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12月のひとりごと「2023年さいごの・・・」

2023年最後のひとりごと。

「今年さいごの○○」

私の12月は、実は驚くほどにぼんやりと過ぎていきました。

もともと冬は苦手(太陽が足りない)で、この1ヶ月は風邪を引いたり肩を痛めたり身体の調子もいまいちで。
そんなしゃきっとしないポンコツモードでも、「今年さいごの○○」たちがひとつずつ片付いていくと、なんとかかんとか終えられそうというか、終わるんだなというか、そんな雰囲気が高まってきますね。

まだまだ時間がかかりそうなことも、こんがらがってお手上げ状態なことも、とりあえず箱にしまっていったんおしまいにする。
そして、「今年もよい年だったねぇ」と雑に総括して、「めでたしめでたし」できそうな気分です。
年が明けたら再びその箱を開けることになるんだけど、来年の頑張りは来年の自分に任せることにします。

たとえ実は棚上げなのだとしても、いったん手放すことで手に入れられる身軽さとか喜びとかは、暦という区切りの効果だなーと思います。

2023年の旅

とはいえ、年末らしく2023年を振り返ってみると、この1年は「旅」の印象が強かったように思います。

年始から挙げてみると、神奈川から静岡、東京、金沢、有馬温泉、水戸からの東京、下呂温泉、再びの東京、高松、愛媛、北海道、再びの静岡、淡路島、福島は裏磐梯、またまた東京。
そのほか当然近場もちょこちょこと(京都、大阪、福井、名古屋など)。
この年末もこれから旅に出る予定。
ひとりで行ったり、家族で行ったり、泊まったり、日帰りでとんぼ返りしたり、かたちはいろいろ。
ひとりの時はだいたい展覧会や作品を見に行っています。

国内ばかりなのもあるけれど、飛行機には一度も乗っていないのです。新幹線は乗ったけど。
家族旅行だと車で移動することがほとんどです。
北海道にもフェリーでマイカーと一緒に渡りました。

車の旅には地上を移動している実感があります。
それは目に入る風景が変化していくみたいな綺麗事だけじゃなくて、自分の意思で、自分の力で、進んでいかなければたどり着かないというか、進んでいればたどり着くというか、そういう感覚です。
飛行機のような「寝ていたらあっという間」というマジック感がない。

一番テンションが上がった場所は、北海道の弟子屈にあるアトサヌプリ(硫黄山)かもしれません。
噴気孔からシューシューと噴煙が吹き出し、硫黄の匂いが立ち込める火山。
「え?大丈夫?」と思うような異世界感のなか、活火山の熱さを近くに感じることができます。
私は「地球って、地面の中って、本当にこんなに煮えたぎってるんだ!」と嬉しくなってしまって。
当然知識としては知っていたはずだし、温泉にもしょっちゅう入ってるくせに、はじめて実感したのかもしれない。
それ以来、のっぺりとしたアスファルトの道を歩きながらも、「今、この足のずっとずっと下ではマグマが燃えているのだな」となぜかムフフとしてしまうことがあります。

2024年に向けて

私の今年のSpotifyまとめのトップソングはくるりの「ソングライン」でした。
そういえばこちらも旅の曲。

くるり – ソングライン

この「ソングライン」というタイトルは、ブルース・チャトウィンによる同名の紀行文?小説?から名付けられたものだそう。
たしか昨年、ブルース・チャトウィンの人生を振り返った映画「歩いて見た世界」を見て、「世界は、徒歩で旅する人に、その姿を見せる」という言葉がとても印象に残っています。

自分がどのようにあり、どのように関わるかによって、その相手から受け取ることができるものが全然違ってくるのは、世界でも、人でも、作品でも、何でも同じことだと思います。
歩くことでしか見えない世界や、耳をすますことでしか聞こえない物語、一緒に遊ぶことでしか得られない感覚。
そういうものに、私は興味があります。

2024年、地面に足をつけて、自分の身体でそういうものを受け取ることを大切にできたらいいなと思っています。

本年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

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11月のひとりごと「PCC試験と『祝い』」

この11月、PCCというコーチング資格を取得することができました。
PCCは、正式には国際コーチング連盟(ICF)認定プロフェッショナル・サーティファイド・コーチという資格で、今まで持っていたACC(アソシエイト・サーティファイド・コーチ)のひとつ上の資格になります。

