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わたしの点と線〜今の自分は全然わかっていない

いきなりですが、私には「プロセス味わいたがり気質」みたいなものがあります。
何かに取り組むとき、ただ物事をこなすのではなく、楽しんでやりたいなーと思いがちということです。

それから、「世の中的な正解は知らんが、自分の納得できることをやりたい」という、頑固者気質もあります。

だから、新しいことを始める時は、それが自分にとって納得感のある面白そうなことであれば、大きな決断であっても大胆に迷いなく始められます。
逆に、楽しめなさそうなこと(ちょっとやりたくないこと)はずっと着手できないことも…

体を鍛えることは、運動嫌いの私にとって、ずっと着手できていないことのひとつです。
何度も自分がコーチングを受ける時のテーマにしたことがあるのですが、なかなかうまく行かず。
だって、楽しいイメージを全然思い描けないですもん。全然やりたくないんです。
でも、とうとう自分の中での体を鍛えることの重要性の上昇を感じたので、この件に関しては「楽しいを捨てる」という決断をしました。笑
お仕事モードで、割り切って効率的にやっていきます!

コーチングを始めたばかりの頃の話

この「楽しいを捨てる」ということから、ふと思い出したのは、コーチングを始めたばかりの頃のこと。
今思えば、始めたばかりの頃、コーチングをすることは全然楽しくなかったなー、ということです。

そもそも私は、クライアントとしてのコーチング経験のない状態で、「よし、プロコーチになろう」と決めたんです。
我ながらちょっと信じられないですけど。笑

2019年のことですが、私はただ、仕事を変えたいと思っていました。
もともと、東京のベンチャー企業で会社の数字を管理するような仕事をしていました。
月次、四半期、年次の決算スケジュールに合わせて動く、ロジックと正確性と専門知識を求められる、変化スピードの早い仕事でした。
それなりに面白くやっていたのですが、忙しすぎたり、自身に合っていないと感じていたり(数字や正確性が苦手‥)、他にもこのままではいけないなーと思うようなことがあったりして、
個人でいつでもどこでもできる仕事、自身の感性やコミュニケーションを使う仕事、自分の人生経験が糧になっていくような仕事をしたいなーと思っていました。

そういう仕事って何かな?といくつかリストアップしてみた中に、「コーチング」があったんです。
実際に受けたことはなかったけれど、コーチングというものがあることは、セミナーなどで知っていたんですね。
そしたら、たまたま前職の社内にプロコーチの方がいらして。
それまで個人的にお話したことはなかったんですが、「コーチングに興味あるのでお話聞かせてください」とお願いしたら、快くご対応くださって。
その時の傾聴っぷりや温かいあり方に「こんな人がやっているコーチングは良いものに違いない」と思い、「よし、プロコーチになろう」と決め、その後すぐにコーチ・エィ アカデミアというコーチングスクールに申し込みました。
たまたまそんな方に巡り会えるなんて、改めて、本当に自分はラッキーな人間です。
だから、先に魅力的なワークショップデザイナーに巡り合っていたら、きっと私はワークショップデザイナーになっていたんだと思います。
それぐらいの動機で始めました。

それが、2019年の秋から冬にかけてのことです。
コーチングがどんなものなのか、自分がどんなコーチになりたいのかもわからないなか、「プロコーチになる」という決意だけ握りしめて、とにかく目の前のやらなきゃいけないことに取り組んでいました。
始めたばかりの時は、会社の仕事をしながら、早朝や昼休みにスクールの勉強をし、その隙間でクライアント候補を見つけてセッションをさせてもらうという目まぐるしい日々で、過労による風邪から声帯炎になり、1ヶ月くらいまともに声が出なくなったほどでした。
その後、会社を辞めてからは時間的余裕はできましたが、コロナが起きたり滋賀に引っ越したりと、環境面での大きな変化がありました。
そんな変化に一生懸命適応しながら、ただ粛々とコーチングを学び、セッションをしていました。

今思えば、その頃、コーチングをすることは全然楽しくはなかった。
もちろん、嫌々やっていたってことじゃないですよ!
クライアントさんの話は興味深く、新しい知識やスキルを学ぶことも面白かった。
でも、「コーチングをする」という意味で楽しいと感じられるようになってきたのは、始めてから1年ぐらい経ったころだったと思います。

