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映画『悪は存在しない』をみて

我が家のテレビは子どもたちに占領されているので、平日の朝はたいていEテレを片耳でなんとなく聴きながら支度をしています。

マチスコープ」という番組のエンディングテーマ曲は、とてもとても耳に残る。

われら サルもく ヒトか の ヒトぞく
かりして ドンドングリひろって マチつくる

マチスコープ エンディングテーマ

サル目は霊長目ともいって、その上の分類は哺乳綱。ヒト科にはヒト属のほかにオラウータン属やゴリラ属、チンパンジー属もあるらしい。ホモ・サピエンス以外のヒト属はネアンデルタール人やホモ・エレクトスなどなど。(Wikipediaしらべ)

ふと気づいたら、息子たちもこの歌を大声で歌っているし、私も歌っている。
音楽はKIRINJIだそう。さすが。
博物館で縄文時代の展示を見た5歳児が、「うたとおんなじだ!」と興奮してました。

みいつけた!」で『みんなおんなじ』を聴けた日はラッキー。森山直太朗さんの曲です。

みんなちがって みんなおんなじ
みているぼくも どこかおんなじ
みんなちがって みんなおんなじ
きみがわらえば ぼくはおんのじ

『みんなおんなじ』 作詞:森山直太朗・御徒町凧

この曲は大好きで、やっぱりしょっちゅう口ずさむ。
それぞれに違う「うたいたいうた うたうよろこび」や「ねむりたいとき ねむるしあわせ」があるのだろうし、そういう喜びや幸せを持つ存在であるという点でおんなじなのだと思う。たぶん人間に限らずそうなのだと思う。

みんなおんなじなのは喜びや幸せだけでなく、怒りや悲しみ、苦しみを持つ存在であることもそうなのだと、映画『悪は存在しない』を見て思いました。

監督:濱口竜介×音楽:石橋英子。
映像と音楽が生み出す、美しく不穏な緊張感に飲み込まれて揺さぶられて、
忘れていたけど生まれる前から私に刻まれていた、圧倒的な自然への畏怖を思い出した気がしました。

『悪は存在しない』ってタイトルの力が強くて、
「あれが悪だ!」って言える存在を探し出そうとする自分を感じながら見ていました。
そういう存在があれば、非難したり排除したり逃げたりすることができるから。
少なくとも自分自身のことは、悪なるものと切り離すことができるから。
そういうスッキリしたい、わかりやすくしたい、楽になりたい気持ちがあるなぁと思います。

「悪は存在するのか?」って、すごく難しい問いですよね。
そもそも「悪とは何か?」「存在するとはどういうことか?」みたいな哲学的な問いが求められる。
そう考え始めると全然わけわからなくなっちゃうんだけど、
でも、たぶん絶対的な悪みたいな存在はないんじゃないかと思います。
同様に絶対的な善も存在しない。
善とか悪とかって様々な関係性の中で立ち現れてくるもので、誰かにとっての善であると同時に他の誰かにとっての悪でもあり得るような、すごく複雑に絡まりあったものなんじゃないかなと思います。
たとえば食物連鎖のような。
だから、誰だって悪の可能性を抱えた存在で、悪を生じさせたり加担したりしながら生きている。それは善についても同じ。
そういう意味で、私たちはみんなおんなじなのかもしれません。

一方で、立ち現れてくる悪には、過ちと呼ぶべきものもある。
無知だったり、無関心だったり、想像力が足りなかったりすることで、誰かの大切なものやその存在自体を、自分のものさしで「些細なもの」として踏みにじるような行為やふるまい。
誰かを踏みにじっている人も、実は誰かに(何かに)踏みにじられていたりする。
ひょっとすると、踏みにじり踏みにじられることに慣れすぎて鈍くなっているのかもしれない。
そんなつもりはなく、無意識にやってしまっていることも多々ある。
だから、存在を踏みにじられるものの怒りに触れると、驚いたり、揺らいだりする。
その揺らぎに対する反応はみんなちがうだろうけれど、過ちを受け入れて変わっていくチャンスでもあるはず。(と思いたい。)
そういう踏みにじられるものの怒りに満ちた映画だったように思います。

学んで変われる存在であることは希望だと思います。
少しでも過ちに気づけるよう、ちょっとでもマシになれるよう、賢くなりたい。
そういうとき「みんなちがって みんなおんなじ」はすごく大事な視点だし、私にとってコーチングをやることはそういう学びのひとつなのかもしれません。

最近どんな映画を見ましたか?

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「自分への誇りを持てるように育ってほしい」

4月。新しい年度、新しい学期のはじまりの時期。
変化を追いかけて、新たな環境や動き方に一生懸命馴染んでいるうちに、あっという間に1ヶ月が過ぎていきました。

この4月、私には大きな変化はないのだけれど、今年度から大学で博物館学芸員の資格課程を追加で取り始めました。
とりあえずテキストを読むところから始めたものの、これが思いのほか時間がかかる。3冊を読み終えて、ようやく適度に読み飛ばせるようになってきました。
新たなことに慣れないうちは、どうしても慎重になりがちなもの。何が大事で何はそうでもないのかがわからない不安から、すべてをきちんと押さえなきゃいけない気がしてしまう。そういう時期は、気持ちのうえでの負荷や時間もかかるし、よくわからないから楽しくもないし、しんどい気持ちをじっと我慢して進めていく。
そうしているうちに、「ここはポイントだ」とか「ここは適当でいいな」とか「必要になったら読み返せるようにここに書いてあったことだけ覚えておこう」といった強弱の付け方がなんとなくつかめてくる。
もちろんそのやり方は引き続き調整が必要だけど、ここまで来れば、なんとなく進めていける気持ちがわいてくる。
じたばたして、なんだか疲れた1ヶ月でした。