私の中では「プロでやるからにはこれぐら持っておきたい」という必達目標的存在だったこともあり(なんでだろ?)、無事に取ることができて、喜びや達成感よりも安堵や解放感を感じています。
でも、コーチングを始めてからここまでの道は、本当にずーっと心から楽しんで歩んでくることができました。
そんな時間をともにしてくださったクライアントの皆さまには、心からの感謝でいっぱいです。
本当にありがとうございました。まだまだこれからも末永くどうぞよろしくお願いいたします。

試験のこと

この資格の認定プロセスにはWeb試験もあったのですが、改めて「ほう」と思ったことがありました。

この試験の問題は、あるコーチングのシチュエーションが提示されて、4つの選択肢からICFの定める倫理規定コア・コンピテンシーに則してベストな行動とワーストな行動をそれぞれ選ぶ形式になっています。

定番問題として、「クライアントが目標を達成したとき」があります。

例えば、その時のコーチの行動の選択肢としては

  • 成長を承認し、クライアントにその成果の祝いの計画を共有するように勧める。
  • クライアントに次に挑戦したい課題を特定してもらう。
  • クライアントにこの成長を維持するために必要なものを訊ねる。
  • 次の新しい目標に向けてコーチングを延長するよう、クライアントに提案する。

があり、ベストが1つめの「承認と祝い」、ワーストが4つめの「延長の提案」となります。

この1つめの選択肢の内容、最初は「そりゃ成長の承認は大事でしょ」という理解で納得していたのですが、その後にICF非公式の模擬試験とかを見ていくと、どうやら「祝い」の方にもかなり重点が置かれていることがわかってきました。
なんだか、「何はともあれ祝わねばならない」ぐらいの感じです。
模擬試験だと、目標達成の問題では問答無用で「祝い」がベスト選択肢です。
非公式なので、ICFの真意が本当にそうなのかはわかりません。
実際の試験にも目標達成の場面では出てきたけれど、解答を共有してもらえないので、実際に何が合っているのかはわかりません。

しかしながら、私の中には「目標を達成したら祝い」というパターンが刻まれました。

「祝い」と余白

そもそもなぜ「祝い」が問題になるのかというと、ICFが掲げるコーチのコア・コンピテンシーにこんな項目があるからです。

コンピテンシー08.クライアントの成長を促進する
Facilitates Client Growth

7. クライアントの成長と成功を祝福している
Celebrates the client’s progress and successes

ICF コア・コンピテンシー

この項目を眺めていると、
「私はコーチとして、十分にクライアントの成長を成功を祝福しているだろうか?」というよりも、
「私は十分に自分自身の成長と成功を祝福できているのだろうか?」という疑問がむくむくと膨らんできました。

なんというか、「祝い」にちょっと苦手意識がある気がします。
誰かを祝うことは苦手でも嫌いでもないけれど、自分自身の成長や成果となるとちょっと…特別なコトもモノも、正直面倒くさいなと感じてしまう。
だからこそコーチという自分以外の誰かに祝福される必要があるのかもしれませんね。

でも最近、はっきりと「いいな」と感じていることがひとつあって、それは「何かを目指していない私であること」なのです。
現実的には並行して色々なことに取り組んでいるので、全くの空っぽ、「何も目指していない自分」になるのはなかなか難しいですが、やはり目標をひとつ達成したら、その分自分の中にはスペースができますね。

そういう時って自分が止まっているからか、色々なことに気づいて、感じることができるような気がします。
音楽も頭からっぽのときのほうが良く響きますしね。
そういえば、ドラゴンボールの歌でも「頭からっぽの方が夢詰め込める〜」って言ってた!笑
たしかに、自分の本当の気持ちとか欲求とかにも気づきやすい時だから、新たな夢も生まれてくるのかもしれません。

一区切りすることでできた空白を慌てて埋めるのではなく、余白の時間を十分に味わうこと。
私にとってそれは、しっかり終わらせて次の一歩の準備をするための時間であり、ひょっとすると「祝い」のひとつでもあるのかもしれません。