やっぱり、コーチングの楽しさをわかるまでに時間と経験が必要だったということだと思います。
最初は「こうやってみましょう」と言われたことを、自分なりに一生懸命やっているだけですから。
その時に、自分がどんなことを感じているのか、自分の中でどんなことが起きているのか、相手はどうなのか、自分と相手の間だとどうなのか。そういうことを感じる余裕がないですから。
だから、この「全然楽しくなかったな」というのも「今思えば‥」の話ですね。そんな楽しさがあるという事自体、当時はわかっていないわけですから。
ただ、メンターコーチやコーチングクラスでのフィードバックから「自分は成長しているらしい」と感じたり、クライアントの方の様子から「それなりに役立っているようだ」と感じたりすることが、続けていく力になったように思います。
あとは、払った学費ととりあえず決めた目標(プロコーチとACC)も、「まずはそこまではやってみよう」と思わせてくれたものだと思います。

今は、コーチングをすることは、とても楽しいです。これからも、もっと楽しくなっていく予感があります。
同時に、コーチングというものも、興味深く面白いです。
クライアントさんたちは素晴らしく、周囲のコーチング界の方々は温かく尊敬できる方ばかりです。
コーチングというものが自分にあることによって、これから広がっていく他の可能性も感じています。
本当に始めてよかったなと思っています。

だから、今だから思うことは、「よくわからなくても始める」とか「楽しくなくても続けてみる」ということは大事だなということです。

私の中にある点と線

時々「Connecting the dots」のことを考えます。スティーブ・ジョブズの有名なスピーチです。

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. 
You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. 
Because believing the dots will connect down the road, it gives you confidence to follow your heart; even it leads you off the well-worn path. And that will make all the difference.

先を見通して点をつなぐことはできない。後から振り返ってつなぐことしかできない。
だから将来何らかの形で点がつながると信じることだ。
何かを信じ続けることだ。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも。
なぜなら、点と点がつながって道になると信じることは、自分の心に従うための自信になるからだ。たとえそれで人並みの道から外れたとしても。
そのことが大きな違いを生むだろう。

間違いなく、コーチングは私の点です。
何の保証もなく、ろくな計画もなく、直感にしたがってエイッと踏み出した点です。

コーチングが楽しいと感じられるようになってから、「あれ?これと同じ感じ、知ってるかも」と感じることが出てきました。
過去に自分が興味を持って取り組んだこととの、共通項に気づくようになったのです。
そうすると、自分の中の点たちが線としてつながってきました。

そのことによって、私にとってコーチングは、ますます面白く興味深いものになってきました。
自分の中のコーチングの意味が、他の点とのつながりによって変化しています。

それに気づくことは、確かに私に自信を与えてくれていると思います。
まずは、私の中にはすでに多くの点があるのだということ。
そして、自分は確かに正しい道を進んでいるのだということ。
そういうことが、私に自信を与え、新たな点へと踏み出す背中を押してくれます。

今の自分は全然わかっていない

ここまで書いてみて改めて思うことは、今の自分は全然わかっていないということです。
これから起こることも、すでに自分の中にあるものも、それらから立ち上がる意味も、です。

コーチングを始める前、コーチングがどんな点なのかも、何につながるのか、それがどんな道になるのか、全然わかっていませんでした。
たぶん、今も、まだまだ全然わかっていないのでしょう。

何かを始める前にわかったつもりになっていることなんて、本当に大したことないもんです。
コーチとしてクライアントと関わる中でも思うことですが、
今わかっている理想や恐れなんて、今の自分に想像できる範疇でしかありません。
実際に進みだして、変化して成長すると、最初に描いた像なんてどんどん超えていってしまう。
それは、今できる想像の範疇を遥かに超えたものなのです。

その想像を超える部分が可能性です。
今の自分は全然わかっていません。
だから、可能性もそれだけ広がっています。

さて、ここまでの流れから、冒頭の私の体を鍛えることを考えるとどうなるんでしょう。
楽しいとか楽しくないとかグダグダ言ってるけど、とにかくやってみなはれってことでしょうか。
そして、やってみたら、少なくともその点がくっきりはっきりするまでは続けろってことですね。
本当の面白さがわかるのは、それからなのでしょう。

書きながら、なんだか自分に巨大なブーメラン飛ばしてるなーと思いつつ、とりあえず、プロテイン買ってジムの体験申し込みました〜!

自分の中にある点に気づき、そしてそれらをつなげるために、コーチングはいかがでしょうか?