もう1ヶ月以上前のことだけど、3月に、東京・上野にある国立西洋美術館で「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」という企画展を見てきました。
弓指寛治さんのインスタレーションが見たくて。(本当にすばらしいです。見逃してはいけない!会期は5/12まで。)

その企画展の展示室に入る前のロビーのような場所では、壁に設置されたモニターに、30分ほどのインタビュー映像が流されていました。
それは「補遺:保育士へのインタビュー」というこの企画展に参加されている田中功起さんの作品の一部なのだけど、私は展示室にも入らず、腰を据えてこの映像に見入りながら、なんだかぽろぽろと泣けてきてしまいました。
保育士さんに保育への思いや理想と現実について自由に語ってもらうという内容で、たしか3人の、異なる園で働かれている保育士さんがお話されていました。
シンプルで誇張のない、静かで記録的な編集だったように思います。
その保育士さんたちのことばを受け止めながら私のなかで起きていたことは何だったのか、今でも正直よくわからないのですが、見終わった後、ただじんわりと「ケアされていたのだなぁ」という思いが残りました。
特に、ひとりの保育士さんが「自分への誇りを持てるように育ってほしい」と語ったときに、それは子どもたちへの思いであると同時に、親への思いでもあり、保育に関わるすべての人たちへの思いでもあるように伝わってきました。

私の長男が0歳で保育園に入園したのは2015年の4月のこと。
今年で次男が年長になったので、この1年は、保育園とともに生きた私の10年間のラストイヤーになる予定です。
今でこそかなりいい加減に暮らしていますが、最初は何年も本当に精一杯でした。
手の抜きどころなんてわからなかったし、何も適当になんてできなかった。
ずっと一生懸命で緊張していたし、自分が疲れていることに気づかなかった。
ワンオペでしょっちゅう身体を壊して、40度を超える熱が出ても、「保育園に子どもを連れて行きさえすれば、仕事を休んで数時間は眠れる」と必死で送迎していた。
だから、東京を離れて今の場所に引っ越したとき、保育園を離れることが一番つらかった。
この場所、この人たちを失っていったいどうやって暮らしていけばいいのか、途方にくれるほど心細かった。
それぐらい、保育園はずっと私の支えであり続けてくれました。

「自分への誇りを持つ」ってどういうことなのでしょうか。
当時の私は、自分への誇りを持っていたのでしょうか。
決して私は「自分なんて…」と、なにかと卑下するタイプではないように思います。
でも、そういうことじゃなくて、何ができるから、何を持っているから、何を成し遂げたから、そのことを誇りに思うというのでもなくて、もっともっと手前のところ、ただ生きているといったそれぞれの事実のもとに、誇りは存在すべきもののような気がしています。
それは当たり前のようでいて、とても脆く、見失いがちなものなのかもしれません。
今の私は、私の息子たちは、自分への誇りを持てるように育っているのでしょうか。

あのインタビュー映像を見ながら私に起きていたことは、私や私たちの誇りを支えようとしてくれた人がいたのだなという気付きによる衝撃と、行き場のよくわからない感謝による混乱なのかもしれません。
誇りを持たなくてもよい人なんていないのだと思います。
でもそれは、きっと一人では難しいことなのかもしれません。
だからこそ私はコーチングをやっているのかもしれないなと、ふと思いました。

あなたはどんな4月を過ごしましたか?

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インタビューを受けて気づいた、過去を振り返って話す価値

インタビューのことを書いておこうと思っているうちに、どんどん時間が経っていく…!

お知らせにも書きましたが、「企業会計」という雑誌にインタビュー記事をご掲載いただきました。

「企業会計」2024年4月号(中央経済社)

「経理の『リスキリング』」特集ということで、昔に上司だった方(この特集の解題と座談会の司会をされています)からお声がけいただいて、「『企業会計』にこんな私でいいのならば…」と、怖気づきながらお話させていただきました。
私、会社員時代は(一応)経理関係の仕事をしていたんです。

編集部の方から1時間ほど、私のキャリアについてインタビューをしていただきました。
わかりやすく誠実に記事にまとめていただいて感謝です!

かれこれ20年の社会人経験なので、もちろん1時間のインタビューでは語れないことの方が多いし、語らないこともあるし、そもそも忘れていたり記憶が改編されていたりすることもたくさんあります。
それでも、この機会に振り返って、話をして、さらに編集された記事として読んでみることで、改めて自分のキャリアをすっきりと一本筋の通ったストーリーとして受け取ることができて、我が事ながら「なるほどなー」と感心しました。

こういうことって、やはり聞いてくれる相手や機会があるからこそ話せることだと思います。
だって、昔の話ですもの。
せわしない日々、眼の前のことで精一杯で、なかなか思い出している余裕がありません。

今回、お話しさせていただいてよかったなと思っていることのひとつに、自分のキャリアをちゃんと「昔のことだな」と感じられたということがあります。
変な未練とか、過去の栄光とか、逆に黒歴史とか、そういうしがらみ的なものがなく、昔の自分のこととして、適切な距離感をもって受け止められている。
昔の自分がいるから今の自分がいるという、つながりもちゃんと確認できている。
そういう健全な状態を確認できたことは、なんだか嬉しいことでした。

それから、インタビューなので、質問していただくことで気づくことがあったのもよかったことです。
たとえば「全く未経験のしごとをすることになったとき、自分にはできると思ってたんですか?」というようなことを質問されて、「自分にできるかできないか、なんてことは考えてなかったな」と思い出したんです。
若かったから、怖いもの知らずだったから、守るものがなかったからだろうけど、それって今と何が違うんだろうとも思います。
今だって、まっさらな気持ちで未知のことにぶつかっていっても、実はそんなに失うものはないのかもしれない。
そういうことを思いました。

最近の私は、新しくやってみたいことにすごく前向きな気持ちでいるのだけど、その背景にはインタビューでお話をさせていただいたことの影響があるのかもしれません。
自分の過去を振り返って語ることの価値を再確認した体験でした!