師走ですね

もうすぐ2023年もおしまいに差し掛かってきました。

1年の終わりも区切りのひとつ。
しっかり終わらせて、十分にからっぽになってから、新たな年を迎え入れたいなと思っています。

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10月のひとりごと「5歳の息子に憧れる」

今月は、ふだんから触れているものに影響を受けちゃうよねって話。

私がまいにちまいにち濃厚に触れているものといえば、やはり息子たちなわけです。

今朝も、私が大学のレポートを書いていたら、次男(5歳)が部屋に入ってきて「アマゾン見せて」と言ってきました。
彼の言う「アマゾン」というのはAmazon prime videoのことで、要は動画見せろって要求。
「朝は時間ないからだめ」と言っていたらちょうど7時になったので、私はレポートを切り上げて朝の支度へ。
「見せてくれなきゃ動かない!」とごねる息子を置いて部屋を出て、
バタバタと家事をする合間に息子の様子を見に行くと、椅子の上で丸くなりながら、全身でこちらを睨みつけています。
ふーんと思って放置しておくと、こっそり廊下に顔を出して、こちらを探っている様子。
私も廊下に顔を出すと、ぴゅっと部屋に引っこんで隠れる。
またしばらくすると顔を出してきて、見つかると引っこむ。
それを繰り返してしばらくした後、そろそろ朝ごはんを食べさせねばと声をかけに行った部屋はもぬけの殻で、私が「あれー?」と言っていると「ここだよー」と別の部屋から飛び出てきてケラケラ笑う。
そして、兄のパンツを振り回してしばし遊んだ後、「ママー、うんち!」と大きな声で叫んでトイレに駆け込んでいきました。
そんな息子を見ながら私は、「健康で何より」と少し呆れながらも、何とでも遊びながら今この瞬間を全力で生きている感じに思わず憧れを感じてしまうのです。

この今朝の記憶を振り返りながら思い出したのが、「季節の記憶」という小説のこと。
稲村ヶ崎で暮らす父と息子の話で、私はこの小説を読んで以来「私もこんな子育てをしたい」と憧れていたのだけれど、今朝の感じはなんだかちょっと近いかもという気がしました。
でも、ひょっとするとそれはたんに、クイちゃん(登場人物の息子の名前)と次男が同じ年だからかもしれません。
クイちゃんのモデルは猫って聞いたことがあるけれど、5歳児というものはみんな猫みたいなのでしょうか?

さて、5歳児の魅力のひとつはやはり、ほっぺがぷりぷりなことではないかと思います。
次男はもともと色白で、重力を無視したようなハリ感しかない肌には羨ましさしかありません。
でも、この羨望は危険でもあると感じています。
当たり前の話だけど、5歳の身体と40代の身体はまったくもって別物なわけです。
自分の中での美しさの基準を5歳児の肌に設定してしまうと、これはとうてい実現できない理想なのです。
ここはわかってはいるところなので、日々、「40代には40代の美しさ!」とよくよく言い聞かせながら生きるようにしています。

5歳の息子は髪の毛もツヤツヤサラサラです。
彼の髪は私がカットをしています。
「どんな髪型になったって絶対にかわいいから大丈夫!」という素材に対する圧倒的信頼に基づき、眉上あたりで横一線にざくざくハサミを入れて頭囲を一周し、その下部はバリカンを使って刈り上げるという、ひたすら大胆な坊ちゃん刈りに仕上げています。
結果、予想通りにかわいいので、毎日毎日「かわいいなぁ、きれいだなぁ、最高だなぁ」と思いながら、彼の髪を撫で回しています。

ところで、私の髪型もここ最近はずっとショートヘアなのです。
実は最近、担当美容師さんが変わって、イメージのすり合わせに苦労しています。
その方が比較的保守的なタイプなこともあり、私の思う「スッキリ短くしてください」に達しないことが続いています。
写真を見て話をしても、結果「もうちょっと短くしてほしかったな」という気がしている。
とうとう先日は、最後の最後に「襟足だけこれぐらい切っちゃってください。刈り上げてもいいんで!」と言って切ってもらうことに。
最後に直すのって全体のバランスが崩れちゃうから避けたいんだけど、つい。
でもこれね、コミュニケーションの難しさとか、互いのショートヘアの概念の違いとか色々あるとは思うんですけど、たぶん私自身が息子の髪型に寄せたがってる部分が大きいのではないかと思ってます。
だって、あれが私のなかでは世界一かわいいので。
しかし、「いい感じに坊ちゃん刈りに寄せてくれ」っていうのは、ちょっと無理な要求じゃないかと我ながら思うのです。
長男(小3)はスポーツ刈りにしちゃったので、これはこれでかわいいんだけど、さすがに寄せたいとは思いません。
もしかすると私がショートから離れたほうがいいのかも…と、ボブぐらいに変えていこうかなと思う最近なのです。

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9月のひとりごと「まもなく日が暮れます。ライトの確認をしてください。」

昨日の夕方、車で帰宅している途中、ひさしぶりにナビが「まもなく日が暮れます。ライトの確認をしてください。」と言うのをききました。

私はこのアナウンスが大好きで、きくと必ず空を見上げてしまうのだけど、
日の長い夏の間はすっかりご無沙汰していたので、ひさしぶりの再会。

たまたま良いタイミングでSpotifyがくるりの「奇跡」を流してくれたから、
夕暮れ時の車できくこの曲が大好きな私は、幸せな気分に包まれて揺られていました。
Spotifyはほんとに賢い!