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ACCとして始める2022年

2022年一本目のブログです。
あっという間に1月も後半ですが、
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、私の2022年は、年明け早々のACC資格取得から始まりました。

ACCとは、国際コーチング連盟(ICF)認定アソシエイト・サーティファイド・コーチという資格の略称です。

日本のコーチング資格は全て、各団体が独自に認定している民間資格です。
例えば、私が以前から持っている生涯学習開発財団認定マスターコーチという資格は、コーチ・エィという会社が提供するプログラムを修了し、一定の基準に達したコーチに対して認定している資格です。
日本には、このような認定団体がいくつもあり、団体によって様々な特色があります。

今回私が取得したACCを認定しているのは、世界最大のコーチング組織であるICFです。
世界のコーチ達の元締め的存在であり、コーチングのコア・コンピテンシーの策定もこのICFで行われています。
ICFの認定資格は国際資格であり、コーチングの国際基準を満たしたコーチであることを証明する資格です。
取得要件も多くの他の認定資格よりも厳しく、一般的には他の認定資格などを取得したコーチが目指すケースが多いように思います。

ACCは、ICFの認定資格のうち、一番最初の資格です。
ACCの次はPCC(プロフェッショナル認定コーチ)、そしてMCC(マスター認定コーチ)という、3つの認定資格があります。

資格取得のお知らせでも書きましたが、ACC取得は、コーチングを学び始めたときからの、私の最初の目標でした。
2年と少し前、「まずはこれを目指してがんばろう」と決めて、私は自分で受けたこともなかったコーチングを学び始めました。
なので、この最初の目標を達成し、その先を目指して新たにスタートする機会を、この気持ち新たな年の初めに得られたことは、なんだかとても良いタイミングだなーと感じております。

この先、ICF認定資格の次のステップであるPCCを目指して励んでいくことはもちろんなのですが、
私の中では、2022年のコーチングにおける成長テーマがあります。

それは「学習と成長を育む」です。

この「学習と成長を育む」は、ICFが定めるコーチングのコア・コンピテンシーの4つの領域の一つでもあります。

最近の私は、よく「学習って何だろう?」「成長って何だろう?」と考えています。

例えば、

勉強をして知識を手に入れたとしても、それによって自分自身が変わることがなければ、それは学習とは言えないのではないか?ただの情報収集なのではないか?

とか

そう考えると学習とは、今の自分に何か良いものを追加するというただの安全な取り組みではなく、それによって自分自身が変わってしまうかもしれない、リスクを含んだチャレンジングな取り組みなのではないか?

とか

どんな経験からも学ぶことができるとしたら、どこにだって自分自身が変わる、成長する可能性はある。でも、その可能性がつながる先は、予め完全に予測しきれないからこそ、想像を超えた豊かな何かにつながり得るのではないか?

とか

成長が望ましい変化であるとしたら、何が望ましいのかは価値観によるはず。だとしたら、価値観が変われば、過去の経験を捉え直すことによって新たな成長の契機があるのではないか?

とか。

そういうことを考えていると、この「学習と成長を育む」には、全く未知の新しい何かが生まれそうな、ワクワクした予感を感じるのです。

もう一つ、私が2022年のテーマにしていることがあります。
それは、<ひらく>

<ひらく>がひらがな表記なのは、ふたつの漢字を意識しているからです。

ひとつは「開く」。
これは、「閉じる」の反対ですね。
新しい扉を「開く」というようなdoingはもちろんですが、自分自身が「開いている」というbeingの方も大切にしたいと思っています。
“open”は、コア・コンピテンシーで定められているコーチングマインドのひとつでもあります。

もうひとつは「拓く」。
これは、「新しく作り出す、今までになかったことを始める」ということ。
未来を拓く、新時代を拓く、なんて言いますね。
書いているだけでワクワクしてしまいます。

この<ひらく>「学習と成長を育む」には、非常に強い関連がありそうです。

開いている自分で学ぶことが、成長につながり、可能性が拓かれていく。
2022年は、そんな年になればいいなと思っています。

コーチングで、クライアントの「学習と成長を育む」パートナーとして協働できることは、私にとってもチャレンジングな取り組みであり、大きな喜びでもあります。
そして、その経験から、私も最大限に自分自身の学習と成長を育んでいきたいと思っています。

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そんなコーチングを提供しています。

これは、このホームページのTOPに掲載している文章です。

「ふれあい、うつしあい、ひびきあう」コーチングとは、互いの学習と成長が循環するような、影響し合える関係から生まれるのではないかと思います。
そのためには、まずはコーチの側が、自分自身が変わってしまうかもしれない可能性をも引き受けて、開いた自分でクライアントと共に学ぶ。
そういう姿勢が大切なのではないかと思っています。