もちろん、私のインタビュー記事もリスキリング特集のほかの記事も、必要な方に届いて少しでもお役に立てることを願っています。

あなたのこれまでの話を聞かせてください!

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ビエネッタをスプーンに3すくいだけ。

2月。どうしても体調を崩しやすい時期ですね。

最近は次男(5歳)の調子がいまいちで、昨日も保育園からの連絡で早めにお迎えに行きました。
小さな子どもの不調の難しさのひとつに、自分のしんどかったり痛かったりする状態をことばでうまく伝えられないことがあると思います。
昨日の息子は、微熱だけどぐったりと動くことも難しい状態になって、「朝は元気だったのに、どうしてしまったんだろう」とわたしも先生たちも困惑していたのだけど、帰宅してから耳だれが出たことで中耳炎だとわかりました。
「耳が痛かったの?」と聞くと「うん」と答えるんだけれど、それを自分からことばで表現するのはまだ難しいようです。
そのあたりが伝えられるようになると、周りの大人としてはかなり助かるんだけど。
でも、周りの人に自分の異変を気づいてもらえて、心配して世話を焼いてもらえる。
そういう経験は、彼にとって大きな意味のあることなんじゃないかと思っています。

とはいえ、最近はあまりに不調が続いていて、
本人はもちろんしんどいだろうけど、お世話をしているわたしもしんどい。

軽くて長い風邪が治ったと思ったら、一瞬だけ高熱の出る新たな風邪をもらい、それらの影響で中耳炎になるという具合。
先週から、丸一日保育園に通えた日が一日もない。
回復期にはビデオを見ながら多少の時間はひとりで過ごすこともできるようになったので、仕事をリスケしなきゃいけないことは以前よりも格段に減ったけれど、急性期はそれどころじゃないし、小児科にも連れて行かなきゃいけない。
何ができているという感じじゃないのに、気忙しくて疲れる。しんどい。

そういう時、「インフルエンザじゃなくてよかったじゃない」とか「1年前よりは楽になっているよ」とか、他のもっとしんどい状況と比べて慰めるような思考が出てくることがあります。
さらには、「子ども3人いる人と比べたら全然大したことない」とか「被災した人たちより恵まれている」とか、もっとしんどうそうな誰かの状況と比べるような思考が出てくることもあります。

そういうのが出てくると、もう黙ることしかできない。
だって、それ自体はたしかに正しいように感じる。
そういうのを出されると、それ以降の話が「でもでもだって」になる気がしてくる。
そんな愚痴めいた話、甘ったれたような話はするべきではない。
そう深く刷り込まれているから、それ以上は口をつぐむしかない。
そうやって我慢することを、いつからか学んでしまっている。

でも、本当にそうなのでしょうか。
今、わたしが感じているしんどさを、他のしんどさと比べる必要があるのでしょうか。
今ここに、わたしのしんどさがある。
それで十分なのだと思います。

きのうの夜は大変だった。
夜遅くに、次男が吐いたのだ。
不思議なもので、そういう時は直前に目がさめる。
目がさめたところで、「あ、はじまる」と眺めながら、受け止めることぐらいしかできないのだけど。
ひとしきり通り過ぎてからが本番で、
どろどろになった息子を清めて着替えさせて、
どろどろになった自分も清めて着替えさせて、
どろどろになった寝具や衣類を洗濯する。
とっくに日付は変わっていて、
わたしはこのまま眠ってはいけないような気がして、
冷凍庫に隠しておいたビエネッタをスプーンに3すくいだけ食べた。
朝目覚めると、ケロッとした顔をした息子は
今日も美しく、愛おしかった。

これは、夜中に息子が嘔吐した次の日のわたしの日記。

ビエネッタをスプーン3すくい分のしんどさがあり、
ビエネッタをスプーン3すくい分の慰めがあった。

ただそれだけを、受け止めたらいいのだと思います。

ビエネッタカップってありがたい!

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よく動いた2月の上旬、そして「読む」こととの距離

2月の上旬は、わたしにしてはたくさん動いていたのだけれど、先週になってぴたりと停止しました。

よく動けているときは、「動くぞ!」と思っているわけではなく、流れに乗れているとき。
ぶつからないようにあちこち目配りしながら、目や耳やこころやからだをひらいて、すなおに流されていたのだけれど、
一気に暖かくなって飛んできた花粉に、からだがびっくりしてあちこち閉じてしまったので、
とまったというよりも、流れを見失ったような気持ちがしています。

でも、そろそろ立ち止まるにはよい頃合いだったようにも思います。
2月上旬の2週間で、東京、大阪、青森で、「本阿弥光悦の大宇宙」展(東京国立博物館)、建立900年特別展「中尊寺金色堂」(東京国立博物館)、「魔除け-見えない敵を服でブロック!-」展(文化学園服飾博物館)、「みちのく いとしい仏たち」展(東京ステーションギャラリー)、「円空―旅して、彫って、祈って―」展(あべのハルカス美術館)、「松山智一展:雪月花のとき」(弘前れんが倉庫美術館)、「奈良美智: The Beginning Place ここから」展(青森県立美術館)、「美術館堆肥化宣言」展(青森県立美術館)など、たくさんの展覧会を見ました。
いろいろな刺激に頭がぱんぱんです。

実は、ここまで書いて一時保存してから、あっという間に1週間がたちました。
今となっては何を書こうとしていたのかもよくわからないのだけれど、再びここから書いてみようと試みています。