この曲の長い長いアウトロをきいているとよく思うことで、
たぶん私は音楽が好きというよりも、音が鳴ることで空気が震えて、その結果否応なしに身体器官も振動して、自分の外側の空気も身体の中身も一緒に震えながら、そこに音楽が起きるということが好きなのだと思います。

音楽の中でみんなで一緒に震えているという喜び。

でも、やはりそこには何かしら偉大で美しい秩序が存在していることも確かなのです。

0なのか、−1なのか

音楽はぼんやりしているときの方がよく響くというか、頭が思考でパンパンなときにはただ滑って通り過ぎていくものだけど、
昨日はひさしぶりにジムに行ったものだから、私の頭はいつもに増して空っぽだったのです。(good!!)

ジムには5月の終わりから通い始めて、7月中旬ぐらいまでは真面目に続けていたのだけれど、あまりに夏が暑いので、身体を動かす気力なんてすっかり蒸発してしまった…。

だんだん暑さもやわらいできて、そろそろ再開しようかなと思いつつも、一生懸命行けない言い訳を探して、全力で先延ばしにしていたここ最近。

昨日はスケジュールの変更でぽっこり空き時間ができたので、特段急ぎの用事もなくて言い訳も見つけられず、仕方なくジムに行ったのでした。

前々から気になっていたことで、今回も気になったことがあって、それは成果の認識のしかたみたいな話。

たとえば、
今日ジムに行けたことを+1としたとき、
昨日ジムに行けなかったことは、ただの0のはず。
なのに、「行かなきゃと思っていたのに行けなかった」という思いは、なんとなく−1のような気がしてしまう。
それがつもりつもって−20ぐらいな気持ちになると、「もう取り返せない…!」と投げ出したくなってしまう。

そういうことは私だけじゃないはず。よく聞く話な気がします。

でも、いったい何を基準にした−1なのか?

たぶん、目標とか計画とかそういう類のものだと思うけれど。

目標とか計画とかって、まだ起きていない未来にそういう基準を仮定することで、gapを埋めたがる脳の仕組みを上手く使いながら効率よく物事を進めていくための技術のひとつだと思います。

そう技術、人工的な工夫です。

もちろん、人類の知恵でもあるから活用すべしなんだけど、
全然、当たり前でも絶対でもないものなので、使うときにはちゃんとそういうものだと気づいたうえで選択しなきゃいけないんじゃないかと思います。

こういったものって、あまりに我々の習慣に組み込まれていて、自動的に発動してしまう思考のパターンだからこそ、時々立ち止まって「あれ?本当にそうなんだっけ?」と思い直さないと、知らないうちに技術に支配されてしまう。

たぶん、過去の実在しない−20をなんとかして、全てを完璧に繕おうとすることではなく、
+1を愚直に積み上げていくことの方が大事なはず。

何度でも始め直すこと

それから、最近、ようやくわかってきた「長期的なゴールを達成するためのコツ」というのがありまして。

それは、クライアントさんの話から学んだことなのだけど、
何か新しいことに取り組む時、よく「モチベーションを維持するには?」とか「タイムマネジメントどうする?」とか考えるのですが(それはそれで大事)、
それよりも何よりも大切なことは
「何度でも、今この瞬間から始め直すと決意すること」なのです。

だって誰だって完璧な存在ではないのだから、何かしら事情があってどうしてもできない時も、なんとなく気分が乗らない時も、ついつい誘惑に負けてしまう時も絶対にある。

だからこそ、そんな時にはまた新たに「よし、始め直そう」と決めること。

それを何度繰り返しても、できるまで始め直すのだという決意をすること。

それが最大のコツなのです。

ここには、不完全な自分を許容する姿勢があり、
謎の完璧主義から導かれた−20をご破産にする効果がある。

変な過去への執着も、未来への恐れもない、常に新しく潔い生き方がある。

私もこうありたいものだと思いました。

なので、とりあえずジム(というか体づくり)は、またやらなくなることがあったとしても、何度でも始め直そうと思います!

