の振動をからだに取り込みながらも、私の鼓動は私のリズムを刻んでいて、その2つはからだのなかで平気な顔で共存している。
夕暮れの空を見上げると飛行機が飛んでいて、公園の木々が影絵みたいになっていて、冷えを感じて軽く鼻をすすると、誰かがこぼしたビールの匂いがする。
そういうものが私の中で存在していて、そんな世界に私自身が存在している。
大げさなようだけど、そういうことを感じたくて、外で音楽を聴きにいくのかもしれません。雨なのに!
今年はたくさんいいライブに行けたらいいなぁ。
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突然ですが、好きな絵本の話。
絵本といっても、写真の本です。拡大した、自然のかたちの本。
うちの息子たちもお気に入り。
でも実は、ちょっと疲れたときなんかに、私ひとりでページをめくっては、飽きもせずに眺めてることがよくあります。
この「きらきら」は、雪の結晶の本。
文は、谷川俊太郎さん。
こちらの「ほうさんちゅう」は、放散虫という小さな海の生き物の化石を、電子顕微鏡で500倍にした写真。
放散虫はガラスの骨を持つ原生生物で、生きている時にはアメーバ状のからだをしてどこの海でもぷかぷか漂っているそうです。
5億年前から進化し続けている生き物なんですって。
どちらの本も、眺めているとつくづく不思議で美しいなーと思うのですが、
よくよく見ると、微妙にきっちり左右対称じゃないところがいいんだろうなと思います。
溶けたり欠けたりもしているし。
それでいて完全に調和している。
こういうものを眺めていると、自分の中のあれやこれやが、すーっと収まるべきところに収まる感じがします。
なんでこんなことを書いているのかというと、今日、コーチングのセッションをしていて、こういうものをみたな、というか、感じたな、と思ったのです。
いい状態の人からは、こういう調和した、美しい自然のかたちのような印象を受け取ることがあります。
妙なことを書いている気がするけれど、人間も自然物なんだから当たり前のことのような気もします。
自然と調和した美しさってことなんだろうな。
写真と全然違うのは、生きている存在は動的だってことですね。
コーチである私は、この調和した「今」を手に入れるまでの試行錯誤の道のりを知っているわけです。
その道のりに思いを馳せると、人間ってすごい!と感心しつつ、私もこのように美しくありたい、とも思う。
とりとめなく書いてしまいましたが、そういう美しさに関わることができるコーチングをやっていてよかったな、という話です。
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