わたしにとって「よく動けている」感覚は、本を読んでいるときの感覚に近いように思います。

本を読んでいるときには、その本の持つ流れに乗って、頭の中に描いたその本の世界のなかでいろいろな経験をしている。
本を読み始めるときは「読むぞ」と気合いをいれることもあるけれど、読み進めるうちにそんな気合いは頭から消え去って、ただその「読む」という行為の中にいる。
しばらくすると、どうしても目が疲れたり集中力が切れたりして、読む行為から離脱する。

そんな感じ。

離脱から「読む」に戻るには、再び「読むぞ」の気合いを召喚するんだけど、
その気合いに必要なエネルギーは、その本なり「読む」という行為なりとの距離によって変わってきます。
つまり、離れすぎなければ、戻りやすい。

もし、離れすぎてしまったときには、その距離を縮めるところから始めなくてはなりません。
「読む」ことと仲良しであること。それが肝要です。
高校生のころに覚えた、”keep in touch with”という英語のイディオムを思い出しました。

そういえば、今年に入ってから「読む」こととはかなりいい関係を築くことができていて、そのことは日々の充実感につながっています。
関係修復に取り組みだしてから、ここまで4年ほどかかりました。
ああ嬉しい。

自分にとって大事なことを、大事にできていること。
シンプルな幸せの大原則。

そうだ、今年は「かく」ことと仲良くなりたいんだった。
旅とか展覧会のこととか書けたらいいですね。
うーん、でもちょっと距離が離れすぎている気がする。
もうちょっと仲良くなるところから始めてみようかなと思います。

あなたにとっての「よく動けている」感覚は?

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つり糸からつらつらと「ことばのつり糸を垂らす」

先日、いしいしんじさんの「書こうとしない『かく』教室」という本を読みました。
今年は「書く」ことをがんばろうかなと、気軽な気持ちで積読から引っ張り出して。

すると、予想もしていなかったものを受け取ってしまって。
じゃあなにを受け取ると予想していたんだと問われると、ちょっと困ってしまうんだけど、
とにかく不意打ちで、ちょっとした衝撃だったのです。

この本は、「書く」ことだけにとどまらない、「生きる」ことと「ことば」についての本で、感動して涙ぐみながら、夢中で読んでしまったのです。

そのなかで、「あぁ、これはずっと覚えておきたい」と思ったところがありました。

それは、この本でもいちばん最後の「釣り糸を垂らす」というところです。

いしいさんは、「ことばとは、過去現在未来の記憶をひっかける、釣り針みたいなもの」だと言います。
「何もないと思っていたのに、じつはこんなにいっぱい沈んでいたのか、と、あることばを自分のなかにひたすだけで、ふわっと内側からわかって」くる、と。

そして、「どんなことについても、自分のなかにことばを垂らしてみること」を勧めます。
「すると、ほぼ必ず、それまでの自分が思ってもみなかったなにかがくっついてきてくれ」るそうです。

最後の最後の文章を読み終わってすぐ、「ここには線を引いておかなくては!」と、大急ぎでペンを探しました。
その文章がこちらです。

ぼくたちはずっとことばを使って、ことばを交わして、ことばでいろんなものを自分のなかへ収めていきます。それはいつしか、ことばの形をほどいて、意識の水底へ、ゆっくりと沈んで目に見えなくなります。でもそれは消えないんですよ。目に見えない、ことばになっていない記憶や未来からの光が、じつはぼくたちの生を底から支えている。「かく」ことは、自分のほんとうの生を、ことばのかたちで取り戻すことにほかならないのです。

いしいしんじ「書こうとしない『かく』教室」

「ああ、これは本当のことだ。大切なことだ。」と思いました。

これは、わたしがコーチングをやりながら、感じていること、信じていること、でも、うまくことばにできていないことにとても近い気がします。

話をしていて時々感じる、ほわっとあたたかい、なにか大切なものが引き上がってきた感覚。
その正体はまだよくわからないけれど、その人のなかにこれがあるということに大きな意味があるのだという確信。

「かく」ことと「はなす」ことという違いはあるけれど、
わたしにとってコーチングとは、誰かといっしょに、相手のなかにことばの釣り糸を垂らしてみて、そのひとのなかに確かにある、「その人の生を支えている」なにかを、ことばのかたちで取り戻すことではないかと思います。

そういう目に見えないなにかを、自分のなかからわかっていくこと。
「目標」という目に見えていることばよりも、もっと奥深くに沈んでいるものにふれて、そのかたちを知ること。
そのこと以上に、コーチングの目的である「クライアントが自身の可能性を公私において最大化させる」ことなんてあるのでしょうか。

わたしは考えます。
そういうことをいっしょにする相手として、コーチはどういう存在であればいいんだろう?

たぶん、「よい釣り仲間」なんじゃないかなと思います。
「このエサだとどうかな」とか「今日はずいぶんと水が澄んでいるね」とか「むむ、このにおいは雨がきそう」とか、
そういうことを言いあいながら、いっしょに釣り糸を垂らして、なにかが引き上げられるのを待つ。
そしてあがってきたなにかを、いっしょに眺め、いっしょに驚き、いっしょに探る。
なにより、「よし、釣りをするぞ」という気分をいっしょに味わう。
そういう相手でがコーチなのではないでしょうか。

どうだろ?ちょっと無理あるかな?

ともあれ、わたしは、わたしみずからも自分のなかにたくさん釣り糸を垂らしていきたいと思っています。
その釣り糸になにがくっついてくるかはわからないけれど、それをことばのかたちにして受け止めてみたいと思っています。
それは必ずしもいいものばかりではないかもしれないけれど、それがわたしの「生」というものなのでしょう。

そういう思いを刻んで、ブログのタイトルを「つり糸からつらつらと」と変えてみました。
果たしてつらつらと出てくるのかどうかはわかりませんが、期待をこめて!

ちょっと遅くなりましたが、2024年の抱負にかえて。

本年もどうぞよろしくお願いいたします!

