ブログのこと
私にとってブログはちょっと中途半端な存在で、
やらなきゃいけないわけでも、やらなくても特に困るわけでもなく、しかしながら「あー、やってないなー」という気持ちにはさせてくれるという、なかなか付き合い方の難しい相手なのです。
どうしても伝えたいメッセージがあるとか、ぜひともシェアすべき有益な情報があるとか、インターネットでゴリゴリ集客したいとかではないので、モチベーションの在り処が難しい。
面倒くさくなって「もう閉じちゃおうかな」と思うこともあるのだけど、それもちょっと違うかな、と。
特に宣伝もしていないホームページなので、
訪れる方は、私のことを知っていたりどこかで知ってくれたりして、「最近どうしてるのかな?」とか「この人どんな人なんだろう?」と気にしてくださっている方のはず。
であれば、ツンと事務的に対応するのではなく、「せっかく寄ってくれたんだから、ちょっとおしゃべりしていきなよー」ぐらいの心構えは持ちたい。
世の中的には雑談の必要性も叫ばれておりますしね。
とはいえ、雑談じゃなくてひとりごとだし、雑談ばかりしてもいられないから月イチぐらいでいいかなというのが、ブログについて最近思うことです。
ラジオ体操とからだ
さて、7月に入り、夏休みがぐっと近づいてきました。
私の、じゃなくて、子どもたちの、ですけど。
先日も、小学校の地区委員(?)のお母さんから、
「ラジオ体操、今年の実施はなしでよろしいでしょうか…?」とのご連絡。
何を隠そう、うちの息子(小3)は今まで一度もラジオ体操に参加したことがないので、「なしでよいのではないかと思います」と即答したのですが…。
地区的に子どもの数が少なくなっていて、両親ともに働いている家庭も増えていて、昔のようには実施することが難しい時代だと思います。
我が家の場合も、息子が月曜から金曜までを過ごす場所が学校から学童に変わるだけで、夏休みだからといって生活リズムに大きな変化はありません。
なんなら、息子の学童は朝も要送迎なので、夏休みの朝の方が私はちょっと忙しい。
旅行などの家族イベントは考えているけれど、あの毎日が溶けていくような夏休みの時間は、はるか昔の物語なのかもしれません。
とはいえ、これまで続いていたことをやめることって、悩ましいというか、罪悪感を感じるというか、そういう面がある気がします。
その感覚には色々なことが影響しているだろうけれど、
そのひとつには、それが今の自分を構成している一部だということがあると思います。
例えば、私は今でもデスクワークの合間に軽く体を動かしたい時にはラジオ体操をしているし(Spotifyのひろみちお兄さん版を愛用)、
早起きした朝の涼しい道を走って会場に通ったこととか、カードにスタンプを押してもらう嬉しさとか、ラジオ体操にまつわる夏休みの美しい思い出もたくさんある。
それは、私にとってはわりと「いいもの」な気がします。
一方で、改めて朝のラジオ体操の制度的な側面を考えてみると、
毎朝同じ時間に、ラジオというマスメディアの力で、体操という同じ身振りを全国津々浦々の身体に刻んでいくわけです。
そういった画一的な身体の規範みたいなものを我が子に刷り込んでいくことは、果たしてどうなんだろうか。
大げさなようだけれど、身体ってそういう場所だと思います。
色々な方と話していて時おり感じる、自分の身体が社会的規範を逸脱したときの申し訳なさとか、情けなさとか、恥の感情とかって、結構そういうものから作られているんじゃないかな。
まあ、なんやかんや言ってますが、結局「親の負担、勘弁してください!」が一番の本音だったりはしますけどね。
でも、これからの世界に何を残して受け継いでいくのかは、「自分もそうだったから」みたいなレベルじゃなくて、もっと深く考えていきたいことだと思っています。
さて、これからますます暑くなってまいります。
どうぞ皆さま、くれぐれもご自愛くださいませ。
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