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BLOG つり糸からつらつらと

よく動いた2月の上旬、そして「読む」こととの距離

2月の上旬は、わたしにしてはたくさん動いていたのだけれど、先週になってぴたりと停止しました。

よく動けているときは、「動くぞ!」と思っているわけではなく、流れに乗れているとき。
ぶつからないようにあちこち目配りしながら、目や耳やこころやからだをひらいて、すなおに流されていたのだけれど、
一気に暖かくなって飛んできた花粉に、からだがびっくりしてあちこち閉じてしまったので、
とまったというよりも、流れを見失ったような気持ちがしています。

でも、そろそろ立ち止まるにはよい頃合いだったようにも思います。
2月上旬の2週間で、東京、大阪、青森で、「本阿弥光悦の大宇宙」展(東京国立博物館)、建立900年特別展「中尊寺金色堂」(東京国立博物館)、「魔除け-見えない敵を服でブロック!-」展(文化学園服飾博物館)、「みちのく いとしい仏たち」展(東京ステーションギャラリー)、「円空―旅して、彫って、祈って―」展(あべのハルカス美術館)、「松山智一展:雪月花のとき」(弘前れんが倉庫美術館)、「奈良美智: The Beginning Place ここから」展(青森県立美術館)、「美術館堆肥化宣言」展(青森県立美術館)など、たくさんの展覧会を見ました。
いろいろな刺激に頭がぱんぱんです。

実は、ここまで書いて一時保存してから、あっという間に1週間がたちました。
今となっては何を書こうとしていたのかもよくわからないのだけれど、再びここから書いてみようと試みています。

わたしにとって「よく動けている」感覚は、本を読んでいるときの感覚に近いように思います。

本を読んでいるときには、その本の持つ流れに乗って、頭の中に描いたその本の世界のなかでいろいろな経験をしている。
本を読み始めるときは「読むぞ」と気合いをいれることもあるけれど、読み進めるうちにそんな気合いは頭から消え去って、ただその「読む」という行為の中にいる。
しばらくすると、どうしても目が疲れたり集中力が切れたりして、読む行為から離脱する。

そんな感じ。

離脱から「読む」に戻るには、再び「読むぞ」の気合いを召喚するんだけど、
その気合いに必要なエネルギーは、その本なり「読む」という行為なりとの距離によって変わってきます。
つまり、離れすぎなければ、戻りやすい。

もし、離れすぎてしまったときには、その距離を縮めるところから始めなくてはなりません。
「読む」ことと仲良しであること。それが肝要です。
高校生のころに覚えた、”keep in touch with”という英語のイディオムを思い出しました。

そういえば、今年に入ってから「読む」こととはかなりいい関係を築くことができていて、そのことは日々の充実感につながっています。
関係修復に取り組みだしてから、ここまで4年ほどかかりました。
ああ嬉しい。

自分にとって大事なことを、大事にできていること。
シンプルな幸せの大原則。

そうだ、今年は「かく」ことと仲良くなりたいんだった。
旅とか展覧会のこととか書けたらいいですね。
うーん、でもちょっと距離が離れすぎている気がする。
もうちょっと仲良くなるところから始めてみようかなと思います。

あなたにとっての「よく動けている」感覚は?

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つり糸からつらつらと「ことばのつり糸を垂らす」

先日、いしいしんじさんの「書こうとしない『かく』教室」という本を読みました。
今年は「書く」ことをがんばろうかなと、気軽な気持ちで積読から引っ張り出して。

すると、予想もしていなかったものを受け取ってしまって。
じゃあなにを受け取ると予想していたんだと問われると、ちょっと困ってしまうんだけど、
とにかく不意打ちで、ちょっとした衝撃だったのです。

この本は、「書く」ことだけにとどまらない、「生きる」ことと「ことば」についての本で、感動して涙ぐみながら、夢中で読んでしまったのです。

そのなかで、「あぁ、これはずっと覚えておきたい」と思ったところがありました。

それは、この本でもいちばん最後の「釣り糸を垂らす」というところです。

いしいさんは、「ことばとは、過去現在未来の記憶をひっかける、釣り針みたいなもの」だと言います。
「何もないと思っていたのに、じつはこんなにいっぱい沈んでいたのか、と、あることばを自分のなかにひたすだけで、ふわっと内側からわかって」くる、と。

そして、「どんなことについても、自分のなかにことばを垂らしてみること」を勧めます。
「すると、ほぼ必ず、それまでの自分が思ってもみなかったなにかがくっついてきてくれ」るそうです。

最後の最後の文章を読み終わってすぐ、「ここには線を引いておかなくては!」と、大急ぎでペンを探しました。
その文章がこちらです。

ぼくたちはずっとことばを使って、ことばを交わして、ことばでいろんなものを自分のなかへ収めていきます。それはいつしか、ことばの形をほどいて、意識の水底へ、ゆっくりと沈んで目に見えなくなります。でもそれは消えないんですよ。目に見えない、ことばになっていない記憶や未来からの光が、じつはぼくたちの生を底から支えている。「かく」ことは、自分のほんとうの生を、ことばのかたちで取り戻すことにほかならないのです。

いしいしんじ「書こうとしない『かく』教室」

「ああ、これは本当のことだ。大切なことだ。」と思いました。

これは、わたしがコーチングをやりながら、感じていること、信じていること、でも、うまくことばにできていないことにとても近い気がします。

話をしていて時々感じる、ほわっとあたたかい、なにか大切なものが引き上がってきた感覚。
その正体はまだよくわからないけれど、その人のなかにこれがあるということに大きな意味があるのだという確信。

「かく」ことと「はなす」ことという違いはあるけれど、
わたしにとってコーチングとは、誰かといっしょに、相手のなかにことばの釣り糸を垂らしてみて、そのひとのなかに確かにある、「その人の生を支えている」なにかを、ことばのかたちで取り戻すことではないかと思います。

そういう目に見えないなにかを、自分のなかからわかっていくこと。
「目標」という目に見えていることばよりも、もっと奥深くに沈んでいるものにふれて、そのかたちを知ること。
そのこと以上に、コーチングの目的である「クライアントが自身の可能性を公私において最大化させる」ことなんてあるのでしょうか。

わたしは考えます。
そういうことをいっしょにする相手として、コーチはどういう存在であればいいんだろう?

たぶん、「よい釣り仲間」なんじゃないかなと思います。
「このエサだとどうかな」とか「今日はずいぶんと水が澄んでいるね」とか「むむ、このにおいは雨がきそう」とか、
そういうことを言いあいながら、いっしょに釣り糸を垂らして、なにかが引き上げられるのを待つ。
そしてあがってきたなにかを、いっしょに眺め、いっしょに驚き、いっしょに探る。
なにより、「よし、釣りをするぞ」という気分をいっしょに味わう。
そういう相手でがコーチなのではないでしょうか。

どうだろ?ちょっと無理あるかな?

ともあれ、わたしは、わたしみずからも自分のなかにたくさん釣り糸を垂らしていきたいと思っています。
その釣り糸になにがくっついてくるかはわからないけれど、それをことばのかたちにして受け止めてみたいと思っています。
それは必ずしもいいものばかりではないかもしれないけれど、それがわたしの「生」というものなのでしょう。

そういう思いを刻んで、ブログのタイトルを「つり糸からつらつらと」と変えてみました。
果たしてつらつらと出てくるのかどうかはわかりませんが、期待をこめて!

ちょっと遅くなりましたが、2024年の抱負にかえて。

本年もどうぞよろしくお願いいたします!

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