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12月のひとりごと「2023年さいごの・・・」

2023年最後のひとりごと。

「今年さいごの○○」

私の12月は、実は驚くほどにぼんやりと過ぎていきました。

もともと冬は苦手(太陽が足りない)で、この1ヶ月は風邪を引いたり肩を痛めたり身体の調子もいまいちで。
そんなしゃきっとしないポンコツモードでも、「今年さいごの○○」たちがひとつずつ片付いていくと、なんとかかんとか終えられそうというか、終わるんだなというか、そんな雰囲気が高まってきますね。

まだまだ時間がかかりそうなことも、こんがらがってお手上げ状態なことも、とりあえず箱にしまっていったんおしまいにする。
そして、「今年もよい年だったねぇ」と雑に総括して、「めでたしめでたし」できそうな気分です。
年が明けたら再びその箱を開けることになるんだけど、来年の頑張りは来年の自分に任せることにします。

たとえ実は棚上げなのだとしても、いったん手放すことで手に入れられる身軽さとか喜びとかは、暦という区切りの効果だなーと思います。

2023年の旅

とはいえ、年末らしく2023年を振り返ってみると、この1年は「旅」の印象が強かったように思います。

年始から挙げてみると、神奈川から静岡、東京、金沢、有馬温泉、水戸からの東京、下呂温泉、再びの東京、高松、愛媛、北海道、再びの静岡、淡路島、福島は裏磐梯、またまた東京。
そのほか当然近場もちょこちょこと(京都、大阪、福井、名古屋など)。
この年末もこれから旅に出る予定。
ひとりで行ったり、家族で行ったり、泊まったり、日帰りでとんぼ返りしたり、かたちはいろいろ。
ひとりの時はだいたい展覧会や作品を見に行っています。

国内ばかりなのもあるけれど、飛行機には一度も乗っていないのです。新幹線は乗ったけど。
家族旅行だと車で移動することがほとんどです。
北海道にもフェリーでマイカーと一緒に渡りました。

車の旅には地上を移動している実感があります。
それは目に入る風景が変化していくみたいな綺麗事だけじゃなくて、自分の意思で、自分の力で、進んでいかなければたどり着かないというか、進んでいればたどり着くというか、そういう感覚です。
飛行機のような「寝ていたらあっという間」というマジック感がない。

一番テンションが上がった場所は、北海道の弟子屈にあるアトサヌプリ(硫黄山)かもしれません。
噴気孔からシューシューと噴煙が吹き出し、硫黄の匂いが立ち込める火山。
「え?大丈夫?」と思うような異世界感のなか、活火山の熱さを近くに感じることができます。
私は「地球って、地面の中って、本当にこんなに煮えたぎってるんだ!」と嬉しくなってしまって。
当然知識としては知っていたはずだし、温泉にもしょっちゅう入ってるくせに、はじめて実感したのかもしれない。
それ以来、のっぺりとしたアスファルトの道を歩きながらも、「今、この足のずっとずっと下ではマグマが燃えているのだな」となぜかムフフとしてしまうことがあります。

2024年に向けて

私の今年のSpotifyまとめのトップソングはくるりの「ソングライン」でした。
そういえばこちらも旅の曲。

くるり – ソングライン

この「ソングライン」というタイトルは、ブルース・チャトウィンによる同名の紀行文?小説?から名付けられたものだそう。
たしか昨年、ブルース・チャトウィンの人生を振り返った映画「歩いて見た世界」を見て、「世界は、徒歩で旅する人に、その姿を見せる」という言葉がとても印象に残っています。

自分がどのようにあり、どのように関わるかによって、その相手から受け取ることができるものが全然違ってくるのは、世界でも、人でも、作品でも、何でも同じことだと思います。
歩くことでしか見えない世界や、耳をすますことでしか聞こえない物語、一緒に遊ぶことでしか得られない感覚。
そういうものに、私は興味があります。

2024年、地面に足をつけて、自分の身体でそういうものを受け取ることを大切にできたらいいなと思っています。

本年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

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11月のひとりごと「PCC試験と『祝い』」

この11月、PCCというコーチング資格を取得することができました。
PCCは、正式には国際コーチング連盟(ICF)認定プロフェッショナル・サーティファイド・コーチという資格で、今まで持っていたACC(アソシエイト・サーティファイド・コーチ)のひとつ上の資格になります。

私の中では「プロでやるからにはこれぐら持っておきたい」という必達目標的存在だったこともあり(なんでだろ?)、無事に取ることができて、喜びや達成感よりも安堵や解放感を感じています。
でも、コーチングを始めてからここまでの道は、本当にずーっと心から楽しんで歩んでくることができました。
そんな時間をともにしてくださったクライアントの皆さまには、心からの感謝でいっぱいです。
本当にありがとうございました。まだまだこれからも末永くどうぞよろしくお願いいたします。

試験のこと

この資格の認定プロセスにはWeb試験もあったのですが、改めて「ほう」と思ったことがありました。

この試験の問題は、あるコーチングのシチュエーションが提示されて、4つの選択肢からICFの定める倫理規定コア・コンピテンシーに則してベストな行動とワーストな行動をそれぞれ選ぶ形式になっています。

定番問題として、「クライアントが目標を達成したとき」があります。

例えば、その時のコーチの行動の選択肢としては

  • 成長を承認し、クライアントにその成果の祝いの計画を共有するように勧める。
  • クライアントに次に挑戦したい課題を特定してもらう。
  • クライアントにこの成長を維持するために必要なものを訊ねる。
  • 次の新しい目標に向けてコーチングを延長するよう、クライアントに提案する。