あと、8月はブログ書かなかったなーと微妙に引っかかっていたのだけれど、それも手放し、不完全なまま潔く生きようと思います。笑

やっぱり秋かもしれない。秋なんだろうなー。

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7月のひとりごと「ラジオ体操とからだ」

ブログのこと

私にとってブログはちょっと中途半端な存在で、
やらなきゃいけないわけでも、やらなくても特に困るわけでもなく、しかしながら「あー、やってないなー」という気持ちにはさせてくれるという、なかなか付き合い方の難しい相手なのです。

どうしても伝えたいメッセージがあるとか、ぜひともシェアすべき有益な情報があるとか、インターネットでゴリゴリ集客したいとかではないので、モチベーションの在り処が難しい。
面倒くさくなって「もう閉じちゃおうかな」と思うこともあるのだけど、それもちょっと違うかな、と。

特に宣伝もしていないホームページなので、
訪れる方は、私のことを知っていたりどこかで知ってくれたりして、「最近どうしてるのかな?」とか「この人どんな人なんだろう?」と気にしてくださっている方のはず。
であれば、ツンと事務的に対応するのではなく、「せっかく寄ってくれたんだから、ちょっとおしゃべりしていきなよー」ぐらいの心構えは持ちたい。
世の中的には雑談の必要性も叫ばれておりますしね。

とはいえ、雑談じゃなくてひとりごとだし、雑談ばかりしてもいられないから月イチぐらいでいいかなというのが、ブログについて最近思うことです。

ラジオ体操とからだ

さて、7月に入り、夏休みがぐっと近づいてきました。
私の、じゃなくて、子どもたちの、ですけど。

先日も、小学校の地区委員(?)のお母さんから、
「ラジオ体操、今年の実施はなしでよろしいでしょうか…?」とのご連絡。
何を隠そう、うちの息子(小3)は今まで一度もラジオ体操に参加したことがないので、「なしでよいのではないかと思います」と即答したのですが…。

地区的に子どもの数が少なくなっていて、両親ともに働いている家庭も増えていて、昔のようには実施することが難しい時代だと思います。
我が家の場合も、息子が月曜から金曜までを過ごす場所が学校から学童に変わるだけで、夏休みだからといって生活リズムに大きな変化はありません。
なんなら、息子の学童は朝も要送迎なので、夏休みの朝の方が私はちょっと忙しい。
旅行などの家族イベントは考えているけれど、あの毎日が溶けていくような夏休みの時間は、はるか昔の物語なのかもしれません。

とはいえ、これまで続いていたことをやめることって、悩ましいというか、罪悪感を感じるというか、そういう面がある気がします。

その感覚には色々なことが影響しているだろうけれど、
そのひとつには、それが今の自分を構成している一部だということがあると思います。
例えば、私は今でもデスクワークの合間に軽く体を動かしたい時にはラジオ体操をしているし(Spotifyのひろみちお兄さん版を愛用)、
早起きした朝の涼しい道を走って会場に通ったこととか、カードにスタンプを押してもらう嬉しさとか、ラジオ体操にまつわる夏休みの美しい思い出もたくさんある。
それは、私にとってはわりと「いいもの」な気がします。

一方で、改めて朝のラジオ体操の制度的な側面を考えてみると、
毎朝同じ時間に、ラジオというマスメディアの力で、体操という同じ身振りを全国津々浦々の身体に刻んでいくわけです。
そういった画一的な身体の規範みたいなものを我が子に刷り込んでいくことは、果たしてどうなんだろうか。
大げさなようだけれど、身体ってそういう場所だと思います。
色々な方と話していて時おり感じる、自分の身体が社会的規範を逸脱したときの申し訳なさとか、情けなさとか、恥の感情とかって、結構そういうものから作られているんじゃないかな。

まあ、なんやかんや言ってますが、結局「親の負担、勘弁してください!」が一番の本音だったりはしますけどね。

でも、これからの世界に何を残して受け継いでいくのかは、「自分もそうだったから」みたいなレベルじゃなくて、もっと深く考えていきたいことだと思っています。

さて、これからますます暑くなってまいります。
どうぞ皆さま、くれぐれもご自愛くださいませ。

今年はどんな夏にしたいですか?

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