そんなコーチングを、多くのクライアントの方々とできる2022年になれば幸いです。

ご自身の「学習と成長を育む」パートナーとして、コーチと話をしてみませんか?
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「ととのえる」という言葉

すっかり寒くなりましたね。

私は、ここ2〜3週間ほど、なんだか「ままならない」と感じる状況が続いていました。

まず長男が風邪を引き、私がワクチンの副反応で寝込んでいる間に次男に風邪が感染り、副反応疲れの私も風邪をもらい、回復しないうちに夫が副反応で軽く寝込み、やっと私の風邪が良くなってきたと思ったら次男が胃腸炎になるという具合。

病気の子どものケアって、もちろん心配するし、私の予定を調整しなきゃいけないし…という苦労もありますが、なんといっても肉体労働として大変です。
小児科に連れていくだけでも一苦労。
朝一番の受付開始と同時に予約して、嫌がる子どもをなだめて病院につれていき、診察の待ち時間(予約してても長くなりがち!)のグズグズに付き合って、薬を処方してもらって帰宅するころには母子ともにぐったり。
胃腸炎なんて、二次感染予防のための消毒という重労働がもれなく付いてきます。
3歳の次男にとっては初めて認識する腹痛だったのか、「おなかがいたい、おなかがいたい」と母に縋り付くので、私は延々と彼のお腹をさすり続けることしかできませんでした。しばらくすると、出すもん出した彼はケロッと元気に暴れてましたが、こっちにはそれに付き合う元気は残ってない…。
そして、回復期の子どもって、いつも以上にべったり甘えたがるような気がします。不安や違和感が残っているのでしょうか。でも、母はずっと君のことを抱っこしているわけにはいかないのだよ。

こういう日々を過ごしていると、自分の体力・気力のゲージがどんどん下がっていくのを感じます。

「ままならんなぁ」という感じです。

とはいえ、徐々に私と家族の体調も回復し、ブログを書けるぐらいにはじりじりと気力ゲージも上がってきたわけです。
ここまでよくがんばりました。えらい。

コーチングをしていると、よく「ととのえる」という言葉を使います。
対象は、体調だったり、心だったり、自己基盤やバランス、環境などなど、本当に色々ですが、クライアントさんからもテーマとしてよく出る言葉だし、コーチ自身もよく使う言葉ではないかと思います。

私も、特に調子が良くない時に、「ととのえたい」とか「ととのえねば!」と思うことがあります。
私自身がクライアントとしてコーチングを受ける時にも、何かエネルギーが足りない、すぐれない感じの時に「ととのえる」をテーマにすることが多いような気がします。

この「ととのえる」という言葉、私は、自動的に「整える」と脳内変換していました。
でも、先日、本(呼吸の本)を読んでいたら「調える」という表現が出てきたんです。
私、びっくりしちゃって。目からウロコ。
いや、知ってたはずなんだけど!「調身、調息、調心」って言いますもんね。
でも、それまでの私の脳内辞書には「ととのえる=整える」しかなかったのです。

違いが気になって、手もとの辞書で調べてみました。

整える

①みだれのないようにする。きちんとする。「隊列を―・身なりを―」

②手おちや手ぬかりのない状態にする。「準備を―」

調える

①(手をつくして)すべてそろえる。「晴れ着をー・費用をー」

②ほどよくかげんする。「味をー」

③まとめる。成立させる。「協議をー」

三省堂国語辞典小型版

なるほど。

「整える」の方には、「あるべき状態を目指す」ようなニュアンスを感じます。
正しい状態、あるべき状態といった基準や秩序がありそうです。

一方、「調える」の方は、「いい感じにする」ぐらいのニュアンスでしょうか。
できる限りのことはするんだけど、合意点とか妥協点とか着地点とか、そういうポイントを探っている感じがする。

「調える」の「②ほどよくかげんする」というのがいいですね。
料理で言う、いい塩梅ってやつです。
「こんなもんかな」って自分のセンサーで判断して、ちょうどいい具合にするのです。