があり、ベストが1つめの「承認と祝い」、ワーストが4つめの「延長の提案」となります。

この1つめの選択肢の内容、最初は「そりゃ成長の承認は大事でしょ」という理解で納得していたのですが、その後にICF非公式の模擬試験とかを見ていくと、どうやら「祝い」の方にもかなり重点が置かれていることがわかってきました。
なんだか、「何はともあれ祝わねばならない」ぐらいの感じです。
模擬試験だと、目標達成の問題では問答無用で「祝い」がベスト選択肢です。
非公式なので、ICFの真意が本当にそうなのかはわかりません。
実際の試験にも目標達成の場面では出てきたけれど、解答を共有してもらえないので、実際に何が合っているのかはわかりません。

しかしながら、私の中には「目標を達成したら祝い」というパターンが刻まれました。

「祝い」と余白

そもそもなぜ「祝い」が問題になるのかというと、ICFが掲げるコーチのコア・コンピテンシーにこんな項目があるからです。

コンピテンシー08.クライアントの成長を促進する
Facilitates Client Growth

7. クライアントの成長と成功を祝福している
Celebrates the client’s progress and successes

ICF コア・コンピテンシー

この項目を眺めていると、
「私はコーチとして、十分にクライアントの成長を成功を祝福しているだろうか?」というよりも、
「私は十分に自分自身の成長と成功を祝福できているのだろうか?」という疑問がむくむくと膨らんできました。

なんというか、「祝い」にちょっと苦手意識がある気がします。
誰かを祝うことは苦手でも嫌いでもないけれど、自分自身の成長や成果となるとちょっと…特別なコトもモノも、正直面倒くさいなと感じてしまう。
だからこそコーチという自分以外の誰かに祝福される必要があるのかもしれませんね。

でも最近、はっきりと「いいな」と感じていることがひとつあって、それは「何かを目指していない私であること」なのです。
現実的には並行して色々なことに取り組んでいるので、全くの空っぽ、「何も目指していない自分」になるのはなかなか難しいですが、やはり目標をひとつ達成したら、その分自分の中にはスペースができますね。

そういう時って自分が止まっているからか、色々なことに気づいて、感じることができるような気がします。
音楽も頭からっぽのときのほうが良く響きますしね。
そういえば、ドラゴンボールの歌でも「頭からっぽの方が夢詰め込める〜」って言ってた!笑
たしかに、自分の本当の気持ちとか欲求とかにも気づきやすい時だから、新たな夢も生まれてくるのかもしれません。

一区切りすることでできた空白を慌てて埋めるのではなく、余白の時間を十分に味わうこと。
私にとってそれは、しっかり終わらせて次の一歩の準備をするための時間であり、ひょっとすると「祝い」のひとつでもあるのかもしれません。

師走ですね

もうすぐ2023年もおしまいに差し掛かってきました。

1年の終わりも区切りのひとつ。
しっかり終わらせて、十分にからっぽになってから、新たな年を迎え入れたいなと思っています。

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10月のひとりごと「5歳の息子に憧れる」

今月は、ふだんから触れているものに影響を受けちゃうよねって話。

私がまいにちまいにち濃厚に触れているものといえば、やはり息子たちなわけです。

今朝も、私が大学のレポートを書いていたら、次男(5歳)が部屋に入ってきて「アマゾン見せて」と言ってきました。
彼の言う「アマゾン」というのはAmazon prime videoのことで、要は動画見せろって要求。
「朝は時間ないからだめ」と言っていたらちょうど7時になったので、私はレポートを切り上げて朝の支度へ。
「見せてくれなきゃ動かない!」とごねる息子を置いて部屋を出て、
バタバタと家事をする合間に息子の様子を見に行くと、椅子の上で丸くなりながら、全身でこちらを睨みつけています。
ふーんと思って放置しておくと、こっそり廊下に顔を出して、こちらを探っている様子。
私も廊下に顔を出すと、ぴゅっと部屋に引っこんで隠れる。
またしばらくすると顔を出してきて、見つかると引っこむ。
それを繰り返してしばらくした後、そろそろ朝ごはんを食べさせねばと声をかけに行った部屋はもぬけの殻で、私が「あれー?」と言っていると「ここだよー」と別の部屋から飛び出てきてケラケラ笑う。
そして、兄のパンツを振り回してしばし遊んだ後、「ママー、うんち!」と大きな声で叫んでトイレに駆け込んでいきました。
そんな息子を見ながら私は、「健康で何より」と少し呆れながらも、何とでも遊びながら今この瞬間を全力で生きている感じに思わず憧れを感じてしまうのです。

この今朝の記憶を振り返りながら思い出したのが、「季節の記憶」という小説のこと。
稲村ヶ崎で暮らす父と息子の話で、私はこの小説を読んで以来「私もこんな子育てをしたい」と憧れていたのだけれど、今朝の感じはなんだかちょっと近いかもという気がしました。
でも、ひょっとするとそれはたんに、クイちゃん(登場人物の息子の名前)と次男が同じ年だからかもしれません。
クイちゃんのモデルは猫って聞いたことがあるけれど、5歳児というものはみんな猫みたいなのでしょうか?

さて、5歳児の魅力のひとつはやはり、ほっぺがぷりぷりなことではないかと思います。
次男はもともと色白で、重力を無視したようなハリ感しかない肌には羨ましさしかありません。
でも、この羨望は危険でもあると感じています。
当たり前の話だけど、5歳の身体と40代の身体はまったくもって別物なわけです。
自分の中での美しさの基準を5歳児の肌に設定してしまうと、これはとうてい実現できない理想なのです。
ここはわかってはいるところなので、日々、「40代には40代の美しさ!」とよくよく言い聞かせながら生きるようにしています。

5歳の息子は髪の毛もツヤツヤサラサラです。
彼の髪は私がカットをしています。
「どんな髪型になったって絶対にかわいいから大丈夫!」という素材に対する圧倒的信頼に基づき、眉上あたりで横一線にざくざくハサミを入れて頭囲を一周し、その下部はバリカンを使って刈り上げるという、ひたすら大胆な坊ちゃん刈りに仕上げています。
結果、予想通りにかわいいので、毎日毎日「かわいいなぁ、きれいだなぁ、最高だなぁ」と思いながら、彼の髪を撫で回しています。

ところで、私の髪型もここ最近はずっとショートヘアなのです。
実は最近、担当美容師さんが変わって、イメージのすり合わせに苦労しています。
その方が比較的保守的なタイプなこともあり、私の思う「スッキリ短くしてください」に達しないことが続いています。
写真を見て話をしても、結果「もうちょっと短くしてほしかったな」という気がしている。
とうとう先日は、最後の最後に「襟足だけこれぐらい切っちゃってください。刈り上げてもいいんで!」と言って切ってもらうことに。
最後に直すのって全体のバランスが崩れちゃうから避けたいんだけど、つい。
でもこれね、コミュニケーションの難しさとか、互いのショートヘアの概念の違いとか色々あるとは思うんですけど、たぶん私自身が息子の髪型に寄せたがってる部分が大きいのではないかと思ってます。
だって、あれが私のなかでは世界一かわいいので。
しかし、「いい感じに坊ちゃん刈りに寄せてくれ」っていうのは、ちょっと無理な要求じゃないかと我ながら思うのです。
長男(小3)はスポーツ刈りにしちゃったので、これはこれでかわいいんだけど、さすがに寄せたいとは思いません。
もしかすると私がショートから離れたほうがいいのかも…と、ボブぐらいに変えていこうかなと思う最近なのです。

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BLOG 人生にコーチングを!

「本気でやり切ること」への恐れを超えて

ひさしぶりにクライアントの声をご紹介させていただきます。

人生の節目を一緒に確認するようなセッションの後に、胸が熱くなるような振り返りをシェアしていただきました。
「これは是非誰かに知ってもらいたい!」と思い、ブログへの掲載をお願いしたのでした。

クライアントご紹介

今回ご紹介するのは、1年半前にもブログ(自分のトリセツをつくる)に登場していただいたさやかちゃん。
もう3年のお付き合いになるのですね!
その間、いろんなことがありました。本当に、いろんなこと…(遠い目)

そんなさやかちゃんが社労士の資格に挑戦することを決意したのが1年ほど前のこと。
人事畑のキャリアを歩んできたさやかちゃんにとって、社労士はいつか挑戦したいと思っていたことのひとつだったそう。

とはいえ、社労士は合格率6%の超難関資格。
私、ずっと見てた(聴いてた?)から知ってます。
さやかちゃんは本当の本当に、本気で、ベストを尽くして、勉強に取り組んできました。
会社員を辞め、フルタイム受験生となり、色々なものを乗り越えて、今年の夏の試験を受けました。
しかし、結果は不合格。(合格ラインまで1点足りなかったそう…1点…!)

その後のセッションは、さやかちゃんの「今まで」と「今」、そして「これから」を考えるうえでの節目のような時間になりました。

クライアントの声

セッションの後、社労士試験の振り返りとしてシェアしてくれた文章がこちらです。

この10年近く、不妊治療、妊娠、出産、育児など人生のイベントがたくさんあった。
それはそれで大切なことだし、そのせいで何かが犠牲になったとは思わないけど、何かあった時に全力を出し切れない言い訳にしたり、スケープゴートにしていたのは事実。
それは意識的か無意識か。わからないくらいしみついてしまった自分の思考の癖だったように今は思う。
本気を出さない/出せない状態がデフォルトになってくる。
「俺はまだ本気を出さないだけ」って思っていたけど、「私って本気出せるんだっけ?」「本気を出した私って、なにができるんだっけ」と不安に駆られる。
自分への信頼や自分の力を信じたい気持ちが大いにあるけれど、確かめるのが怖い。
結果、本気で何かをやること、やりきることを無意識に避けていた数年だったかもしれない。
それはそれでエコで間違っていない。
でも、私の本質はきっとそうじゃない。

社労士試験は本気でやり切った。
がむしゃらに何かに打ち込む自分がいた。
そのことがまずはうれしい。
ちょっとしたトランス状態だったかもしれないけど、この年でトランスするほど打ち込むってすばらしいこと。
大変だったけど、朝早く起きて、時間を見つけて勉強に打ち込む毎日はとても楽しかったし、頑張れる自分がとても好きだった。
そんな自分が家族に与えている影響もとてもいいなと感じていた。

「ここまでやれる自分」と、「ここまでしかやれない自分」を知った。「ここまでやれる自分」を知って自分への信頼が手中に戻ってきたように思う。
「ここまでしかやれない自分」を知ったけど、「そうなんだ」としか思わない自分に驚いている。
これまでだったらネガティブに捉えたり比較したりしていたけど、今は「じゃあどうやって付き合っていこうか」としか思わない。
それは自分にとって初めての感覚でとても良い感覚だと思う。イマココ感?
振り返ってみれば小学生の時から限界まで走り切ってドカンと体調を崩すタイプだった。
38歳にしてやっと自分の特性として、トリセツに昇華?成仏?できたな。