このちょうどいい具合ってやつは、非常にナマモノ的というか、今ここだけに存在するものって感じがします。
その日の食材、その日の気候、その日の作る人・食べる人の好みや体調、前の食事で食べたもの、そういう色々なものが複雑に交差した場所に立ち上がるのが、ちょうどいい具合なのではないでしょうか。
正解や明確な基準があるわけではない。
そして、そのちょうどいい具合を目指してできる限りのことはするんだけど、最終的にできあがったものを「今日の味」としてありがたくいただくのです。
「おかーさん、ちょっと味薄い」って言われたら、「はいはい、醤油でもかけといて」でいいわけです。
そういうおおらかさを感じます。

こういうことを考えると、「ととのえる」という言葉を使う時に、自分の中に「整える」と「調える」、両方の捉え方があるのは良いことだと思います。
どちらがいいとかじゃなくて、どちらも必要。
状況に応じて使い分けられることが大切なんじゃないかなと思います。

体や心に対して「ととのえたい」時には、「調える」を思い出すといいかもしれません。

料理がナマモノであるように、体や心もナマモノです。
そもそもままならぬものであり、正しい状態もなければ、コントロールできるものでもないはずです。
でも、生きている限りずっとうまく付き合っていくしかないものです。
だから、その時々のちょうどいい具合を探って、できる限りの工夫もしながら、いい感じにする。
そういうことなんじゃないかなと思います。

「いい感じにする」なんて曖昧なこと、どうすりゃいいのよ?というあなた、ヒントは「みみをすます」ことにあるかもしれません。

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ロゴからはじまる

ブログを書くのは初めてなので、何を書こうか逡巡したのですが、書きやすくするためのアイデアとして、いくつかのカテゴリーを作ってみました。

そのひとつ「わたしの想い」では、みみをすますラボへのわたしの想いを綴っていきたいと思っています。

このサイトを作り始めた時、自身のホームページを作ることも初めての経験だったので、自分の中にある不確かなイメージを形にするために、一体どこから手をつけたら良いのかすらさっぱりわかりませんでした。

でも、イメージの軸になるような、力強くてシンプルな何かがあれば、きっと全体像は自ずから導かれるのではないかと思い、最初にロゴを作りました。
こう書くとなんだか一縷の望み感が強いですが、実際は「そうだ!まずはロゴ作っちゃおー」というノリで取り組んでいます。つまり、できそうな、やってみたいことから手を付けました。

そのロゴが、こちらです。

何をイメージしているかわかりますか?
ヒントは私が今暮らしている場所にあります。

そう、琵琶湖と夕陽のイメージです。

実は、私の暮らしている滋賀県長浜市は、日本の夕陽百選にも選ばれている夕陽の名所なんです。
我が家は琵琶湖向きのマンションなので、リビングとキッチンの窓から琵琶湖の向こうに沈んでいく夕陽を眺めることができます。
これは、私が毎日眺めている景色です。

琵琶湖のほとりで暮らし始めてからもうすぐ1年半が経ちますが、この期間、私に大きな大きな影響を与えたものが、コーチングと琵琶湖の存在です。

夕暮れ時。我が家では、慌ただしく夕飯の支度をしている時間です。
我が家には小さな男の子がふたりいるので、それはそれは騒がしく過ぎていきます。

キッチンで、まな板に向って何かを刻んでいて、ふと顔を上げた時。窓から差し込む夕陽の眩しさに、はっとして一瞬目を細めます。
食卓に夕飯のお皿を並べている時、また夕陽が目に入って、心が止まります。さっきとは全然違う姿。太陽の光が弱まってきている。
息子たちに夕飯を食べさせます。3歳児の食事はまだまだ大変。ふぅと短く息を吐いて外に目をやると、また違う夕陽。雲に反射した茜色と薄墨色のグラデーション。この時間帯が一番好き。

毎日毎日、一瞬一瞬、夕陽は同じ姿であることはなく、どの瞬間も圧倒的に美しい。
その姿にいつだって私ははっとして心を奪われてしまう。
見る度、新鮮に「ああ、きれいだなぁ」と感動する。

夕陽とは、そういうものだと思います。
刻一刻と変容しながら、何かが生まれながら、きっと何かが消えながら、常にそこにあります。
夕陽を前にした私は、過去からのつながりのもとに、これまでのどの姿とも違う、今この瞬間だけの美しさを期待している。

きっと夕陽だけでなく、誰もが、何もかもが、そうなのだろうと思います。
わたしも、あなたも、この世界も、夕陽のような存在なのでしょう。
どういう存在として関わるか次第で、見えるものはすっかり変わってくるのでしょう。

琵琶湖に沈む夕陽を眺めながら、そういうことを想って暮らしているので、
こんなロゴを作りました。