読んでいる側が今の自分のあり方を問い直さずにはいられなくなるような、正直で切実な言葉が並んでいます。

身軽だった頃に比べて、自分の人生に大切なものたちが増えた今。
「俺はまだ本気出さないだけ」って、ドキッとしますよね。

本気を出すことを無意識に避けていたさやかちゃん。
どうして今、本気を出すことができたのでしょうか?
ふたつの理由を挙げてくれました。

ひとつは、自分自身と話し合って「今だ」って決めた感覚。
タイミングがピッタリだったなって思う。
2022年3月ころだったかな、一回社労士を取ろうと思ったときにゆきこちゃんに「本当に社労士なの?」と問いかけてもらったことがあった。
その時、結構衝撃的だったんだよね。
社労士という大きな課題に向かおうとしているこの決意を問われることってあるんだ〜!って。
その時は確かに違うなってチャレンジを見送って。
でも一方で、いつか今だってタイミングが来るんだろうなという風待ちの気持ちにもなって。
無理やり能動的に行くんじゃなくて、運命的に受動的に決まることもあるかもしれないという予感を手に入れたんだよね。
だからこそ今回、その風が吹いたときにふっと身をゆだねられたように感じる。
無理なく、私にとっては今だったから、本気を出せたんじゃないかな。

もうひとつは、本気を出さないようにするストッパーを1つ1つ扱って手放す機会があったからだと思う。
私の場合ストッパーは「不安」。
こうなったらどうしようという不安が具現化した時に自分を守れるように、「本気を出していなかっただけ」という言い訳ができるようにしてたなって思う。
今回の場合は「これまでの学び方が通用しない。新しいやり方を試すのが不安」「答え合わせをして合格点を割った時の自分を想像すると不安」とかをゆきこちゃんと扱った。
扱って眺めてみて、手放して、棚にしまう作業をすることで、「大丈夫、本気で走って大丈夫」って自分の前に広がる道を整備していたんじゃないかな。

これは「信頼」の成果だな、と思います。

ひとつには、1年半前の記事にもある「答えは私の中にある」という信頼。
もうひとつには、「私は自分の不安を扱っていくことができる」という信頼。

さやかちゃんにとっても、セッションで不安を扱うことはとても勇気のいることだったそう。
さやかちゃんは「ゆきこちゃんがどんと構えてくれていたから」と言ってくれたけど(嬉しい!)、「こういう環境ならば自分は不安と向き合っても大丈夫」ということを、さやかちゃん自身が少しずつ少しずつ学んでいったからこそ。
それはやはり、ご自身のチャレンジの成果に他ならないと思います。

そして最後に、今感じていること。

人は経験からしか学ばないというけれど本当にその通りだと思う。
日々の穏やかな生活の中でも学ぶことはたくさんあるけれど、ストレッチな環境下でしか学べないこともやっぱりあるし、限界の状況だからこそにじみ出てくる人間性みたいなものがあるなって今回感じた。
常に厳しい環境にいたいとは思わないけど、必要な時に必要な挑戦ができる環境は大事。
いつでも帰れる港があるから大海原に漕ぎ出せる感覚。
それは私にとって家族でありコーチだな。
私も誰かにとってのそういう存在でありたい。
そしてまた次の冒険に想いを馳せてわくわくする気持ちでいる自分にびっくり。次は就職だ〜!

セッションも、これからの希望に満ちた清々しい時間だったのです。
一山超えたさやかちゃんは、自分のなかの声へのアンテナ感度が上がっているように感じました。
次の風も必ず敏感にキャッチして、いい流れに乗っていくことができるはずです。

私からのメッセージ

何を書こうか少し悩んだのだけど、この振り返りを読んだ直後にさやかちゃんにメールした文章が、やっぱり一番フレッシュで一番率直なんじゃないかなと思ったので、改めてそれを載せたいと思います。

すごく正直な言葉が並んでいて、とても心を打たれました。
特に、社労士試験に「頑張れる自分がとても好きだった」というところ。
できない自分を認めたり、許したりすることもトリセツとしては必要だけど、
自分の好きな自分でいられるって、やっぱりすごいことなんだなって思いました。
そのひとつがさやかちゃんにとっては「本気でやり切る自分」なんだろうね。

後半は、ここまでの取り組みを思い出して、じーんとしていました。
本当に、「今」がさやかちゃんにとって納得感のあるタイミングだったからこそ、「本気でやるぞ!」と決めて進んで来られたのだと思います。
「不安」や「恐れ」というのは誰にとっても直視するのが難しく、扱うのには覚悟が必要なもの。
覚悟を決めてそういうものを扱いながら一歩一歩進んできた経験は、さやかちゃんにとっても本当にかけがえのない学びだと思うし、私もその姿にたくさん影響を受けました。
スマートじゃなくていいから、全力で生きたいな!って気持ちです。
そういう人生が私にとってはいい人生だし、そんなふうに生きられているのが「私の好きな自分」かもしれないなーと思いました。

なんだか公開ラブレターみたいでだんだん照れくさくなってきましたが、笑
さやかちゃん、あなたは本当にかっこいいし、
コーチとしてあなたと人生をご一緒できていることを、私は心から誇りに思います!

最後に

「みみをすますラボでは
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そんなコーチングを提供しています。」

私がこのコンセプトを決めて、コーチングサービスを始めたのが約2年前のこと。

私たちは離れていても「ふれあう」ことができるし、互いを「うつしあう」ことで相手を知り、自分を知ることができる。
そして何よりも、「ひびきあう」ように互いに影響を受けたり与えたりしながら、それぞれに、さらに自分らしく変わっていく。

今回のさやかちゃんの振り返りから、ちゃんとそういうことができているのだなーと改めて実感することができたように思います。
心から感謝。

最近は特に、影響のことをよく考えます。

コーチングを通して、自分の人生を真剣に生きる人たちにふれていると、私自身がすごく影響を受けます。
クライアントさんたちは「私に影響を与えてやろう」なんでつもりで話しているわけじゃなくても、それでもどうしても勝手にひびいてしまうもの。
話す内容とかじゃなくて、その正直なあり方に影響力があるのです。
そういうものが積もり積もって、少しずつ私の中にも変化を求める声が生まれてきている気がします。

私自身、自分のなかにみみをすまして、その声を誠実に受け止めたいなと思い始めています。

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